「亨」
「ん?」
「本当にありがとう。こう言っちゃなんだけど、その時まで忘れていた亨に思い切って連絡してよかった。どうしてふいにその時に思い出して、亨ならって思ったのか自分でもわからないけど。でもやっぱり、亨じゃなきゃダメだったんだね」
「偶然だよ。すべては偶然」
「偶然でも何でもいいわ。あの子は、自分の中で押し潰していたものを外に出せた。亨も少しは侑羽との生活を楽しんでくれた」
「君は仕事を兼ねたプチバカンスを満喫できた、だろ?」
「へへへ。その通り」
「本当に楽しかったよ。侑羽とはいい友達だ」
「禁煙も決意させてくれたし?」
「その通り」
翌日、庭や海で彼女が僕と侑羽とブルーの写真を撮ってくれた。
僕が持ってきたあの黄緑色のTシャツは侑羽のお気に入りになれたらしい。ピスタチオグリーンという色だと彼女は言っていた。
海と空の青と白いブルー、侑羽のピスタチオグリーン。夏の爽やかさを象徴しているようだった。
「写真が出来たら送るわ」
「うん、楽しみにしてるよ。侑羽、またな。何かあったら、いつでも電話していいからな」
「そうなの?」
「僕たちは友達だろ?」
「うん」
侑羽の頭に手をのせると、侑羽は笑ってうなづいた。
「じゃ、また」
「うん。ありがとう。暇があったら、また遊びに来て」
「ああ」
僕は車のドアを閉めた。僕に向かって手を振る侑羽と彼女に短くクラクションを鳴らし、車をスタートさせた。
そして、僕の今年の夏休みは終わった。
朝起きて仕事に出掛けるといういつも通りの日常に戻り忙しさと疲れがあるものの、僕は以前通りのそれなりに楽しい毎日を送っていた。
そして、侑羽と約束して以来、タバコは吸っていない。そんな僕に先輩は、タバコ嫌いの彼女でもできたか?と冷やかしてきた。
彼女から写真が届いたのは、10月に入ってからだった。
写真の中の侑羽も僕も笑っている。
先日まで夏の名残があったのに、今はもうシャツの袖は手首まである。でも、写真の中は夏だった。
やっぱり、どこにでもいるフツーの子供なんだよな、侑羽は。
僕は写真を眺めながらそう思った。
高杉 亨 様
ご無沙汰してしまいましたが、お元気ですか?
写真はとうに出来上がっていたけど、送れずに今になってしまいました。
ごめんなさい。
先月、侑羽が交通事故で亡くなりました。
事故当時その場にいた人の話では、侑羽はブルーのリードをポールに縛り付け その後に車道に飛び出したそうです。
別の人の話では、犬が大声で吠えたので振り返ると、繋がれたブルーが車道に 走り出す勢いで吠えていて、その先に侑羽がいたそうです。
車道への急な飛び出し事故。
警察では、そう処理されました。
でも、私は事故だとは思っていません。
すべて侑羽の意志だったのだと思います。
本当に事故なら、ブルーが追いかけて来ないようにはしないでしょ。
侑羽が逝ってしまう前日もその朝も本当にいつも通りで、あんな事がなければ記 憶に残らないほどのいつも通りでした。
ただ、あなたの事を話していました。
どうしてるかな、とか、お仕事してるかな、とか。
「ママととおるくんは、ずっと友達だよね」って。
侑羽ととおるくんもずっと友達でしょ?って、私が聞き返したら侑羽は嬉しそうに笑 っていました。
自分の行きたい所へ行けるようにと彼がくれた羽で、侑羽は彼の許へ飛び立ち ました。
人の体に羽だから、天使って事かな?
自分の子供を天使なんて言うのは、少し親バカかしらね。
侑羽が逝ってしまう事をいつから決めていたのかわからないけど、写真を送る話 をした時に自分も手紙を書くと言って預かっていた侑羽からの
手紙も同封しまし た。
背の高い彼がいなくなって、広く感じていた家がますます広く思えます。
私とブルーには、広すぎる家です。
よかったら、またブルーを散歩に連れて行ってあげてください。
相沢 美沙
PS 亨 ありがとう。亨には本当に感謝しています。
3枚の便箋に綴られた彼女の手紙の後ろに侑羽からの手紙があった。
とおるくん ともだちになってくれてありがとう
子供特有の字になってないような字でそう書いてあった。
4枚の手紙と写真を封筒に戻し、僕は捨てずにそのままにしてあった買い置きのタバコを取り出し、火をつけた。
吐き出した煙の先には、秋の青空が広がっていた。
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