コンビニで買ってきた物で夕食を済ませ、私はTVにかじりついていた。
試合開始まであと15分。TVでは今日の両チームの練習の様子を伝えていた。慎がインタビューに答えている。TVに映し出される慎は知らない人のようにも見える。
私の隣で笑っていた慎じゃないみたい。やはり、違う世界の人に思えてしまう。
何だか落ち着かなくて飲みたいわけではないけれど、コーヒーを入れる事にした。何かしていないと・・・ただTVの前に座っているのがイヤだった。それでも、キッチンに立ちお湯を沸かしていてもTVが気になってしまう。
カップにコーヒーを注ぎソファに腰を下ろし、大きく深呼吸をする。ワクワクなんて気持ちは少しもない。心臓の鼓動が直接耳に聞こえる気がする。緊張し過ぎて気分が悪い。さっきの慎と同じかもしれない。
始まった・・・ライブのようなオープニングデモンストレーション。DJらしき人が選手の名前を呼び上げ、選手が一人ずつコートに入っていく。
No.7 Shin Matsuki
観客の声援に右手を挙げ、笑顔で応える慎。それを見ただけで私は涙が出てきた。泣いている場合じゃないのに。
オープニングデモンストレーションが終わり、TVがCMになると中川さんから電話が入った。
「始まったね。大丈夫?」
「どうしよう・・・私・・・見てられない」
中川さんの声を聞いて、私は泣き出してしまった。
「泣かないの、ね。これから慎くんたちががんばるんだから。慎くんが一番見てほしいのは田辺さんだよ。しっかりしなきゃ、ね」
「うん。でも・・・」
「どうして泣くの?泣く理由なんてないじゃない。緊張してるのは慎くんも一緒。私も同じ。ほら、始まるよ。がんばって応援しよ」
「うん、ごめんね。ありがとう」
「私もTVに集中するから、電話切るね」
「気を遣わせちゃってごめんね」
「いいのよ、気にしないで。それじゃあね」
試合開始の合図。始まった。本当に始まったんだね、慎。
先取点を上げたのは、慎たちではなかった。打ち込まれたアタックは鋭角に慎たちのコートに落ちた。それから3点を巻き返したが、またリードされてしまう。追いつけども、追い越せどもすぐに先を行かれてしまう。
慎たちがミスをするたび、相手のアタックやブロックが決まるたび、どうしようと涙目になっていた。
慎のアタックもブロックに止められたりと思うように決まらない。映し出される慎の苦笑した顔。
慎、がんばって。私はハンドタオルを握りしめ、下唇を噛んだままTVを見つめていた。
20−25 第1セット終了
−1セットすら許してくれそうにない相手なんだよ
慎の言った通り、前評判通りの相手。TVのキャスターは、苦戦を強いられるけれど、1セット、1セットだけ取れればオリンピックですからねと励ましなのか、のん気なのかわからない口調で1セット、1セットと連呼する。
悪気はないのだとわかっているけれど、電話をしてきた慎の事を思い出すと、その軽い口調が腹立たしい。
画面がCMに変わり、冷めたコーヒーを飲む。慎、今何を考えてるの・・・・?
2セット目が始まった。さいさきのいいスタートを切ったが、やはり追いつかれてしまう。
ブロックが決まり、また1点リード。そして、サーバーは慎。
慎はまたユニフォームの胸の辺りを掴んでいる。1セット目から、その仕草はよく見かけていた。電話で、緊張で気分が悪いと言っていた。精神的な気分の悪さが体に出てしまったのだろうか。
キャスターもそれに気付いたらしく、体調が悪いのでしょうか?それとも何かの願掛けでしょうかねと言っている。
願掛け・・・?
−お守りもちゃんと首から下がってますから
・・・慎、そういう事なの?本当にそう思ってくれてたの?!
