砂の城 2/6
 演奏を終えた佐伯がカウンターに戻ってきた。
 「ご満足頂けましたか?」
 「すごく良かったです。わざわざ、ありがとうございました」
 「ご満足頂けて光栄です。今度の水曜に僕の学校の定期コンサートがあるので、よろしければ来てください。僕も出ますから」
 そう言って、佐伯はカウンターの端に置いたコンサートのリーフレットを彼女に渡し、奥の常連マダムの前に戻って行った。
 「あいつね、ちゃらちゃらしてるように見えるけど、あれで結構実力があるみたいなんですよ。 定期コンサートって、学内選抜らしいんですけど、佐伯は去年もでてましたし」
 「そうなんですか」
 彼女はゆっくりと佐伯の方へ視線を延ばした。
 「あの・・・よろしければ、コンサート、一緒にどうですか?」
 何でもないようなフリをして言ったけれど、内心はドキドキだった。
 「え?!」
 彼女の二度目の驚いた顔。
 「あ、いや、無理に誘ってるわけじゃないんですよ。一人で行くのも何となく帰りが淋しいな、と思って」
 注ぎ足された紅茶に瞳を落とした彼女が映っていた。
 「気にしないでください。水曜は定休日だし、もともと一人で行こうと思ってたから。バイトの子たちも行くような事を言ってたから、会場で会うかもしれないし。すみません、本当に」
 「あ・・・いえ・・・」
 ・・・・ちょっと、ショック。
 それまでめずらしく客の出入りがなかったのに、急に店が忙しくなり気まずくなっ
てしまった彼女と話す事ができなまま、彼女は店を出ていった。
 もう来ないかもな。はかない恋 だった、と僕は自嘲した。  
 

 月曜日。ヴァイオリンでのアリアの話なんて忘れているだろうし、僕の事もあるから彼女はもうここへは来ないだろう、と思う反面、もしかしたら・・・と胸は期待でいっぱいだった。
 プチマダムのような品のいい二人組の女性客の注文を取り、カウンターへ戻ると彼女がやってきた。
 「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
 彼女は僕と視線が合うと少し気まずそうに店内を見渡した。彼女のいつもの席は空いている。きっと、そこに座るだろう、と思っていたが彼女は僕のいるカウンター席に座った。
 「いらっしゃいませ。今日はお天気でよかったですね」
 「ええ。カフェ・オ・レをホットで。バニラフレーバーのコーヒーでお願いします」
 「バニラでカフェ・オ・レですね。少々お待ちを」
 彼女がコーヒーを注文するなんて驚いたけれど、僕はポーカーフェイスを決め込んだ。そして、演奏担当の女の子に曲を”G線上のアリア”に差し替えてくれるよう頼んだ。
 できあがったカフェ・オ・レを彼女の前に置くと、彼女は軽く頭を下げ、”すみません”といつものように小声で言った 。
 幸か不幸か、演奏が終わるまで僕はちょこまかと動くことになり彼女の前にいる事はなかった。そして、一段落ついてカウンターに戻ると彼女の方から話しかけてきてくれた。
 「アリア・・・ありがとうございます」
 「約束ですから」
 「すみません・・・」
 僕は、いえいえ、と笑って首を振ったが、それ以上何を話していいかわからず黙ってしまった。彼女もカップを見つめているだけだった。
 「・・・あの・・・」
 先に口を開いたのは彼女の方だった。
 「はい?」
 「あの・・・あさってのコンサート・・・一緒に・・・・お願いできますか? 」
 本当に驚いた。この事については、僕はもう触れるつもりはなかったのだから。
 「いいですよ。最初にお誘いしたのは僕の方なんですから」
 「すみません。一緒に行ってくれるような友達がいなくて・・・。一人では何となく、行きにくいような気がして・・・」
 「じゃあ、一緒に行きましょう。あの、先に一ついいですか?」
 「何でしょう」
 「ご主人とか彼なんかはいませんよね?いくらコンサートでも、誤解をされると迷惑をかけてしまうから」
 善人ぶって、僕はいやなヤツだ。
 「結婚もしていませんし、付き合ってる人もいませんから大丈夫です」
 ラッキー。
 「じゃあ、どうしようかな。携帯の番号を聞いてもいいですか?僕のも教えますから」
 急に勢いづいた僕だったが、彼女はうつむいてしまった。
 「すみません。図々しかったですよね。待ち合わせは決めておいても、携帯番号は知ってた方が便利かな、と思ったんで」
 彼女は気まずそうに笑いながら髪に手をやり、答えた。
 「いえ、そういう事ではなくて・・・。私、携帯・・・持ってないから・・・」
 「あ、そうなんですか?今時、みんな持ってるから当然持ってるかと思ったんで」
 また、彼女の表情が沈んだ。どうやら、僕はひどく失礼な事を言ったようだった。
 「・・・私・・・友達があまりいないんで・・・・」
 「いや、すみません。僕が無神経にポンポン言ったものだから。ばかにしたつもりはないんです。本当にすみません。じゃ、僕の自宅と携帯の番号を教えておきますね」
 僕はコースターの裏に名前と電話番号を2つ書いて、彼女に渡した。
 「お名前だけ伺ってもいいですか?」
 「村上です」
 「一人暮らしですから、家の電話には僕か留守番電話しか出ません。携帯は店にいる時は出られない事が多いので、申し訳ないけど電話は夜の10時以降にお願いしてもいいですか?当日の日中でもかまいませんから」
 「わかりました。明日の夜にお電話します」
 「じゃ、待ってます。もし、留守電の時は番号を言ってもらえれば掛け直しますから」
 「はい。じゃ、今日はこれで・・・」
 「ありがとうございます」
 僕たちはレジへ移動し、彼女はバッグから財布を出した。
 「今日は結構です」
 「え?どうしてですか?」
 「さっき、失礼な事を言っちゃったから」
 「でも・・・」
 「今日だけですから。お得意さまにたまにサービスしてもオーナーは怒りませんよ。って、言ってもオーナーはうちの親父ですけどね」
 「すみません。ありがとうございます」
 「じゃ、電話、待ってます」
 「わかりました。じゃ、失礼します」
 ありがとうございました、と僕は顔を店長に戻し彼女を見送った。
 

 
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