「時計ばっかり気にしてるね。はい、コーヒー」
「ありがとう。中川さんの所、みんないないね。でも、なぜかしら木村くんだけはいる」
「みーんな、打ち合わせだの何だのって出ちゃったからヒマなのよね。戻ってきたら一気に仕事の山になりそうだけど。会社で木村と話すのがいやで遊びに来たのよ」
「私もヒマ。こっちもみんな外に行ってるし。中川さんの所は木村くんと二人だからお邪魔かなと遠慮してたの。せっかく小うるさい人たちがいないのに1人でつまんなかった」
「こんな時ってめったにないよね。今日の夕方だっけ、慎くん?」
「6時に空港」
「久々のご対面で緊張してる?」
「してるよ、そりゃ。どんな顔して逢えばいいのかなぁ」
「木村ぁ」
「何ですか、中川さん?」
木村くんは少しムッとした会社用の顔で返事をした。
「今日、慎くんが帰ってくるんだよ」
「まじっすか?!田辺さん、またみんなで飲みに行きましょうよ。慎さんに逢いたいな」
「そんな事ばかり言ってると、テルくんにいじめられるよ」
「テルさんの事もちゃんと尊敬してます」
15,6人ほどの課で、常に5,6人はデスクワークをしているからこんな風に遊んでいられる事なんてめったにない貴重な時間なのに、主任の菅野さんが戻ってきてしまった。
「お楽しみの所を申し訳ないけど、そろそろお仕事しましょうね。中川さん、悪いけど資料をお願いしていいかしら?木村くんは書類できた?」
相変わらずテキパキしている。次の課長候補と噂もある菅野女史だ。菅野さんくらい仕事ができたら、気持ちがいいんだろうなぁ。
それからしばらくして外に出ていた人たちが戻り始め、静かだった部屋がいつもの部屋に戻っていった。
「真由、そろそろ帰りなよ。慎くん、空港を出たんでしょ?」
「まだ時間があるから平気。今退社しても時間を持て余すだけだし」
「ったく、慎くんもやるよね。わざわざ金曜の夜に帰って来るなんて。泊まりますって言ってるようなもんだよ」
「そんなの知らないよ。久々の愛しの我が家に帰るかもしれないじゃない?」
「あんた、本気で言ってるの?泊まりに決まってるでしょうが。あぁ、慎くんまたイイ男になってるんだろうな。テルも逢いたがってたよ」
「またみんなで飲みに行こうよ。忙しいとはいえ、3ヶ月くらいはこっちにいるから時間は取れるだろうし」
「3ヶ月?」
「慎の事だから、多分またヒコーキに乗ってどこかに行っちゃうよ」
「真由は行かないの?」
「さぁ、どうでしょう。行かないかもね」
「私だったら、絶対に行くかも」
「海外生活には憧れるけど、言葉が通じないんだよ。結婚って事になったら話は別だけど、それは100%ありえない」
「どうしてそんな事が言えるのよ?」
「慎がいろいろ大会に出るとしてよ、日本に戻って合宿に合流して、国際大会に出て。一旦移籍先に戻って向こうのリーグ戦に出て、またワールドカップのために日本に戻って。それが終わったら、また向こうのリーグ戦。
そして、次の春までは日本に戻らない。どこに結婚してる時間があるの?それに、もしメンバーにエントリーされなかったら、結婚なんてもっとありえない」
「合間にオフがあるといってもハードね」
「それに一緒にいたいとは思うけど、もっと自分がしっかりしなきゃダメだなって思うんだよね」
「君たち二人は凄いよ」
「私はフツー。凄いのは慎。凄い人と一緒にいるとね、いかに自分がだめなのかイヤっていうくらいわかるのよ。どうせなら、対等でいたいじゃない?」
「私のレベルじゃ、テルでいっぱいいっぱいだわ」
「また、そんな事言って。じゃ、テルくんを私に頂戴」
「慎くんは?」
「二股・・・」
「ばーか。しっかりしたいなら、まずは自分の不器用さを自覚するんだね。さて、終わったっと。帰ろうよ、真由。私もテルと待ち合わせまで時間があるからお茶しよう。残ってると用を頼まれそうだし」
「そうだね、帰ろうか」
中川さんにも帰ろうと誘うと、予想通り仕事が一気に来てしまいまだ帰れないという。
「慎くんによろしくね」
「うん。ごめんね、お先」
「素敵な週末を」
「ありがとう」
私と美幸は駅のコーヒーショップでそれぞれのケータイが鳴るのを待っていた。
「課長がね、真由の事褒めてたよ」
「ん?」
「以前より仕事に対する意欲が見えるし、それが結果に出始めてる。前原、気を抜いてるとそのうち真由じゃなくて、田辺主任って呼ばなきゃいけなくなるかもしれないぞ。だって」
美幸は課長のマネをして私に言った。
「だって、仕事しかやる事ないんだもん。それに、菅野主任を見てると仕事がテキる女ってカッコイイって思うし」
「私は楽して給料をもらいたいわ。気分は腰掛けOL」
「私は美幸と違って腰掛けるイスがないもん。いっそ、キャリアを目指しちゃおうかな」
「私も入社当時はそう思ってたさ。でも、根がなまけものだから。仕事に意欲的になれたのも慎くんの影響ですか?」
「どうでしょう。私の本来あるべき姿なのかもしれませんよ。奥さんという肩書きより課長のイスが欲しいー」
「はいはい、課長がいない時にすきなだけ座りなよ。真由、ケータイ鳴ってない?」
「あ、ホントだ」
慎が駅に着いたようだ。美幸に一緒に行こうと言ったのに、テルくんの電話が来るまでここで待つという。
「久々の感動のご対面にくっついて行くほど無粋じゃないので。私は、粋に生きる事にしたの」
「本にでも影響された?」
「ええ、少しだけ。早く行きなよ。慎くんに愛してるって言っておいて」
「了解。じゃ、お先に」
美幸とは笑って別れたけれど、待ち合わせ場所に向かう私の心臓はドキドキどころではなかった。鼓動が体全体に響くような気がする。そのクセ、もうすぐ逢えるかと思うと口許が緩んでいた。
・・・いた。慎だ。夜なのにサングラスなんかして、何カッコつけてるんだろ。
足を止め、一度大きく深呼吸をして何でもないような顔をして私はまた歩き出した。
「お久しぶりです」
「ただいま」
「おかえり」
慎が目の前にいる。私を見ている。本物の慎だよね?
「髪、伸びたな」
「だって、最後に逢ってから8ヶ月よ。髪も伸びますよ」
「そうだな。・・・元気そうでよかったよ。メールではいつも元気そうだったけど、実際に顔見て安心した」
「最近、仕事もがんばっちゃってるし、なかなか充実してますよ」
「お好み焼き食べに行こうよ。ヒコーキの中でもうすぐ日本だって思ったら、あれも食べたい、これも食べたいでさ」
「私の事は考えなかったの?」
「食欲の方が上だったね。早く行こう」
ほら、行くよと私の手を取り慎は歩き出した。
「ウソだよ。真由の事考えてた。どんな顔してここに来るんだろうって・・・不安だったよ」
私の顔を見ずに言う慎の手を、私は黙って握り返した。