天使がいた夏 12

 「明日だな、ママが帰ってくるのは」
 僕たちは海に散歩に来ていた。夏の太陽はジリジリと照りつけてくる。時折吹く海風は湿っていて、汗を肌にこびりつかせるようだった。
 それでも僕たちは、それが当然と浜辺にいた。
 ひとしきり走り回ったブルーにミネラルウォーターをやり、侑羽はママに内緒のコーラを飲んでいた。先に飲み終えた僕は、空いた缶にタバコの灰を落としていた。
 「・・・・なぁ、侑羽、どうしてママと一緒に行かなかったんだ?」
 ふいの質問に侑羽は僕の顔を見た後、下を向いてしまった。
 「別に、言いたくないなら言わなくていいよ。ちょっと聞いてみただけだから」
 「僕・・・・」
 「侑羽、無理に話すな。絶対に言わなきゃいけない事じゃないんだから」
 「だって・・・・」
 「ん?」
 「・・・・ブルーがおばあちゃんちに行って・・・・僕がママと行ったら・・・・」
 侑羽の言葉はそこで途切れたが、僕はその先を問う事もなく海を見ながらタバコを吸っていた。
 「・・・・僕もブルーも・・・・いなくなったら・・・・パパが一人になっちゃう・・・・」
 予想通りの侑羽の言葉だった。
 「それは違うな」
 「どうして?」
 僕は短くなったタバコを缶に落とし、次のタバコに火をつけた。
 「パパはいつも侑羽とママを見てるよ。侑羽がママに内緒でコーラを飲んでるのだって知ってる」
 「パパ、ユウレイなの?」
 「ユウレイじゃないよ。いつも、ずっと侑羽とママが元気でいてくれる事を願ってるんだ。ママもそう言ってただろ?」
 「うん。でも・・・・僕のせいで・・・・パパは・・・・」
 「それも違う。いいか、侑羽、一度しか言わない。だから、ちゃんと聞け」
 侑羽は黙って僕の顔を見た。
 「パパが事故に遭ったのは、パパが死んでしまったのは、絶対に侑羽のせいじゃない」
 「だって・・・・」
 侑羽の目には涙が浮かんでいた。
 「泣いてもいいんだぞ、侑羽。泣きたい時は泣いていいんだ。我慢しなくていいんだ」
 だって、だって、と繰り返しながら侑羽はしゃくりあげていた。
 「さっき、僕が言った事は本当だ。神様に誓ってもいい」
 僕が笑ってみせると、侑羽はわぁんと声を出して泣いた。

 「侑羽は、大きくなったら何になりたい?」
 「パン屋さん」
 「パン屋さん?」
 「シロヤマパンのおじさんみたいに、おいしいパンを作れるようにないたい」
 「そっか。侑羽がパン屋さんになったら、必ず買いに行くよ」
 「とおるくんは、何になりたい?」
 「僕はもう大人だからなぁ。それに今の仕事も楽しいし。そうだなぁ・・・・できる事なら、タバコをやめたい、かな?」
 「パパもタバコやめようかなって言ってたよ」
 「そうなんだ?」
 「禁煙がんばるって」
 「じゃ、僕もがんばってみようかな。でも、自信ないなぁ、あはは。あ、よし、丁度いい」
 グッドタイミングでコンビニのゴミ箱を見つけ、僕はまだ半分以上残っているタバコを捨てた。
 「これで今日はタバコを吸えない。明日も買いに行かなきゃ吸えない。これでやめられるといいけど」
 「がんばれ、とおるくん」
 「努力するよ」
 海で侑羽に話した事は彼女に頼まれたからじゃない。僕が侑羽を変えられるとも思っていない。
 ただ、一緒に生活をして、ずっと侑羽を見てきて、侑羽には重すぎる足枷だと思ったから。ただ、それだけだった。
 きっと彼女も同じ事を言っただろう。でも、親子という深い絆が逆に侑羽の心に届かせなかったのかもしれない。
 侑羽を思う彼女。彼女と父親を思う侑羽。どちらも不器用に優しすぎるのかもしれない。


 「ただいまぁ!道が混んでたから遅くなっちゃった。わぁ、いい匂い。今日はカレー?」
 電話で伝えられていた時間より、1時間程遅れて彼女が帰って来た。
 「おかえり。ほとんど侑羽が作ったんだよ」
 「本当に?」
 「初めて包丁で切ったよ」
 「何を切った?」
 「じゃがいもとにんじんとなすとトマト。じゃがいもとにんじんは皮も剥いたよ」
 「すごいじゃん、侑羽!夏野菜のカレー?ママ、楽しみだな」
 「これからサラダを作るから、荷物を片づけてていいよ」
 「そう?じゃ、お言葉に甘えてっと。侑羽、ママお腹ペコペコだよ。がんばって作ってね」
 なすとトマトのカレーとサラダ。豪華でも何でもないフツーの夕食。彼女はおいしいと絶賛し、おかわりをした。
 「ママが作るのより全然おいしい。何が違うのかなぁ。ちょっと悔しいな」
 夕食の後片づけは彼女がしている。僕と侑羽はお土産のお菓子をつまみながら、彼女の撮ったポラロイドの写真を見ていた。
 「お天気は最高でね。海もキレイだし、空気や時間の流れがこっちよりもゆっくりしてる。心のお洗濯って感じだったわ」
 「こっちは一度すごい雷が鳴ったよ。近くに落ちたらしくて、15分位停電になった」
 「本当に?夜?」
 「午後。さすがにブルーも怖がってたよ」
 「侑羽は?」
 「僕も怖かったよ。お昼寝から起きたら、暗くてすっごい雷だったから」
 僕が明日帰るからと、少しだけ夜更かしをした侑羽が寝た後、僕と彼女はビールを片手に彼女の不在の時間の話をしていた。
 「思ったよりもうまくやってこれたと思うよ。僕が叱らなきゃいけないような事もなかったし、僕も楽しかった」
 「それは何より。多分、大丈夫だろうなと思ったから、電話も入れなかったわ。何かあれば電話が来るだろうし。それに、私から電話は入れない方がいいような気もしたしね」
 海での事を話すと彼女は、ありがとう、と笑っていた。
 「きっと私じゃダメなのよ。私はあの子の母親だから。かといって誰でもいいわけじゃない。うちの母親がね、それとなく言った事があったけど、侑羽、黙って下を向いてただけだった。泣きもしなかった。だけど、亨の前では泣いた。 私ですら、もう何ヶ月も侑羽の涙を見てないのに。亨の前であの子は抑えてた本当の気持ちを涙にして出した。他の誰でもない、亨、あなたにしかできない事だったんだと思う」
 「大げさだよ。侑羽は優しいんだ。抑えてたのは、自分を責めていただけじゃなくて、君を気遣っていた所もあったんだと思うよ」
 「随分、他人行儀ね。私のお腹の中にいたくせに」
 ばかね、と言いながら彼女は1本目のビールを飲み干した。
 「男同士だからさ」
 「またそれ?何だか、ムカツク」
 立ち上がった彼女は冷蔵庫から2本目のビールを出し、棚に隠しているタバコを吸いだした。
 「禁煙したんでしょ?あげないわよ」
 「結構です。今の所は平気だから。でも、部屋に買い置きのタバコが1カートン残ってるんだよなぁ」
 「全部、捨てちゃえ」
 「捨てなくても、吸わなきゃいいんだろ?」
 
 
 
 
 
                                  
 
 
 
 
 
 

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