「面倒をみるって、どの程度の事をすればいいの?」
沈黙に耐えきれず、僕の方から言葉を発した。
「一緒にいてくれればいいの。6歳の子供を1人にする訳にもいかないから。自分の事は、全部自分でできるし」
「泊まり込みの遊び相手って事?」
「そうね、そんな感じかしら」
「日程は?」
「8月の19日から5日間と考えてもらえれば。短くなる事はあっても、それ以上延びる事はないはずだから」
「正直言ってまだ何とも言えないな。時間が取れるかもわからないし。それにその5日間をうまくやっていけるかは、僕と君の子供がそれぞれに判断する事だから」
「わかってる。だから、一度あの子に会って、それから判断してほしかったの」
「 わかった、とりあえず会うよ。ただ、会うけどいい返事は期待しないでほしい。
僕は子供と2人だけでいた事なんてないんだから」
「ありがとう」
僕はお気に入りのブルーの手帳を開き、今月のスケジュールを見た。
「今度の日曜は仕事だけど、その次の日曜なら空いてるよ」
「こちらもそれで大丈夫よ。日曜も仕事って、今は何をやってるの?」
「販売業。サラリーマンだった頃の先輩が独立するっていう時に、僕も一緒にって。生活雑貨やインテリアの店だよ」
「へぇ、意外ね」
「自分の力だけで仕事をするっていうのに興味があっただけで、別になんでもよかったんだよ。先輩も1人じゃ手を回しきれない部分があったけど、人を雇う力はなかったからね。
いつ給料を払えるかわからないくてもいいなら来いって言われて、2つ返事でOKしたよ。その頃はまだ実家で親に甘えていたから、生活はなんとかなるだろうって思ってたし」
「今、1人で生活してるって事は仕事がうまくいってるって事ね」
「お陰様で順調だね。バイトだけど、人も雇えるようになったし」
それから僕たちは、2つ先の日曜の昼頃にと約束をして電話を切った。
下心なんて何もないけれど、久々に彼女に会える事を嬉しく思いながら僕は地図を広げた。彼女の手紙にあった住所を探すと駅からそんなに離れてはいない。たまにはのんびりと
電車に揺られるのも悪くはない。電車で行く事にしよう。
カーテン越しの日射しに起こされ、ふと時計を見ると8時を過ぎた所だった。
今日は彼女の家に行く日だ。これからシャワーを浴び、コーヒーを飲んで着替えて家を出る。そして、15分程歩けば駅に着く。半分寝ている頭で時間の計算をしてみる。
カーテンを開けると、まさにスカイブルーという形容詞そのままの空があった。ゆっくりと動きだし、お出かけ、の準備に取りかかった。そして、準備が全て終わったのは自分の中で予定していた時間とぴったりだった。
そんな事に気を良くし、タバコを1本吸い僕は部屋を出た。
切符を買いホームで電車の時刻を確認し、彼女に電話を入れた。彼女は改札の前で待っているという。
電車に乗った僕は、流れていく景色を飽きる事なく眺めていた。途中、1本電車を乗り換えて気が付くと、もうすぐ彼女の待つ駅という所まで来ていた。
降り立った駅は小さくこじんまりとしてキレイだった。駅員さんがホームを掃除していて、僕と目が合うと、お疲れさまでした、と声を掛けてくれた。僕も、ご苦労様ですと挨拶をした。
小さな駅の小さな改札の前には数人の人がいた。彼女の顔は見当たらないが、こちらに背を向けた女性が2人いる。白いシャツの女性。きっとそれが彼女だと思った。
「お久しぶりです」
僕の予想は当たった。
「こちらこそ。随分、老けたでしょ?」
「それは、僕だって同じだよ。でも、全然変わってない」
「そう?享も、昔のまんま」
彼女は、昔の笑顔で僕を見上げた。
「子供は?」
「家で待ってる。お昼は、パスタでいい?」
「うん」
途中、焼き立てのフランスパンを買いにベーカリーショップへ立ち寄り、程なく彼女の家に着いた。彼女は車庫入れがうまくなっていた。
