天使がいた夏 3

 「午後はどうする?」
 「どうしようか?侑羽、午後は?」
 「僕はブルーの散歩」
 「一緒に行ってもいいかな?」
 「いいよ」
 「散歩の後の事は帰ってきてから考えるよ。君は?」
 「侑羽のTシャツを洗って、あとはぼんやり留守番でもしてるわ」
 とりあえず、午後の予定は決まった。
 僕がスニーカーを履いていると、2Fから薄いベージュのシャツに着替えた侑羽が降りてきた。
 「このシャツを買う時に選んだのは、ママ?」
 「どうして?僕だよ」
 「そうか。侑羽とママは好きな物が似てるんだな。ほら、ボタン、1こ掛け間違えてるぞ」
 あっ、と小声で言い、侑羽はまた少し不器用にボタンを直し始めた。僕は微笑ましくそれを見ていた。
 親になるとこういう気分が味わえるんだな。ふとそんな事も思った。
 「はい、これ。ブルーのお散歩バッグ。それと、これ」
 そう言って彼女は僕に500円玉を渡した。
 「何?」
 「もし外で遊んでくるなら、今日は暑いからのどが乾くでしょ?侑羽、お外でジュースは今日だけよ」
 「ジュース代くらい出しておくよ」
 「いいの、今日はお客様なんだから。でも、1人1本だけよ。ブルーにはミネラルウォーターでも買ってあげて」
 行ってきます、と僕たちは玄関を出て庭にいるブルーを迎えに行った。そして、まさに子供のお小遣いだなと手のひらの500円玉をポケットに入れた。
 ブルーは散歩に行けるのがわかったらしく、しっぽを振り早く早くと急かすように勢いよく後ろ足で立っていた。そんなブルーだったのに、侑羽がリードを持って歩き出すと 侑羽に合わせるかのようにおとなしく歩き出した。
 「散歩のコースはいつも決まってるの?」
 「だいたい同じ。海に行くの」
 「そっか。海が近いんだよな」
 「うん」
 僕たちは侑羽の幼稚園の話やブルーの事などをぽつぽつと話ながら歩いた。話すと言っても僕が質問し、侑羽が答えると言ったものだった。侑羽の歩く速さで10分程歩くと海が見えてきた。
 浜辺には波乗りをするためにやってきた人たちが見える。
 「この辺でいつも遊ぶの?」
 「もう少し向こう。ブルーを放すから人が少ない所」
 「ブルーを放しても平気?どこかに行ったりしないか?」
 「大丈夫だよ。どこへも行かないよ」
 「ブルーはお利口さんなんだな」
 「一度、どこかに走って行っちゃったんだ。パパと僕で一生懸命捜したけど見つからなくて、パパすごく悲しい顔してた」
 「ブルーはどこにいたの?」
 「夕方になるまでパパと捜したけど、どこにもいなくて。それからおうちに帰ってゴハンを食べてお風呂に入ってたら、ママが、ブルーが帰ってきたよって教えてくれた」
 「ブルーは1人で帰ってきたんだ?」
 「うん。急いでお風呂からあがって、ブルーの所に行ったらワンワンって。パパがもう1人でどこかに行っちゃだめだって、何回も何回もブルーに言ってた。それから、ブルーが1人でどこかに行くって事はなくなったよ」
 「パパの言う事がブルーにはわかったんだな。じゃ、侑羽やママの言う事もちゃんと聞くだろ?」
 「ちゃんと聞くよ。ブルーは本当にお利口さんだから、僕が怒られちゃう時もあるんだ」
 「侑羽が?ブルーに?」
 「うん。車が来てるのに道路に出ちゃったりすると、すごく吠えるの。僕、時々右、左って見るの忘れちゃうから・・・・」
 「すごいな、ブルーは。パパが教えたのか?」
 「教えてないと思うよ。吠えるようになったのは・・・・パパが死んでからだから・・・・」
 僕は他愛もない話をしていたつもりなのに、侑羽にとってはあまり触れられたくない部分に踏み入ってしまったのかと思い、侑羽の顔をじっと見てしまった。
 「ブルーはパパやママの代わりに、危ないぞって侑羽に教えてくれてるんだな」
 「そうなのかな?ブルーおいで」
 そう言って侑羽はブルーの首輪からリードを外した。ブルーは勢いよく走り出した。しばらく走ると戻ってきて侑羽にじゃれつく。そんな事をブルーは何度も繰り返していた。
 「享くんは、ママのお友達なの?」
 「そうだよ。大学の時からの友達だよ」
 9年もブランクがあるのだから、友達ではなく知り合いと言うべきなのだろうか。
 「じゃあ、パパの事も知ってるの?」
 「残念ながら、パパの事は知らないんだ。ママは、大学の時は結構人気があったんだぞ」
 「僕もママはかわいいと思うよ」
 「侑羽はきっとパパに似てるんだな」
 「どうして?」
 「パパは、多分ママの事をかわいいと思って結婚したんだよ。侑羽もママの事をかわいいと思うなら、パパと似てるって事さ」
 「そっか」
 「なぁ、侑羽、僕はパパと友達になれたかな?」
 どうしてそんな質問をしたのか、自分でもわからなかった。
 「うーん・・・・なれるんじゃないの。ブルーが吠えなかったし」
 「ブルーは友達になれそうな人には吠えないんだよな。じゃ、僕はブルーに認めてもらえたわけだ。侑羽は僕と友達になれそう?」
 「多分、なれると思うよ」
 侑羽にそう言ってもらえて僕は何だか嬉しかった。
 「こうやってのんびりと海を眺めるのなんて、何年振りかなぁ」
 「享くんちの近くには、海がないの?」
 「僕の家は・・・・ママのおじいちゃんとおばあちゃんち憶えてるか?そこから車だと、30分くらいの所かな」
 「おばあちゃんち、知ってるの?」
 余計な事を言ってしまった。6歳の子に僕とママは昔・・・・なんて言える訳がない。
 「知ってるよ。ママとは大学生の頃からの友達だって言っただろ?」
 「じゃあ、チャミも知ってる?」
 「チャミ?」
 「ねこのチャミだよ。知らないの?」
 「チャミの事は知らないなぁ」
 「チャミはね、小さい時に自転車に轢かれたみたいで道路で動けなくなってたんだって。おじいちゃんが拾ってきたの。今も後ろの足をぴょんぴょんってしながら歩くんだ。病院に行ったけど、もう治らないって言われちゃったんだって。 ブルーと仲がいいんだよ。ねこと犬なのに」
 侑羽は少しは僕になれたらしく、散歩に出た頃より口数が多くなってた。ふと時計を見ると、ここへきてから30分以上経っている。
 「そろそろ、帰るか?」
 「ブルー、帰るよ」
 侑羽の隣で寝そべっていたブルーがゆっくり立ち上がった。
 「途中でママにもらったお小遣いでジュースを飲もう」
 「うん、やった!」
 子供らしい、そしてどことなく彼女似の笑顔だった。

