Believe you 51

 昼近くに起きてからパジャマのままコタツで横になり、ずっとぼんやり空を眺めていた。
 空は青い。コーくんはあったかい。明日から12月か・・・
 気分はどんどん重くなるのに私は核心に触れる事を避けていた。コタツでコロコロしながらどうでもいい事を考え、気が向くと昨日コンビニで買い込んだ物をつまんでいた。
 もう一つクッションを、とソファの上のクッションを引っ張るとパサッと何かが落ちた。
     「ママ、よろしくね」
 病院でもらった冊子だった。思い切り肩を掴まれ、現実に突き落とされた気分だった。
 どうしようと悩む私。悩んでも一人じゃ答えは出せないと半分開き直る私。でも、もしかしたら慎なら、と少しだけ期待する私。泣きたいのに涙が出てこない。いろいろな思いがグルグル回って、しまいには吐き気までしてきた。
 つわり?!そんなバカな。悩みすぎると頭痛じゃなくて吐き気がしてくるのなんて、いつもの事じゃない。今、一人で悩んで答えが出るの?出せるの?
 今は、今だけは何も考えずにいようとして、はっとした。
 一人で悩んでも・・・?じゃ、慎に何て言うの?聞かされた慎はどんな顔をするの?慎は何て言うの?私は慎をキズつけて、本当のお荷物になっちゃうの?!それなら、一人で・・・一人で決める?どっちに?産むの?産めるの?一人で育てていけるの?でも、堕ろすなんて・・・そんな・・・お腹の中でちゃんと生きてるのに!!
 頭の中が混乱してきて本当に吐きそうになり、トイレに駆け込んだ。でも、吐く事ができなかったから吐き気はおさまらない。ミネラルウォーターを飲み、またコタツに横になると涙が出てきた。やっと涙が出てきたと思ったら、それは堰を切ったように流れ私はクッションに顔を埋め泣いた。
 
 ワールドカップ日本最終戦が始まった。TVに映っているあの場所に昨日は見に行っていたのかと思うととても不思議な気がする。会場の照明が落ち、いつもの華やかなオープニングデモンストレーション。
 今日で終わりだね。今日も目一杯がんばっちゃうんだね。ワールドカップは手段として役に立った?試合にになったら夢中でそんな事考えてないね。とにかく今日で最後。がんばれ、慎。
 今までのような興奮も心配もなく、私は素直にTVを見ていた。すごくフツーに。
 私は、もう半ば諦めている。今の慎に受け入れてもらうには大きすぎる事だ。けれど・・・どこかで期待している。もしかしたら、慎なら、と。本当はどこかではなく、心の一番下で土台になっているのかもしれない。慎なら、と期待してしまう私は、慎の優しさにつけ込んだズルイ人間なのだろうか?
 もし、美幸や中川さんならどうなのだろう?テルくんや木村くんに何も期待しないのだろうか?お互いに好きで一緒にいた相手の子供を妊娠してしまったなら、みんなどう考えるのだろう?
 もし、慎に話して受け入れてもらえなかったら私は産む、産まないのどちらを選ぶのだろう?どちらを選んでもきっとつらいだろう。産む事を選んで、子供の顔を見ていれば私のつらさなどすぐに消えてしまうだろうけれど、その子はどう思うのだろう?父親に受け入れてもらえなかったと、消えないキズを作ってしまうのだろうか? それともこのまま慎には話さず、何とか一人で出してみようか。その選択肢もある。
 ゴチャゴチャと考えている間に1セット目が終わってしまった。19−25。全戦全勝のチームだけあって、相手に一歩も譲る事は許さないらしい。
 ちゃんと見ようと思ってたのに、見逃しちゃったなと床に手をつくと、あの冊子があり何となく手に取った。TVはCMが終わり、2セット目が始まった所だった。
 最初のページを読んで目をTVに向けると、慎のアタックが決まった所だった。チームメイトと喜び合う慎。
 慎は何も知らないからそんな風に笑えるんだよね。やっぱり、慎は知らない方がいい事なのかな。今時、シングルマザーなんて、めずらしくもないしね。
 一度TVに向けた目は離れなくなり、そこだ、決めろー、惜しいなど、一人で声を上げて応援していた。何の答えも見いだせず、それ以前に慎に話す事すら決められず、私はもうおかしくなりそうだった。TVに集中する事でかろうじて自分を持っていられるようなものだった。
 試合は0−3のストレートで負けてしまった。ワールドカップ全試合終了。お疲れさまでした。表彰式が映し出されていたがTVを消し、またあの冊子を手に取って読み始めた。ふーん、そうなの、と他人事のように。
 ページをめくっていくと、お腹の中で赤ちゃんが大きくなっていく様子がイラストで説明されていた。まだ形成しきれていない今の時期は胎芽と呼ぶらしい。私はじっとそのページを見つめた。
 人間の形になっていなくても、ちゃんと生きてるんだよね。今、私のお腹の中でがんばって生きてるんだよね。本当は・・・本当は産みたいよ。でも、一人でやっていく自信がない。慎、お願いだから助けてよ・・・
 そう、これが私の本音。いろんな理由をつけ、カッコつけて、言い訳して自分を誤魔化してきたけれど、自分がこういう気持ちだとわかっていた。でも、どうしていいかわからなかった。それに慎の事を考えると、ますますどうしていいかわからなくなっていった。
 今は泣く気力もなく、ただどうしようと開いたページを見つめる事しかできなかった。
 
