午後だけで2度も外に出たせいか、侑羽はご飯をおかわりしていた。
「今日はたくさん食べるのね」
「お腹が空いたんだよ」
「ご飯をいっぱい食べる子はママ大好きよ」
食事が終わり自分の食器をキッチンに片しに行った侑羽が、今度はさっき買ってきたパンを食べてもいいかと訊いてきた。
「まだ食べるの?!別にいいけど」
僕の食べ終わった皿をトレイに乗せながら彼女は言った。
「やっぱり、男手があると違うのかしら。あなたも食べる?」
「そんなにおいしいなら、食べてみるよ」
「2人とも食べ盛りね。侑羽、もらったパンのみみに牛乳をかけてブルーにもあげて」
オレンジの皮が練り込んであるクロワッサンは、本当においしかった。帰り際に少しだけ話をした店のご主人の笑顔が思い出されるような温かみのある味だった。
彼女が今までに撮った写真や出した本を見せてもらった。
彼女の写真には何か言葉にしがたい魅力がある。どう説明してよいのかわからないけれどメッセージ性というより、初めて見る写真なのにどこかノスタルジックなのだ。
いつだかわからないけれど、写真に写っているものを自分の目で見たような気がするというか、デ・ジャ・ヴュとでも言えばいいのだろうか。そんな感じなのだ。
「どこにでもある、たいして気にも止めない日常の曖昧な記憶の一瞬を撮ったからよ」
彼女はそう言って笑っていた。
「そういうもの?」
「例えば・・・・マリンブルーの海なんて実際に見た事はなくても、TVや本で見た事はあるでしょ?それが記憶に残る。でも、それは曖昧な記憶だから似たような色の全く別の海の写真を見て
どこかで見たような気がするって気にならない?ただそれだけよ」
「心理学専攻の芸術家は言う事が違うね」
「何よ、それ?ただ自分がいいなって思ったものを写真に撮ってるだけ」
「センスというか、才能があるんだよ。侑羽、もしかしたらママは天才かもしれないぞ」
「ママ、天才なの?」
多分、そうかもしれない、と彼女は侑羽を見て笑っていた。
ふと時計を見ると8時半を過ぎていた。
「そろそろ、失礼するよ」
「そう?じゃ、駅まで送るわ。侑羽も行くでしょ?」
「享くん、帰るの?」
「うん。明日は仕事だし。侑羽も幼稚園だろ?お風呂に入って早く寝なきゃ寝坊するぞ」
玄関の鍵を閉め車へ行くと、侑羽は迷わず助手席のドアに手を掛けた。彼女の車の助手席は侑羽の指定席のようだ。考えてみれば、母1人子1人の家族なのだから当然なのだけれど、何故かしらクスッと頬が緩んでしまった。
駅に着き、電話するよと車を降りると侑羽が改札まで送ると一緒に降りてきた。
「侑羽、今日はありがとう。楽しかったよ」
「僕も楽しかったよ。なんか・・・・パパといるみたいだった」
「そっか。でも、パパほどカッコ良くないけどな」
そう言うと侑羽は笑った。次第に僕に対して口数が増えていった侑羽だったけれど、彼女の言うように笑顔は子供の割に少なかったような気がする。
僕は切符を買い、彼女のように侑羽の目線まで腰を落とした。
「さっき話した・・・・一緒に留守番するって話、考えておいてくれよな」
「・・・・享くんは今日、それで来たの?」
少し答えにくかったけれど、僕は正直に答えた。
「そう。だから、ママに会いに来たんじゃなくて侑羽に会うために来たんだ。今日、一緒にいて侑羽とだったら仲良く留守番できるかなって思ったんだ」
「ママは知ってるの?」
「ううん、まだ言ってない。侑羽の返事を聞いてから、ママには言うつもりだったから」
「どうして?」
「ママは僕と侑羽が仲良く出来るんじゃないかと思ってる。もし、先にママに僕がいいよって言ったらママは侑羽に、どうする?って訊くだろ?そこで侑羽がやだって言ったら、今度はどうしていやなのか理由を訊くと思う。
訊かれた時に侑羽が僕のこういう所がいやだってちゃんと答えられるならいいけど、もし答えられないならママも侑羽も困っちゃうだろ?だから、ママに話すより先に侑羽の返事を聞いて、もし侑羽がやだって言うなら僕からママに
一緒に留守番は無理だって言おうと思ってたんだよ」
侑羽は、黙って僕の顔を見ていた。
「侑羽、どうやって電話するか知ってるか?」
「知ってるよ、そんなの」
僕は閉店の準備を始めている駅の売店でペンとメモ帳を買ってきた。そして、電話番号を書いて侑羽に渡した。
「これは僕の携帯の番号。仕事中は電話に出られない時があるかもしれないけど。侑羽が返事を決めたら、僕に電話をくれ」
侑羽は渡された1枚のメモを見たまま、わかったと小さく答えた。
「もし、一緒に留守番をしないとしても僕と侑羽は友達だ。コーラの事もママには言ってない。男同士の約束だからな」
やっと侑羽が顔を上げた。
「じゃ、今日はここでバイバイだ。見ててあげるから、早くママの車に戻っていいよ」
「うん。じゃあね、享くん。バイバイ」
「じゃ、またな」
走っていく侑羽の背中はとても小さく見えた。階段の所で侑羽が振り返り、バイバーイと手を振りながら大きな声で言った。
「電話、待ってるからな」
僕も人目を気にせず大声で返事をして、手を振った。
電車を乗り継いで部屋に戻り、シャワー後の日課の缶ビールを手にした僕の体にはとても心地よい疲れが広がっていた。
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