砂の城 4/6
 村上ゆき。僕より1つ年上の27歳。2月の雪の日生まれ。
 中学の時に父親の運転する車が事故に遭い、両親と姉を亡くす。 奇跡的に助かった彼女は、父方の祖母の許で暮らすが高校を卒業する直前にその祖母も他界する。
 短大に進学が決まっていた彼女は上京し、父の弟である叔父夫婦と暮らす。事業家だった叔父は事業拡大のため、彼女が就職した翌年に叔母と海外に定住してしまう。 叔父夫婦が日本に戻って来るのは冠婚葬祭時のみ。
 2年前に体調を崩し会社を辞め、それから半年ほど前まで派遣で仕事をしていたが今は特に仕事はしていない。現在、叔父夫婦のマンションに一人で暮らす。
 これが簡単な彼女の経歴。
 「天涯孤独なの」と彼女は笑って言った。

 僕たちを包む時間のベクトルは良い方向に進んでいき、僕は「早川さん」から「直人」に、彼女は「村上さん」から「ゆき」へと変わって行った。
 僕は休みの前日は必ずと言っていいほど、ゆきの部屋に泊まっていた。
 でも、なぜかゆきは僕の部屋には泊まろうとはしなかった。”人の部屋で寝るのは落ち着かない”というのがゆきの理由だった。 自分の本当の居場所がなくなったトラウマかなと思った事もあったが、ゆきの部屋から店まで10分という楽さに惹かれ、僕は無理強いする事もなかった。

 9月の最初の水曜日。僕たちは海にいた。
 ”海が見たい”とゆきが言い出したので、次の休みに天気がよかったら海を見に行こうと約束したのだ。
 9月の海は人もまばらで、夏の名残のように揺れる波が乱反射していた。
 僕たちは並んで砂の上に座り、海を見ていた。静かな海だった。
 車にタバコを忘れた事に気付き、ついでに飲み物を買ってくると僕はゆきを残し車へ戻った。
 車を止めた道路向に自動販売機があり、その隣には昔からここで商売をしていたというような風情の小さな店があった。 僕は迷わずその小さな店に入り、缶コーヒーとラムネを買った。ラムネの瓶はもうガラスではなくプラスチック製になっていたが、中にはちゃんと透明なビー玉が入っていた。
 支払いを済ませると店のおばさんがラムネの口を指し、ここを回すとフタがとれてビー玉が出せると教えてくれた。
 海へ戻るとゆきは波打ち際にいた。そっと近づくと、ゆきは波に砂をさらわれながら何度も砂山を作っていた。
 「そんな波が届く所じゃ、すぐに崩されちゃうよ」
 「・・・・うん、でも、いいの」
 ゆきは顔を上げずに答えた。
 「どうしてすぐに崩れちゃうんだろうね。波が来てもさらわれないように固くしてるつもりなのに」
 「波の力が強いんだよ。砂が弱いわけじゃない」
 「そっか。でも、崩れるのってあっという間だよね」
 ゆきは無表情に言った。
 僕は時々、ゆきがわからなくなる時がある。
 空から落ちる雨を黙って見つめているゆきは、中身がどこかに行ってしまったように無表情でじっと動かない。今のゆきもその時と同じ顔をしていた。
 そんなゆきを見る僕は、理由のない不確かな不安にゆきから目をそらしてしまう。
 「ラムネ、買ってきたよ。中のビー玉が出せるんだって」
 「へぇ、そうなんだ。ラムネに入ってるビー玉って透明で好き。お祭りで買ってもらったビー玉は中に模様が入ってるのしかなかったし」
 「お祭り?」
 「うん。小学生の時。お姉ちゃんとお揃いの浴衣で。お姉ちゃんは赤い帯で、私は黄色。お父さん、金魚すくいがうまくいかなくて一人でむきになって何度もやってた。お母さんなんか、2匹もすくったのに」
 「めずらしいね。ゆきが自分から子供の頃の話をするなんて」
 「そう?だって、もうみんないないんだもん。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも。おばあちゃんだって。みんな、この砂山みたいに崩れてどこかに行っちゃったんだもん。どうして、私は行けなかったのかなぁ・・・・」
 「・・・・ゆき」
 「あ、ごめんね。いい年して感傷的になってしまいました。小学校4年生の時まで海の近くに住んでたの。お父さんの仕事で引っ越すことになっちゃったけど。こうやってね、お姉ちゃんや友達と砂山を作って遊んでたの。それを思い出しちゃって。でも、フシギね」
 「何が?」 
 「子供の頃の思い出って楽しい思い出だけど、哀しい色がついちゃってるのね。でも、直人には普通に笑って話せる」
 「ゆきのお父さん、お母さん、お姉ちゃん、おばあちゃんにはかなわないかもしれないけれど、僕は僕なりにゆきを大切に思ってるよ」
 「うふふ。そんな風に面と向かって言われると照れちゃうな」
 「ゆき」
 「なぁに?」
 「僕とゆきなら、崩れない砂山が作れると思うよ」
 「さて、どうでしょう」
 「山じゃ住みにくいから、お城にでもしようか?」
 「砂の城?雨が降ったら、崩れてホームレスになっちゃう」
 「それは、困るなぁ」
 僕たちは肩を寄せ合って笑った。ゆきの細い肩に腕を回す。僕は心の底からゆきを愛しいと感じた。
 

 
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