Believe you 38

 「あーこういう物を食べると帰ってきたって気がするよ」
 お好み焼きを慎は満足そうに食べている。
 「向こうの日本食はダメ?」
 「ダメじゃないけどさ。周りに日本人がいないから食べた気がしないね。雰囲気も当然日本じゃないし。うどんをフォークで食べてる人もいるしさ」
 「それは仕方ないでしょ」
 「まぁね。あ、こっちにいる間は前のケータイに連絡して」
 「解約してなかったの?」
 「うん。電源は切ってあるけど、部屋の充電器の上でお留守番してるよ」
 「こっちにいる間って事は、来シーズンも向こうなのね」
 「契約がどうなるかはわからないけど・・・多分、クビはないと思う」
 「そう、よかったね」
 笑って言ったけれど、やっぱりそうかと心の中で小さな溜息が出た。
 「そうだ、中川さんが慎によろしくって。で、美幸が愛してるって」
 「愛してる・・・ね。ありがとうって伝えてよ」
 「自分で言えば?木村くんもまた飲もうって言ってたし」
 「みんな、変わりなく元気なんでしょ?」
 「何も変わってないよ。強いて言えば木村くんにも後輩ができたかな。そうそう、慎、あのね・・・」
 私はゆかりちゃんの話をした。
 「そんな事があったの?全然知らなかったなぁ。通りすがりの女子大生をみんなで、あの子かわいいよな、なんて話してた事はあったけど」
 「慎もそういう事するんだ」
 「何で?それくらいフツーでしょ?真由は、あの人カッコイイとか、そういうのないの?」
 「うーん・・・あるね」
 「それと同じだよ。かわいい子とか好みのタイプには、自然と目がいくよ」
 「慎の好みのタイプって?」
 「フツーの人」
 「は?みんな、それほどフツーからは外れてないよ」
 「それはそうだけど。見た目も中身もいいに越した事はないよ。それは男も女も同じでしょ。そうだな・・・かわいいよりはキレイとかカッコイイ人の方が好きかな」
 「へぇ、そうなんだ」
 「女の子ってさ、外見だけじゃなくてどこかしらかわいいっていう所があるでしょ?声がかわいいとか、こういう仕草がかわいいとか。どんな女の子にも必ず1つはそういう所があるけど、キレイとカッコイイは誰にでもあるわけじゃないからね。貴さん覚えてる?」
 「貴さん?」
 「ガオさんの。旧姓岩崎さん。オレ、貴さんはキレイな人だと思うんだ」
 「あの人はキレイよ」
 「貴さん、仕事もきっちりこなしてテキパキって感じだけど笑うとすごくかわいいの。みんなの姉さん的存在のしっかり者の反面、どこか抜けててかわいいんだよね。具体的に好みはって訊かれたら、貴さんかな」
 「あの時逢ったきりだけど、慎が言ってる事分かるような気がする。確かに年も上だろうけど、大人だなって思ったね」
 「今や長尾夫人。幸せなんだろうな。ガオさんって、キザな事がサラッとできちゃう人なんだけど、貴さんはその上を行くっていうか、かわし上手というか」
 慎はビールを飲みながら懐かしそうに笑っていた。
 「キレイでもカッコよくもなくて、ごめんなさいね」
 「そういうヒネた事は言わないの。仕事をしてる真由を見た事がないんだから、そこは何とも言えないでしょ?でもね、貴さんと真由はどこか似てるよ」
 「私と岩崎さん・・・じゃなくて、長尾夫人じゃ全然よ。私も素敵だなって思う」
 「あ、でもね、貴さんより真由の方が料理はうまいよ。貴さんが下手なわけじゃないけど、真由の味の方がオレは好きだな」
 「ハニーの料理は、ダーリンが満足してれば十分なの」

 お腹もいっぱいになり、店を出た。
 「今日・・・真由の部屋・・・行ってもいい?」
 「別にいいけど。家に帰らなくて平気なの?」
 「それは大丈夫」
 「慎、何か変だよ」
 「いや・・・ちょっと緊張しただけ」
 「変なの」
 電車も駅も、コンビニも懐かしいと喜ぶ慎だった。そんな慎を見ていると、やはり8ヶ月という時間は長かったのかもしれない。長い時間は記憶を思い出に変えてしまう。
 慎がコンビニで買った物を食べるというので、キッチンでコーヒーを入れる。ドアのガラス越しに慎がぼやけて見える。慎は秋になったらまたヒコーキに乗るだろう。それまでに何度、このガラス越しに慎を見る事ができるのだろうか。今日、慎が帰って来たばかりだというのに、もう私は慎がいなくなる事を考えていた。
 「どこに行っても日本語が聞こえるって安心するよ」
 「日常会話くらいならもう平気でしょ?」
 「早口で言われるとわかんない時もあるけどね」
 「テルくんに電話してあげたら?その間にシャワー浴びちゃうから」
 私はケータイにテルくんの番号を呼び出し、慎に渡した。
 「あまりにも懐かしくて、感極まって泣かないでね」
 「泣かないって。美幸ちゃんみたいな事を言うようになったね」
 「そう?気を付けなきゃ。では、お邪魔虫はお風呂に行ってきます」
 慎が帰ってきて嬉しくて仕方ないのに、シャワーの湯気のようにモヤモヤするものがある。
 わかっていた事だけれど、また向こうに行くの?という問いを慎は否定しなかった。1年前も慎がヒコーキに乗る日をカウントダウンしていた。あの頃は、まだ慎がいない事をリアルに考えられなくて今よりもっと気持ちが軽かった。私はシャワーを顔にかけ、犬のようにプルプルっとお湯を飛ばした。
 どうせ行ってしまうのだから、いる時間は楽しもう。モヤモヤしてても、楽しんでもその日が来てしまうなら楽しむべきだ。慎はいづれ日本に帰って来る。それまで少しくらい離れていたって、お互いの存在がなくてボロボロになるわけじゃない。逆に存在がない事でつらくても壁から逃げるという甘えがなくていいのかもしれない。 それぞれ自分の進んでいる道に打ち込める。課長が私の事を褒めてたって美幸も言ってたじゃない。これでいいのよ。この8ヶ月、一緒に笑えなかった分、少ない時間だけれどいっぱい笑おう。
 私は湯気で曇った鏡にシャワーをかけ、自分に向かって笑顔を送った。

