あっという間にもう9月になっていた。5月の後半に慎が戻ってきてから、両手で間に合うくらいしか逢うことはなかった。メールや電話に頼る毎日で、大会で海外に行っている事もありその間はメールも届かない。
逢いたい、逢えないのブルーな気持ちはほとんど感じなかった。カレンダーを見て、時間だけは過ぎていくんだなと思うだけだった。
それは私が仕事が忙しかったというか、仕事に夢中になっていたからかもしれない。順風満帆に仕事が進んでいたわけではないけれど、頭を抱えながらも楽しんでいた。手の届く所に慎がいて、仕事も充実して、友達ともうまくいって。
毎日が楽しい。そう言い切れた。
でも、もうすぐ慎はヒコーキに乗っていってしまう。楽しい事の一つが欠けてしまう。仕方がなくて、どうしようもない変え難い事だけれど、やはり淋しいと思う。
なのに私は笑っている。淋しいなと一人で笑っている。妙な余裕とまたジタバタする自分を想像して。
必ず慎は戻って来てくれる。慎がそう言ったのだから、私はそれを信じていればいい。目の前にいない相手を信じ続けるのは口で言うほど簡単な事ではない。けれど、慎なら、慎だから私は信じていられるのだと思う。
当日は渡せないからと、慎から3回目のバースデイプレゼントを受け取った。そしてその4日後、慎はヒコーキに乗ってしまった。
私の休みに合わせて週末に戻るつもりでいてくれたけれど、向こうでの調整が噛み合わず平日のヒコーキになってしまった。仕事を休んで見送りに行こうかと言ったけれど、1ヶ月もすればまた戻ってくるのだからと慎に言われ私は空港へは行かなかった。
ランチの最中に慎から電話が入った。行ってきます、行ってらっしゃい。そんな短い電話だった。戻る、ではなく、行ってきます。帰ってくるという意味に取っていいんだよね、慎?1年前と同じように空は青く広がっていた。
「行っちゃったね、慎くん」
「田辺さん、ついて行かなくて本当に後悔しない?」
「今の所は平気。またすぐに戻ってくるはずだし」
「そうだね。慎くんは絶対ワールドカップに出るよ。日本に戻ってからの試合評価はいいし、やっぱり海外経験アリって事で期待されてるみたいよ」
「もし、慎の所に行くってなったら会社を休んでも見送りに来てね」
「そんな可能性あるの?!」
「ないとは言えないけど、限りなく、ないに近いでしょう。ずるいと思うけど結婚っていう確固たる約束がないのに行くなんて、ドラマじゃないんだから。そうそうできる事じゃないよね」
「それはね。ちょっとした転勤ですらそうなんだから、まして海外じゃ。私だったら、行けないだろうな」
「でも、慎くんは来てもいいって言ってくれたんでしょ?遠回しにそういう意味なんだろうけど・・・遠回しじゃ、ダメだね」
「どうしてもやりたい事があるわけでもないのに、言葉も通じない所に行くのは勇気がいるよ。毎日一人で話すのは慎だけなんて、慎の方がイヤになっちゃうよ。それに2シーズン目だし、いないのにも馴れたと言えば馴れたかな」
「絶対によそ見をしない男だから、安心していられるのよ」
「そうかもね」
よそ見をせずに真っ直ぐ見てくれるからこそ、見透かされてしまう。見透かされて、別れ話もされた。美幸や中川さんの前では明るく笑って話せていても、本当は不安もある。離れて、またあの夜のような事になったら・・・そう思うとどうしていいかわからなくなってしまう。
慎を信じていられないわけではない。慎が私に言ってくれた一つ一つの言葉に決してウソはない。私は慎を信じていられる。
だけど、慎は?慎は私を同じように想ってくれるのだろうか?ついて行かなかった私に距離を感じてしまうのではないだろうか?