また新しい涙がボロボロこぼれてきた。さっきから泣きっぱなしの私。でも今の涙は、今までのものよりあたたかい。気のせいではなく、本当にそう感じる。
17ー15・・・ 19−21・・・ 23−23・・・
攻防戦は何度も繰り返される。慎も自分にあげられたトスはどこにいても飛んで打ち抜く。
強豪チーム相手に互角の勝負。キャスターは言う。接戦なのだから互角に戦っていると言えるだろうけれど、私にはやっとの思いでついていっているようにしか見えない。
慎は大丈夫。慎なら大丈夫。
何度もそう思い直すけれど失点するたびに、どうしよう、どうしようと涙目になってしまう。
あと1点でセット終了という所で取り返され、また取り返し試合は続く。
もう、ダメだと私は何度も諦めかけた。このセットを落としても次のセットを取れればいい。結論としてはそうだけれど、きっとコートに立つ慎にはそんな余裕はないだろう。
本来のセット終了の25点は既に超えている。28−29。
あと1つ。あと1つ決まれば、慎たちは勝てる。慎が楽になれる。私はハンドタオルを両手で握り直しTVを見つめる。でも、そのたった”あと1つ”はなかなか手に入らなかった。
慎・・・もう何も言葉が浮かばなかった。私は心の中で何度も慎の名前を呼んだ。
ブロッカーに止められたボールはラインの外側に落ちた。最後はブロックミスにより、試合終了。
32−34
TVを見つめる私は瞬きすらできなかった。観客の声がどこか遠い所から聞こえてくるような気がする。キャスターの言葉も何を言っているのか、うまく理解できない。
−1セットすら許してくれそうにない相手なんだよ
慎の言葉をまた思い出した。
でも・・・でも、慎・・・がんばったよね・・・
固まった私の頬にまたボロボロと涙が伝う。
・・・取った。取ったんだよね、慎。このセットは慎の勝ちだよ。オリンピックだね、慎。おめでとう、よかったね。本当によかった・・・
オリンピックです。男子バレー日本代表チーム、来年のオリンピックの出場権を勝ち取りました、とキャスターが感極まった声で言う。
私はもう、何がなんだかわからなかった。オリンピックに出られる事が嬉しいのか、慎が楽になれた事が嬉しいのか。慎、本当によかったね。それしか思える事がなく、一人で大泣きしていた。
真由・・・慎くん・・・オリンピックだよ、と涙声の美幸から電話が入った。
「・・・うん」
「隣でテルも泣いてるよ」
うるせーよ、とテルくんの声が後ろから聞こえる。
「私さ、正直言ってオリンピックなんてあんまり興味なかったけど。でも、行けるなら行ってほしいなって思ってて。慎くんたちにすごく感動しちゃったよ」
「私も。オリンピックに出るなんて全然実感ないけど、勝ったんだって思ったら、ね。ま、まだ試合が終わったわけじゃないけどさ」
「残りのセットと試合は消化試合よ。なんて言ったら、慎くんに怒られちゃうか」
「これからは気分的に楽だよね。テルくん、慎のケータイの番号知ってるでしょ。あとで2人で慎に電話入れてあげて」
「わかった。じゃ、試合の続きを見るから、またね」
美幸の電話を切ると中川さんから、おめでとうとメールが入った。
よかったね、慎。みんな本当に喜んでくれてるよ。今、今すぐ慎に逢いたいよ。
慎のケータイにそうメールを入れ、涙の乾ききらない目でパソコンの横にあるカレンダーの今日の日付に○印をつけようとし私は愕然とした。
・・・来てない・・・遅れている・・・・
毎月10日前には必ず来ていたのに。焦ってカレンダーをめくり、先月の日付を確認する。勘違いではなく、本当に遅れている。来るはずの日から、もう3週間経ってしまっている。仕事疲れでずれたなと軽く考えていた。
そして、ワールドカップが始まり、仕事とワールドカップに気を取られすっかり忘れていた。
心当たりは・・・あるけど、そんな・・・
3セット目を闘う慎を見て、私は立ちつくしていた。頭の中が真っ白だった。
妊・・・娠・・・?まさか・・・どうしよう・・・?!
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