Believe you 52

 驚いて固まる慎。どれ程の衝撃なのか、私にも手に取るようにわかる。
 「・・・本当・・・なの?それ・・・」
 「・・・うん。土曜日、病院に行って来た」
 ベッドに座っていた慎は下を向いてしまった。
 そうだよね、ショックだよね。困るよね。私もわかるよ、慎の気持ち。
 慎の様子を見て少なからず期待していた自分が惨めに思えてきた。そして、その期待はパーンと音を立てて割れたような気もした。泣くな、真由。泣いちゃダメ。
 私も慎も黙ったままだった。時計の秒針の音で時間が止まっていない事がわかる、そんな沈黙だった。
 「堕ろすしかないよね。堕ろした方がいいよね」
 私がそう言えば、慎は一時の罪悪感だけで済むのだろうか。でも、ごめんね、慎。言ってあげたいけど、言えそうにないよ・・・
 「真由、真由はオレと結婚って考えた事ある?」
 オレはないけどね。私にはそう聞こえた。
 「ないって言ったらウソだね。ただ、ずっと一緒にいたかった」
 慎は?訊きたかったけれどその気力も薄れてきていたし、目に涙が溜まってきてこれ以上口を開いたら零れそうだった。
 「真由は、子供をどうしたい?」
 「私がどうしたいかじゃなくて、慎がどうしたいのか教えて。それを聞いたら、帰るから」
 「どうして?」
 「だって・・・じゃ、慎は私の意見を聞いてどうするの?」
 「どうするのってどういう意味だよ?オレと真由が2人で考える事だろ?そのために今ここにいるんだろ?違うか?」
 慎の少し強い口調に涙がボロっと零れてしまった。
 怒らないでよ、慎。私を責めないでよ・・・
 泣かないでいようと決めていたのに、私は限界だった。慎は何も言わず座ったままで、私に手を伸ばす事もない。これが・・・これが慎の答えなんだね。
 「もう一度訊くけど・・・真由はどうしたい?」
 「・・・もう帰りたい」
 「そういう事じゃなくて、子供を、だよ」
 「わかってるわよッ・・・産んであげたいよ。生きてるんだよ、お腹の中で。小さくてもがんばってるんだもん。何も悪い事をしてないのに、堕ろすなんて・・・殺しちゃうなんて可哀想・・・でも、慎の事を考えたら、一人でどこまでがんばれるか自信ないよ」
 「真由・・・」
 「もう・・・どうしていいかわかんないよ。慎に話さないままでいようかとも思った。でも、一人じゃどうしていいかわからなくて・・・自分の事すら決められないなんて、最悪よ」
 「どうして、オレに黙っていようと思ったわけ?」
 「そんなの・・・今の慎の顔が簡単に想像できたからよ。また向こうに戻る慎にとって、いい話じゃないもの。そうでしょ?」
 私は恨みがましく慎を見た。
 「私だって、自分で結論を出してから慎に言いたかった。でも、答えが出せなかったの。堕ろすのもイヤ。一人でがんばる自信も今はない。・・・金曜の夜にもしかしたらと思って妊娠判定薬を使ったら、陽性。もう目の前が真っ暗よ。 でも、もしかしたら間違いかもって土曜に病院に行ったら、妊娠してるって。もう何も考えられなかった。私の気持ち、わかる?・・・でも、もういい。慎の返事はわかったから。あとは私一人で考える」
 「オレの返事って?」
 「困ります。顔にそう書いてあるよ。当然だけどね・・・私、帰る。戻ってからもがんばってね。遠くから応援してる」
 私が立ち上がろうとすると、慎が腕を掴んできた。
 「オレはまだ何も言ってないだろ?」
 「じゃあ、お訊きしますが、あなたにとって嬉しい事なんですか?」
 涙は止まり、落ち着いたというより慎に冷たい私になっていた。
 「デキたって言われた時は、死ぬほどびっくりしたよ。このまま日本にいるわけにもいかないし・・・」
 「そりゃ、驚くでしょ。私だってそうだったんだから。で、さっきの質問の返事は?答えにくい?」
 「真由・・・」
 「答えにくいのも、一つの答えよね。だから、もういいって言ったのよ」
 「勝手に決めるなよッ!そうやって勝手に決めるなら最初からオレに言わなきゃいいだろッ?!」
 初めて、慎に怒鳴られた・・・
 「じゃあ、慎は?ちゃんと言ってよ。さっきから慎は、どうしてほしいのか、どうしたいのか一度も言ってないじゃない?堕ろしてくれって言えばいいじゃないのよッ!」
 私はもうキレていた。そして、また涙が溜まってきた目で慎を睨んだ。
 「いい加減にしろよ。オレだって考えてるよ」
 「お願いだから・・・もう私を責めないで・・・」
 「真由、責めてるつもりなんてないよ。真由が悪いわけじゃない・・・オレは、すぐに向こうにもどらなきゃいけない」
 「そんな事、念を押されなくてもわかってるから」
 「真由は産みたいって思ってるんだろ?」
 「そうしてあげたいけど・・・」
 「オレが本格的に日本に戻るのは、早くてシーズン終了後の5月後半」
 「だから、わかってるって言ってるでしょ?何度も同じ事を言わせないで」
 「さっきオレに嬉しい事なのかって訊いたけど、正直、嬉しいって気持ちは起こらなかった。驚いたのとどうしようってしか思えなかった」
 「それもわかってるわよ」
 私はなげやりにしか答える事が出来なかった。そして、無意識のうちに心の中で慎を責めていた。
 「真由、オレがいなくてもがんばれるか?」
 「どういう意味?これで終わりって事でしょ?それならそれでいいけど、遠回しに言われるこっちの身にもなってよ。イヤな言い方しかできてないけど、慎を責めるつもりはなかったし・・・慎には無理だってわかってたから・・・ だから、最後にフツーに話せるうちに慎の車に乗りたかったの、昔の写真が見たかったの。楽しかった事を1つでも増やしておきたかったの・・・慎、私からの最後のお願い。ちゃんと言ってちょうだい。その方がスッキリするから・・・」
 「わかった」
 私は目を閉じ、慎と向かい合って交わす最後になるだろう、その言葉を待った。
 「真由・・・結婚しよう」
 結・・・婚・・・?私は自分の耳を疑い、慎の顔を見た。
 「責任をとるためにこんな事を言ったんじゃない。5月に帰ってきた時、タロウと公園に行っただろ?本当はあの時に言おうかと思った。でも、仕事をがんばってるみたいだったから、今は言わない方がいいって思って待っててほしいって言った。オレが考えてた事は、すぐに向こうに戻って5月まではそうそう日本には帰れない。契約を打ち切って今すぐ日本に 帰ってくる事はオレにはできない。言葉も通じないお腹に子供もいる、そんな真由を連れて行っていいのか、それとも日本に残すのかって事だよ」
 「慎・・・慎は本当にいいの?後悔しないって言えるの?」
 「さっきも言ったけど、正直嬉しいって気持ちはなかった。でも、堕ろしてほしいなんて一度も思わなかったよ」
 「本当に?本当にいいの?!」
 「いいよ」
 気が動転している私の横で慎は笑っていた。
 「フツーに恋愛して、プロポーズされて結婚して、奥さんになってママになる。真由の理想とは順番が逆になっちゃたな・・・今度はオレが訊くけど、真由は後悔しない?」
 「当たり前じゃない・・・慎と、だよ・・・今更、何言ってんの・・・」
 慎に抱き寄せられ、私は泣いた。安心と嬉しさの涙は慎のシャツを濡らしていった。
 