バングルや時計、リング、ピアス、ネックレス。私はいつも慎を感じていられる。けれど、慎は・・・
STAY WITH YOU バングルの内側を見て、溜息をつく私だった。
「みなさんに報告です。まだメディア発表になっていませんが、慎がワールドカップの日本代表にエントリーされました」
「本当に?!おめでとう!」
「って、私じゃなくて、慎に言ってあげて」
「真由、メールしようよ。ケータイ、ケータイ」
慎の向こうのパソコンのアドレスをケータイに表示させ2人の前に置いた。
「美幸、自分のケータイからメールすれば?おめでとうは直接言ってあげて。件名に名前を入れれば慎もわかるし。中川さんもそうしてあげて」
「慎くんからお返事来るかな?」
「するんじゃないかな。おめでとうもありがとうも直接の方がいいでしょ」
「田辺さんがいいなら、いいけど」
「私とは関係なしに、自分の友達って思ってあげて。その方が慎も嬉しいと思うから」
「友達じゃなくて、愛人です。ね、中ちゃん」
「愛人なら尚更、直で言ってあげてくださいな」
「で、慎くんはいつ帰ってくるの?」
「それがね、慎としては早く戻りたいみたいだけど、向こうのリーグ戦も始まってるからなかなか抜けられないみたい。ワールドカップがあるからってリーグ戦を二の次に考えられるわけじゃないらしい」
「大変だね」
「どっちも大事で頭を抱えてるって。今期はスタメンで試合に出てるから、チームとしてもあんまり早い時期には慎を戻したくないみたいよ」
「人気者はつらいね。でも、田辺さん待ち遠しいでしょ?」
「ちょっと微妙・・・」
「どうして?」
「5月に帰って来て、数えられる程しか逢えなかったでしょ。帰ってきてるって事で安心してたせいか、あんまり気にならなかったの。で、先月向こうに行って、またワールドカップで帰国。帰って来てもほとんど逢えないと
思うけどね。今まで月イチくらいで逢ってたのに、逢わない時間を我慢できるのかなって」
「わかるような気もするけど・・・」
「山を越えちゃえば平気なんだろうけど、越えるまでがね」
「真由、弱気じゃない?」
「1つ年を老ったからかな」
本当は、またあの時の事がひっかかり始めてきていた。この弱気が慎に伝わってしまうのだとわかっているけれど、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてもどこか以前のようにはなれなかった。
「また君か、シン。答えは同じだ」
「オーナー・・・」
「私は君を日本に帰さないとは言ってないだろう?もう少し待てと言ってるんだ。もちろん、ワールドカップは大事だ。次のオリンピックのチケットがかかっているんだからね。しかし、ワールドカップあるからと言ってリーグ戦を
捨てていいわけじゃない。我々は、どんな状況でも勝たなければならない」
「・・・・・」
「シン、日本は君がいなければまとまらないチームなのか?」
「・・・そういうわけでは」
「君は自分のステップアップのためにここへ来た。そうだったな?」
「それは・・・」
「いや、別にそれはかまわない。君は自分のために私たちはチームのために君を。いわばこれはビジネスだ。君はこのビジネス契約に違反しようとしている。違うか?」
「・・・・・」
「シン、今、チャンスだと思わないか?」
「チャンス?」
「そうだ。協会からの要請でラディはもうワールドカップメンバーとして練習に入っている。さっきも言った通り、誰が抜けてもどんな状況でも私たちは勝たなければならない。主翼のラディが欠けた今、もう一つの翼である君の実力をアピールするいい機会だとは思わないか?」
「・・・・・」
「シン、君のホームはどこだ?」
「日本です」
「ははは、そうか。やけに返事が早いな。・・・もし、日本と答えなかったならもう少しこっちで飛んでもらおうかと思っていたよ」
「オーナー・・・」
「監督とコーチには私から連絡をしておくから、うまく調整して帰国しろ」
「ありがとうございます」
「君は知らないだろうけれど、私も昔は君のようにスポーツマンだったのだよ。ただ、君のような才能も実力もなかったがね。なるべく早く帰って来い、シン」
「はい」