 「しーんっ」
 私は慎に腕を回し甘えてみた。
 「真由、髪が濡れてるよ」
 「そのうち乾くからいいの。ほれ、ぐりぐり」
 ふざけて濡れた髪のまま、頭を左右に振って慎に擦りつける。
 「こら。真由、ミツコみたいだな」
 「ミツコ?」
 「ラディの所の犬。オレが行くと遊べって、足に頭ぐりぐりしてくるんだよ」
 「随分、和風な名前ね」
 「猫もいて、猫はサクラっていうの。ラディも奥さんも日本が好きでさ。ラディは猫より犬が好きで今年になってから飼い始めたんだ。名前はやっぱり日本の言葉がいいってオレが呼ばれてね。3人でいろいろ悩んだけど決まらなくてさ。 真由、ミツコって香水知ってる?」
 「うん。あれも結構好きよ」
 「ラディの奥さんが使ってるんだ。奥さん、ミツコがいいって言い出して。でも、犬はオスなのね。ラディはオスなのに女の名前はって渋ってたんだけど」
 「でも、ミツコなんでしょ?」
 「世話をするのは私の方が多いんだから、私の意見を尊重すべきよって奥さんに言われてラディの負け」
 「慎も何か飼えば?亀とかおとなしくていいんじゃない?」
 「カメ?」
 「2匹飼ってりんごとみかんなんてどう?」
 「名前はかわいいけどさ・・・亀は遠慮しておくよ。さて、オレもシャワー」
 亀、りんご、みかん。自分で言った事がおかしくて慎がシャワーを使っている間、何度もクスクス笑っていた。これでいいんだ。真由、がんばれファイト。
 慎がバスタオルを肩に掛け戻ってきた。
 「ねぇ、慎ってシスコン?」
 「はい?いきなり、何?」
 「だって、私と岩崎さんに共通するのってお姉さんって事くらいでしょ?」
 「どうしてそう繋がるかな」
 「だからシスコンかな、と。あ、でも慎はお兄ちゃんしかいないね」
 「オレ、年上とはつきあった事ないよ。今までで一番年上は4月生の子かな」
 「それは年上とは言わない」
 「だから、付き合った事なんてないんだって。カメ飼えとか今日の真由って、発想が変」
 「そうかな」
 「やっぱ、ヒコーキは疲れるなぁ」
 「じゃ、寝よっか」

 隣りに慎がいる。久々の事で嬉しくてドキドキする。
 「テルくん何か言ってた?」
 「飲みに行こうぜって。美幸ちゃんも一緒だったよ。アイツら、結婚するのかなぁ」
 「このまま行けばそうなんじゃない。でも、美幸は当分今の生活は捨てられないって」
 「美幸ちゃんらしいな。・・・真由」
 「何?」
 話しかけてきたのは慎なのに、慎はその続きをなかなか言おうとしない。
 「だから、何って?」
  −アイツら、結婚するのかなぁ
 頭の中でさっきの慎の言葉がリフレインした。
 「何って言ってるでしょ。聞いてる?」
 「・・・ああ、聞いてるよ。・・・2月・・・だっけ?真由が仕事で落ち込んだって電話してきたの」
 「・・・そうだね。それが何か?」
 私の中で期待と慎がどうして今になってその話を持ち出したのかという不安で、私は慎の顔をまっすぐに見る事が出来なかった。慎は慎で、仰向けになり目の上に腕をのせているから、 私には慎の表情がわからない。
 「電話・・・仕事でって言うのは・・・ウソだろ?」
 私はすぐには答える事ができなかった。図星を指されて動揺していた。
 「・・・答えなくていいよ。あの電話の時に何となく違うって思ったんだ」
 「どうして?」
 「仕事の事なら、美幸ちゃんや中川さんがいるだろ。確かに同僚だから言いたくない事はあるだろうけど。・・・でも、真由は一人で抱え込んでる感じだった。だから、仕事じゃないなって。 ・・・多分、他の男の事だろうなって思ったんだよ」
 私には何も答えられない。ウソをついてでも否定すべきなのだろうか・・・・
 「・・・真由、オレたちもう・・・終わりに・・・」
 「・・・慎?!」

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