 「オヤジも帰って来たみたいだから、下に行って話してくる。その間、真由も電話で話しておいて。オレのケータイ使ってかまわないから。あとで呼びに来る」
 緊張するなぁと慎は部屋を出て行った。私もドキドキしながら、実家に電話を入れた。
 「はい、田辺です」
 「・・・あ、お父さん?帰ってたんだ」
 「何だ、何か用か?」
 「あ、あのね、私・・・結婚・・・する事にした。赤ちゃんが・・・できたの」
 「まぁ、お前もそういう年だしな。いいんじゃないか」
 拍子抜けする、あっさりした返事だった。
 「で、相手はどんな人だ?」
 「うん・・・ね、ワールドカップバレー見た?」
 「ヨシが毎日見てたから、だいたいはな。それがどうした?」
 「それに出てた人」
 「ワールドカップに?!」
 娘が妊娠して結婚する事より、相手がワールドカップのメンバーという方に驚いていた。お父さんは私が慎の事を話す間、相づちだけで黙って訊いてくれた。
 「事情はわかったし、お父さんは反対するつもりもない。でも、忙しいからって一度も顔を合わせないっていうのは非常識だぞ」
 「うん。慎のお父さんたちの都合を聞いてみるけど、明日そっちに行けるかな?」
 「時間を言ってもらえば、家にいるようにするから。向こうの親御さんは、お前の事を何て言ってるんだ?」
 「これから会う」
 「慎くん、か?慎くんが日本にいない間はどうするんだ?ずっと一人暮らしをするつもりなのか?」
 「同居させてもらおうかと思ってる。仕事はギリギリまで続けるつもり。お母さん・・・怒るかな?」
 「心配はするだろうけど、怒らないだろう。ま、フツーの相手じゃないっていうのは気になるけどな。そちらの親御さんに会ったら、今日中に電話して来い。その間に、お母さんは、話しておくから。真由・・・」
 「何?」
 「よかったな」
 「お父さん・・・」
 「いい人なんだろ?その慎くんは?」
 「うん」
 「泣くな。じゃ、電話待ってるから」
 「お父さん、ありがとう・・・」
 子供が先で結婚になった事、慎の事、もっといろいろと言われるかと思っていた。でも、お父さんは何も言わずに許してくれた。ありがとう、お父さん。
 慎が部屋を出てから30分が経つのに、まだ私を呼びに来ない。相当、もめているのだろうか?私じゃダメって事なんだろうか・・・
 不安なまま、時間が過ぎていった。テーブルに置いたままのアルバムをめくり、溜息をつきながら慎を待っていた。
 慎がドアを開けたのは、それから10分後の事だった。
 「遅くなってごめん」
 「反対された?」
 「反対はないけど、どうするんだ?の質問責め。向こうに戻るのを1日伸ばすって電話を入れたら、そっちからはお目玉もらったけど。真由は何て言われた?」
 「よかったなって。慎のお父さんたちに今日会うって言ったら、今日中にもう一度電話してこいって」
 「明日は、お父さんいるの?」
 「時間を言ってもらえばいるって。うちのお父さん、自分で事務所をやってるから、時間の融通はきくのよ」
 「じゃ、下に行くか」
 「こわいな・・・」

back            next            believe you