Believe you 41

 お母さんの食事の用意を手伝い、3人で食べてお礼の代わりに後片づけ。慎と結婚したらこういう毎日なのかなと思いながら、食器を洗っていた。私がキッチンから戻るとお母さんがお茶を入れてくれた。
 お母さんはTVのバラエティ番組がおもしろいらしくよく笑っていた。でもそれはTVのためだけでなく、慎が帰ってきているからだろう。
 「そろそろ、帰ります」
 TVが一区切りついたところで私はバッグに手を伸ばした。
 「慎、ちゃんと送って行きなさいよ」
 「わかってるって」
 「今日は本当にごちそうさまでした」
 「いいえ、こちらこそいろいろやってもらっちゃって。また遊びに来てね」
 車に乗る前にタロウにも、またねと頭をなでてあげた。
 「お母さん、嬉しそうだったね」
 「そう?いつもあんな感じだよ。オレより真由がいる方が嬉しいんじゃない?」
 「そんな事ないって」
 「あ、そだそだ。そこの白い袋、お土産」
 「わーい、ありがとう・・・ブレスレットだ」
 「シルバーで手作りなんだって。女の子に人気がある店らしいよ。細いのが女の子、太いのがテルと木村に。悪いけどみんなに渡しておいて」
 「4本あるから、ゆかりちゃんにもあげるね。こっちの包みは?」
 「ピアス。真由にはピアスも」
 「涙の形だね」
 「哀しい涙はこのピアスに任せて、嬉しい涙をたくさん流しましょう、って書いてあったな」
 「うふふ、ちゃんと読めたんだ。ありがと、嬉しいな」
 「いえいえ、こちらこそお礼ですから」
 「お礼?」
 「ジェイがあの翼の生えたネコの絵のおかげで高く飛べるようになったんだって言ってて、そう言われるとそうかなって。ジェイ曰く、おまじないだってさ」
 「慎の努力と実力でしょ。でも、ちょっとかわいすぎたよね、あの絵」
 「かわいいけど、子供っぽくなくていいんじゃない?キレイな絵だよ」
 あのフォトスタンドはどうしてる?訊きたかったけれど、訊けなかった。今の今まで忘れていた事なのに思い出すと気になってしまう。
 「いつから練習?」
 「火曜日。これから毎月どこかしらに移動で試合して、11月にワールドカップ。ワールドカップのメンバー選考の試合でもあるから全部に出られるわけじゃないけど、国内だけじゃなくて海外にも行くんだ。だから・・・日本にいるからって、しょっちゅう時間が取れるわけじゃないんだ」
 「仕方ないでしょ」
 「ごめんな」
 「何言ってんの?私に逢うために帰ってきたわけじゃないでしょ?」
 「そんな・・・100%ワールドカップのためじゃないよ」
 「別に嫌みで言ってるんじゃないの。ワールドカップが一番でいいのよ。私は私なりに理解してるつもりだし」
 「ワールドカップは来年のオリンピックのチケットがかかってるんだ。オリンピックのチケットは、ワールドカップで取れなかったら来年の5月の最終予選でしか取れないんだよ。ワールドカップもオリンピックも目標じゃなくて強いチームとやる手段だって思ってるけど、出なきゃ手段にすらならない。それに出るからには当然勝ちたいし。 ワールドカップもオリンピックも4年に一度だけどさ、特にオリンピックなんて一生に一度って考えてもいい。4年っていう時間は上っていくにはいいけど、抜かれないために必死になるにはあっという間だよ。来年がダメでその次って考えたら、オレは30を過ぎてる。体力も実力もある年下のヤツがわんさかいてもおかしくない年になってるよ」
 「慎、そういう事言わないの。慎が言ってる事は事実で慎もそうやって上って来たんだろうけど、誰にも負けないって思うだけじゃなくて言葉にしなきゃ。言霊ことだまよ 」
 「言霊、か」
 「それに一生に一度のチャンスなら、絶対にモノにしなきゃだめです」
 「そうだな。でも、ワールドカップやオリンピックが手段だなんて、ナマイキだよね。ははは」
 「勝てば全部チャラよ。改めて考えてみると・・・慎ってやっぱりすごいよね」
 「何が?」
 「努力や実力もそうだけど、大きい大会に出ちゃうような人なんだよね。TVに出て、雑誌や新聞に載って」
 「まだ出られるかわかんないよ。出るつもりだけど」
 「そういう人の車の助手席に座ってるなんて信じられない。これからはもっと有名人になっちゃうんだよね」
 「TVに出るって言っても、試合してるか移動してるかでしょ。出るというより映ったって程度だよ。オレだけが映るわけじゃないし」
 「そうだけど・・・あーやっぱり信じられない。私もサインもらっておこうかな」
 「そんなのもらってどうするの?」
 「そうだな・・・もっと人気が出た頃にオークションで売る」
 「何枚でも書いてあげるから、がんばって稼いでよ」
 「儲かったらゴハンごちそうするね。さて、愛しの我が家だ。送ってくれてありがとう」
 「明日はいろいろ用があるから、ごめん」
 「どうぞ、お気になさらずに」
 「これからも・・・わりと忙しいと思う」
 「だーかーら、そんな顔しないで。私、何も文句なんて言ってないでしょ?月に一度逢えればいいんじゃない?また向こうに行っちゃうんだし、あんまり逢ってると、ね」
 「ごめん」
 「いつまで謝ってるの?怒るぞ、松木」
 「はいはい」
 「じゃ、また。お母さんによろしくね」
 「ああ、おやすみ」

