天使がいた夏 11

 「とおるくん、朝だよ」
 「・・・・ん?ああ・・・・おはよ、侑羽」
 「おはよ」
 「今、何時?」
 「7時半」
 「やばっ、寝坊だ。ママ、怒ってた?」
 「別に。ご飯ができたから起こしてきてって言われただけ」
 「わかった。顔を洗ってから行くよ」
 リビングへ入ると、みそ汁のいい匂いがしていた。
 「すみません。寝坊です」
 「大丈夫。私も少し寝坊したから。ご飯でいいよね?」
 「ああ、うん」
 席に着くと、炊きたてのご飯が僕の前に出てきた。
 「朝食なんて、久しぶりだな」
 「一人暮らしじゃ、朝なんて食べない人が多いもんね」
 「作って食べるくらいなら、寝てるよ」
 「さ、食べよ」
 朝食の後片づけは僕が担当し、その間に彼女は出掛ける最後の準備をしていた。そして、申し訳ないけどよろしくね、と彼女は迎えの車に荷物を積み出発した。
 侑羽とブルーとで彼女を送り出してしまうと、僕は何をすればいいのかわからなかった。
 「何をしようか、侑羽?」
 「何でもいいよ」
 「うーん、そうだな・・・・あ、そうだ!侑羽が作った地図、あの地図で近所を案内してくれよ」
 「いいよ」
 「よし、決まりだ」
 こんな感じで、僕と侑羽の2人暮らしは始まった。


 ブルーを連れて散歩に行ったり、スーパーへ食料品を買いに行ったり、ブルーも一緒にドライブに行ったり。
 なかなかうまくやっていけてる。
 僕はそう思っていたけれど、やはり外へ出た時に見かける同じくらいの年の子供と侑羽は何となく違うような気がした。
 3日目の午後だった。
 急に空が暗くなり始め、雨が降るかと思いブルーを中に入れようとするとどこか遠くで雷の音が聞こえてきた。
 空の暗さは急激に増し、まだ3時半だというのに本当の夕方のように部屋の灯りをつけなければならないほどになっていた。雷の音もどんどん大きくなっている。稲妻がその度に一瞬だけ部屋の中を鮮明に見せていた。
 「大きな雷になるぞ、ブルー。停電になったら、大変だな」
 不安そうに空を見つめるブルーに僕は声を掛けた。寝始めたのがいつもより遅かった侑羽はまだ昼寝から起きてこない。
 とうとうものすごい雷になった。ブルーは怖がって、僕の傍にくっついている。
 バタバタバタ、と普段あり得ないような足音がして、リビングのドアが開いた。
 「とおるくん、雷・・・・」
 「うん、すごいな。こんなにすごいのは久々だよ。怖いか、侑羽?」
 「うん」
 「じゃ、何か楽しい話をしようか」
 僕は自分の子供の頃の話を始めた。
 「とおるくんは、お姉ちゃんがいるの?」
 「うん。3歳年上で、今は小学校3年生と1年生の女の子のママだよ」
 「とおるくんは?」
 「結婚はしてないよ。だから、まだパパじゃない」
 「ふーん」
 田舎の祖父の家に行き、いとこたちとカブトムシやクワガタと採りに行った事。運動会で転んで1番を取れなかった事。七夕の短冊にTVに出たいと願い事を書いた事。
 怖がる侑羽のために話し始めたのに、遠い記憶は僕自身を楽しませていた。
 その時、ものすごい音と同時に地響きがした。
 「どこかに落ちたな」
 「雷?」
 「うん。ついでに停電だ。困ったな、冷蔵庫のアイスが溶けちゃう」
 「えー!?」
 「じゃ、溶ける前に食べちゃうか?」
 「うん!」
 今日のおやつにと買っておいたアイスを僕たち3人は並んで食べた。外は雷だけでなく、3m先も見えないほどのどしゃ降りの雨だった。
 「侑羽はさ、幼稚園に好きな女の子はいる?」
 「まゆちゃんもひなちゃんもなおちゃんも好きだよ」
 「で?一番好きなのは?」
 「・・・・まゆちゃんかな」
 「あはは、そっか。まゆちゃんはどんな子?」
 「いつも赤いゴムで髪の毛を2つにしばってる」
 「まゆちゃんは、侑羽の事をどう思ってるのかな?」
 「知らない。聞いた事ないもん」
 「そか。まゆちゃんも侑羽の事好きだといいな。幼稚園ってさ、グループになって座るだろ?」
 「うん。僕はいるかグループ」
 「お?同じだ。僕もいるかグループだったよ。でさ、好きな女の子がくじらグループで。その子が同じグループの男の子と仲良くしてるのを見ると何か悔しかったよなぁ」
 「何ていう名前の子?」
 「さとうまきちゃん。笑った顔がかわいい子だったよ。今、どうしてるのかなぁ。もう結婚してママになってるんだろうなぁ」
 滅多にアイスなど食べない僕に、小さなバニラビーンズは遠い記憶を更に甘く懐かしい物にしてくれた。
 「ねぇ・・・・ママの事も好き?」
 僕は一瞬、ドキッとした。
 「あ、ああ、好きだったよ。今でも好きだし。僕の大事な友達だよ」
 侑羽は、何を言わんとしているのだろう・・・・
 「ママととおるくんは仲良しだもんね」
 「そうだよ。そうじゃなきゃ、侑羽と一緒にいてくれなんてママは頼まないよ。侑羽と僕は友達じゃないのか?」
 「友達だよ」
 「それと同じ事だよ」
 使ったスプーンを洗っている頃、空には夏の夕方の日射しが戻っていた。
 「とおるくん、虹が出てるよ!」
 空に大きく色鮮やかな弧を描く虹を見つけた侑羽は、嬉しそうに僕を振り返った。

 
 
 
 
 
                                  
 
 
 
 
 
 

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