 「お疲れさまでした」
 いつもより遅い時間に慎から電話が入った。
 「今日はストレート負け。完敗だよ。やっぱ、強かったっすね」
 「またオリンピックで会えるじゃない。その時に勝てばいいでしょ?」
 「そういう事だけど、そう簡単にはいかないね。それが現実」
 現実・・・か。
 「ますます慎のファンが増えたって美幸が言ってたよ」
 「でも、すぐに忘れられちゃうでしょ。バレーって野球やサッカーみたいにスポーツニュースでやらないからね。みんなノリでファンになってるだけだから、明日になったら忘れちゃうよ」
 「今回もいっぱいプレゼントもらった?」
 「ん・・・少しは」
 「別に怒ってるわけじゃないんだから、そんな言い方しないでよ。いいな、いっぱいプレゼントもらえて」
 もう決めた。とにかく慎に話そう。もしかしたら、これで慎と終わりになるかもしれない。だったら、話して気まずくなるまで1つでも楽しい思いで作りでもをしよう。まだ慎に対する期待はあるけれど、そればかりに目を向けていても仕方がない。
 何でもない話に笑い合っていた。あのね、慎・・・と何度か言いかけたが言葉を飲み込んだ。逢ってから、明日逢ってから・・・
 「明日は何してるの?」
 「午前中に解散して、帰って寝る」
 「どこにも行かないの?」
 「行ってもタロウの散歩だね。どうして?」
 「別に。私も残業しないようにするから」
 「ごめん。打ち上げで飲んで騒いだから眠くなってきた」
 「私もそろそろ寝る。月曜って起きられないんだよね」
 「じゃ、明日って事でおやすみ」
 慎は何も気付いていない。だから、ちゃんと私と話をしてくれる。
 慎・・・私、慎とずっと一緒にいたいよ・・・
 