 「おかえり。ちゃんと送ってきた?」
 「送ったよ。何かハラ減った」
 「何でもある物を食べなさいよ。泊まってもらってもよかったんだけどね」
 「は?そんなつもりで来たわけじゃないし」
 「それはそうなんだけど。健の部屋が空いてるから泊まれるけど、嫁入り前のお嬢さんだから向こうの親御さんの事を考えたら泊まっていけば?なんてお母さんからは言えないしね」
 「ま、いいんじゃないの。兄貴はここんちに戻ってくるの?」
 「戻らない、ね。あっちゃん一人っ子だから、いづれあっちゃんの親と住む事になると思うって前々から言ってたし、そうしなさいって健にも言ってあるから。別にお父さんも私も健やあんたに面倒をみてもらおうなんて思ってないから。タロウと3人でのんきに生活しますからご心配なく。 健が向こうのお家に行くから、この家はあんたにあげるわよ」
 「どうせ、120くらいまで長生きするんだろ?」
 「ええ、死ぬまで長生きさせてもらいますよ。・・・真由ちゃん、いいの?」
 「何が?」
 「口を挟む事じゃないけどさ、まだ帰ってくるつもりはないんでしょ?」
 「そう・・・だね。この先どうなるかはオレもわかんないよ」
 「いやだねぇ、バレーバカは。捨てられないように気を付けなさい。あんたにはもったいないくらいの子なんだから。TVも終わったし、お風呂入って寝るからね」

 結局、慎が言っていたようにいろいろ忙しいらしく、次に顔を合わせたのは2週間以上あとの事だった。慎のメールがパソコンからケータイに変わりメールが短くなったのは少し味気ないけれど、電話も鳴るようになったのはすごく嬉しかった。メールもリアルタイムで読める。 ますますケータイが手放せなくなったような気がする。
 「お腹空いた。早く食べに行こう」
 「真由がそんな事言うなんてめずらしいね」
 「だって、忙しくてお昼にデスクで美幸に買ってきてもらったおにぎりを食べたっきりなんだもん」
 「何を食べる?」
 「ごはん。ごはんが食べたい」
 お腹が空いていたのは本当だけれど、私は一人ではしゃいでいた。仕事も順調、慎とも逢える。今を一言で言うなら、ハッピーだろう。
 あの日、慎に送ってもらってベッドに入るまでは、タロウや公園での事を思い出して楽しかったとしか思わなかった。
 しかし、灯りを消すとその24時間前の事を思い出した。
  −オレは傍にいられない−
 なぜ、慎はそんな風に思ってしまったのだろう。やはり私がそう思わせたのだろうか。
  −オレがいない方が真由にとっていいんじゃないか−
 見上げた空が青いと、慎はどうしてるかなと思っていた。見上げた空にヒコーキを見つけると、振り向いて笑って親指を立てた慎を思い出していた。
 本当にオレでいいの?と慎は私に訊いたけれど、慎は本当に私でいいのだろうか?
 こんな自問をしても私は慎と一緒にいたい、としか答えられない。私と慎がサヨナラする時は、多分フラれるのは私のような気がする。
 映画やドラマを見ると、私もこんなドラマティックな恋がしたいなと少し憧れた。ハッピーエンドなら尚更だけど、終わった恋を思い出に変えて前を向くヒロインも素敵だなと思っていた。
 遠距離恋愛をしている人たちだってたくさんいる。私と慎が特別だなんて思わないけれど、決して距離は近くない。そういう意味では憧れのドラマティックな恋をしているのかもしれない。
 でも、できる事ならそんなものは終わりにしたい。美幸や中川さんたちのようにフツーの恋がいい。距離はお互いの温度差まで作ってしまう事もある。
 慎はまたヒコーキに乗って行ってしまう。でも今度は逢いに行こう。距離なんて関係ない。そうお互いに思える関係を作れればいいんだ。
 信じたいと信じてるはまったく逆の事。見えない相手を信じ続けるのは簡単な事じゃない。慎は待っていてほしい、と言ってくれた。いつもいつも真っ直ぐな慎の言葉なのだから信じていられる。
 慎がいない安定感もドタバタも揺れも一通り経験した。同じ事をどこまで繰り返すのかわからないけれど、もう他の人に揺れる事はないだろう。
 私って、本当に慎が好きなんだな、と枕に顔を埋めていた。

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