 「侑羽はどれにする?オレンジジュースか?」
 「・・・・コーラがいいな」
 「あはは、ママはあんまりコーラは買ってくれないのか?」
 「たまにしか。子供はあんまり飲んじゃだめって」
 「いいよ、コーラにしよう。じゃ、僕もコーラだ。ブルーにはミネラルウォーターっと」
 よく冷えたコーラのプルタブを開けて侑羽に渡すと、ありがとうと言って喉を鳴らして飲んだ。
 「うわぁ、口の中がビリビリするよ」
 「でも、おいしいんだろ?」
 「うん、おいしね」
 「コーラの事はママには内緒。僕と侑羽とブルーの秘密だ。いいか?」
 「いいよ」
 「男の約束だぞ」
 そう言って僕たちは指切りをした。ブルーの口許にミネラルウォーターを注ぐと一生懸命に飲んでいる。
 「なぁ、侑羽、8月にママが泊まりで仕事に行くだろ?どうして、その時留守番してるなんて言ったんだ?」
 侑羽は、コーラの缶を見つめたまま何も言わなかった。
 「言いたくないか?それなら、もう聞かないよ。もし、侑羽が僕に言ってもいいと思ったら、その時に教えてくれ」
 「・・・・うん」
 「よし。じゃ、おうちに帰ろう」  
 
 
 
 
 
                                  
 
 
 
 
 
 

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