 「真由、まだ胃が痛い?」
 「あ、うん、少し」
 「なんか、具合悪そうだよ。平気なの?」
 「大丈夫。もう3時だし、定時上がりする」
 「慎くんに逢うんでしょ?早く帰りなよ」
 「あはは、そうだね」
 本当はあんまり逢いたくないけどね・・・
 「田辺、ちょっと」
 「あ、はい。きゃ、課長にお呼ばれしちゃった」
 「田辺、仕事は一段落ついてるか?」
 「そうですね、一応一通りは」
 「じゃ、悪いけどこの書類と資料を××に届けてもらえるか?多分、質問されると思うから答えておいてくれ。答えられるだろう?」
 「はい・・・あ、課長、ちょっと胃の調子が悪いんでこのまま直帰させてもらってもいいですか?」
 「ああ、お前、最近がんばってたからな。直帰でいいよ。終わったら業連は入れろよ」
 「わかりました。すみません」
 課長からファイルを受け取り、私は席に戻った。
 「何だって、課長?」
 「××におつかい。今日は直帰させてもらいまっす」
 「どうぞ、どうぞごゆっくり」
 「もしかしたら・・・明日、休むかも・・・」
 美幸はあらら、といった顔で笑っていた。
 「OK。その時はメール入れて」
 「ごめんね。じゃ、今日はこれで」
 「お疲れさま」
 このおつかいはグッドタイミング?私もよく咄嗟に直帰を言い出せたもんだ。エレベーターの中で自分のふいの言葉に笑っていた。
 4時半には相手先の会社を出て課長に業連を入れ、私は電車に乗っていた。電車はどれに乗っても中学生や高校生が多かった。制服を着てたのって何年前だっけ?と指を折って数え、その数に驚いた。
 懐かしいな高校生。慎が高校生の頃ってどんな感じだったんだろう。アルバムを見せてもらってればよかったな。
 夕方の電車は、センチメンタル。ふと思いついた言葉に私は満足していた。
 3本目の乗り換えの電車。夕日はもう沈みかけて、電車には陽が当たらない。一駅一駅と慎の家に近づく。各駅停車の電車が駅に止まる度に私の気持ちは沈んでいった。
 「どうしたの、こんな時間に?」
 「出先から直帰したの」
 「どこにいるの?今から出るよ。待ってられる?」
 「今、駅。駅から電話してるの」
 「駅って?」
 「昔、慎とタロウが迎えに来てくれた西口に今いるの」
 「え?あ、そうなの。どうしようか・・・迎えに行こうか?」
 「うん、そうして。ファミレスでも行こう、ケーキが食べたい」
 「わかった。ちょっと待ってて、行くから」
 びっくりするよね。いきなり近くの駅まで来てるなんて言われたら。でも、あとでもっとびっくりするよ。乗りたかったんだ、慎の車に。あとでアルバム見せてもらえるかなぁ。ファミレスに行ったら、何を話しておこうかな。こういうのって考えると出てこないもんなんだよね。 せめて、慎が日本に戻って来てからだったら・・・そんな事、考えても仕方ないか。
 見上げた夕方のグラデーションの空があまりにもキレイで泣きそうになるのを、私は歯を食いしばって我慢した。
 
 「直帰できるなら会社を出る時に電話すればよかったのに」
 「いいの。慎の車に乗りたかったの」
 私は思いつくままにしゃべっていた。こんな時間はもしかしたらもうないかもしれないのだから、もっと考えて話せばいいのに、と客観的なもう一人の私がいる。
 「今日は機嫌がいいの?」
 「どうして?」
 「よくしゃべるからさ」
 「直帰できたからじゃない?」
 「美幸ちゃんや中川さんはまだ仕事ってわけだ」
 「木村くんもね。ね、慎、高校生の頃の写真見せてよ」
 「は?いきなり何?」
 「電車でいっぱい高校生を見てたら、慎の高校生の頃ってどんなだったのかなって思ったの」
 「変わってないよ、身長は。見るほどの写真はないよ。オレもずっと見てないから、どんなのがあったか覚えてないし」
 「減るモンじゃないし、見せてよ」
 「ヤダ。真由が見せてくれたら、オレも見せるよ」
 「私のは実家だもん。ケーキも食べちゃったし、早く帰って見せてよ」
 私はレシートを持って立ち上がった。
 「今日は行動派だね」
 慎の家に着くとお母さんはキッチンにいるらしく、私が来た事には気付いていないようだった。
 「早く、見せてよ」
 「ったく・・・卒業アルバムでいい?」
 慎は本棚から、アルバムを引っ張り出してきた。
 「よしよし。テルくんも同じクラスなんだよね。・・・いた、いた。慎、かわいい」
 「オレも昔は若かったの。これがテル」
 「あ、本当だ。2人ともかわいい。他にないの?」
 「恥ずかしいから、もう終わり」
 「けちぃー」
 私はアルバムの中の慎を見つめながら深呼吸をし、覚悟を決めた。
 「慎、あのね・・・」
 「何?」
 覚悟を決めたのにすぐには言葉にできず、私は表面的な笑顔を慎に見せた。
 「だから、何って?」
 「うん・・・あのね・・・赤ちゃんができた・・・妊娠・・・した・・・」
 「は?!」  

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