「何?ニヤニヤして」
「バックでの車庫入れがうまくなったなぁと思って」
「母子家庭ですから、1人でできないと誰もやってくれる人がいないのよ」
「いろいろと自立したんだね」
「そういう事。さ、どうぞ」
まだ新しい外観。インテリア雑誌に出てきそうなセンスの良い部屋。庭には、芝生が植え込んであり、白い大きな犬と男の子が遊んでいた。
「この家は、君の趣味でまとめてあるの?」
「基本的には、そうね」
僕と一緒にいた頃より、少し大人びた好みになっているようだった。でも、白を基調にした彼女の趣味はまだまだ健在だ。人間、基本的な部分はそう大きく変わらないのかだろう。もし、変わってもいつか元にもどるのかもしれない。
「ユウ、ママのお友達が来たから、ご挨拶して」
彼女はエプロンをしながら、外にいる息子に声を掛けた。彼は犬に何か話しかけて、ゆっくりと部屋に入ってきた。
「ちゃんと、ご挨拶して」
「こんにちわ。お邪魔します」
「・・・・こんにちわ。あいざわゆうです」
「たかすぎとおるです。よろしく。あの犬の名前は何て言うの?」
「ブルー」
「ブルー?青って事?」
「パパの大好きな空と海の色。パパはブルーに大好きな色をあげたの。僕には、羽」
羽?犬の名前の事は理解できたけれど、羽の事はよくわからなかった。昼食の用意をしている彼女に疑問符顔で助けを求めた。
「ゆうの名前はね、彼がつけたの。当て字なんだけど、にんべんに有無の有って字があるでしょ?それと羽で侑羽。人を助けられる優しい気持ちと自分の目標に向かって飛び立てる羽を持った人になってほしい。そう言う意味なんですって」
「だから、僕には羽、か」
「侑羽、もうすぐご飯だから、ブルーにもご飯とお水をあげて」
「はい」
侑羽は少し不器用に新しいドッグフードの袋をハサミで開けていた。
「貸してごらん」
僕はハサミを受け取り、袋を開けた。
「たくさん入っていてこぼすといけないから、僕がお皿に入れてあげるよ。侑羽は水を取り替えな。ブルー、噛みつくなよ」
「大丈夫だよ。ブルーは友達になれる人には吠えないってパパが言ってた。だから、享くんには噛みつかないよ」
僕はじっと侑羽の顔を見てしまった。
「なに?」
「いやさ、とおるくん、なんて親戚のおばさん以外に呼ぶ人なんていなかったからさ。ちょっとびっくりした」
「だって、高杉享くんでしょ?」
「そっか」
「ほらぁ2人とも何してるの?スパゲッティできたから、早くブルーにご飯をあげて手を洗ってきて」
僕と彼女はペペロンチーノ、侑羽はナポリタンだった。
「侑羽、お洋服汚さないように食べてね」
わかってるよ、と返事をしたものの、3口目にはTシャツにオレンジ色のシミをつけていた。
「あーもう、侑羽・・・・食べたら着替えよ。すぐに洗わないとシミになっちゃうから」
「ごめんなさい」
僕は2人の会話を耳にしながら、食事を楽しむ事ができた。
「なぁ、侑羽。侑羽は何色が好き?」
「青と白」
「やっぱり、君たちの子だね」
「ん?」
彼女は食後のコーヒーを入れている所だった。
「ご主人は青が好き。君は白が好き」
「そう言えばそうね。侑羽、水色は好きじゃないの?」
「水色は、青の1つだよ」
「頭いいなぁ、侑羽」
僕は侑羽の頭に手をのせた。侑羽は、恥ずかしそうに少しだけ笑った。
入れ立てのコーヒーとココアをテーブルに置き、彼女も席に着いた。バニラフレーバーのコーヒーからは、子供のような甘い香りが立ちのぼっている。
「ヘーゼルナッツは切らしちゃってるから、バニラで我慢してね」
フレーバーコーヒーはバニラよりヘーゼルナッツの方が好きだという僕の好みを、彼女は憶えていてくれた。
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