翌朝、目覚ましの音に驚いて飛び起きた。夜中は、また体が熱くて目が覚めてしまっていた。会社に行かなきゃと起きあがるけれど、体が重い。熱は?と計ると38度を超えている。
ベッドに戻り、回らない頭で休むか遅れていくか考える。とりあえず、もう少し様子をみよう。
体が何かに包まれているようで、何だかうまく動かせないし、寒気もする。ウトウトとしながら会社の事を考えていると普段なら玄関のカギを掛けている時間になっていた。
もう一度熱を計ると今度は39度を超えていた。溜息しか出てこない。やっとの思いで起き上がり、薬を飲む。水を飲むだけで寒くて仕方がない。薬は今飲んだもので終わり。どうかこれで治りますように。
美幸が会社に着くのを見計らい、今日は休むと電話を入れた。熱で痛む体で寝返りをうつのは、それだけで一苦労だった。午後、具合が良くなったら薬を買いに行こう。それだけ考えると私は眠ってしまった。
のどが乾いて目が覚めるとお昼を過ぎていた。熱は37.8度。寒気もおさまり、熱いコーヒーでも飲もうとお湯を沸かす。もうだるくてお湯を沸かすので精一杯。入れ立てのコーヒーをテーブルにおき、ソファで横になった。
去年の風邪は熱と咳だったな。今回は咳がでないだけましなのかな、と窓越しの空を見ながらボーっとしていた。コーヒーのついでに何か食べようと昨日買ってきた物を口に入れるが、昨日よりも固形物を食べている感じがする。味などほとんどわからない。
薬を買いに行くか迷うが、一歩も動きたくない気分だ。もう一眠りしてから考えようと、せっかく入れたコーヒーを半分以上残して、ベッドに戻った。
具合はどう?と美幸から電話があったのは、夜の8時を過ぎた頃だった。
「ダメ・・・動きたくない」
「薬は飲んだの?」
「今朝飲んだので最後。午後、買いに行こうかと思ってたけど、動く気になれなくて。薬が切れたら、また熱が上がってきた」
午後は2時間おきくらいに目が覚め、その度に熱を計ると38.8度から下がらない。薬、薬・・・と思うけれど、着替えて買いに行く気力も体力もなかった。駅前のドラッグストアは11時までやっている。それまでに行けば、と体に言い聞かせていた。
「ご飯食べた?」
「少しパンを食べたくらいかな」
「わかった。今から行くよ、テルも一緒で悪いけど」
「いいよ、大丈夫だよ。寝てれば治るよ」
「コンビニで何か買っていくから。中ちゃんも一人暮らしなのにって心配して、家から風邪薬持ってくてくれたんだよ」
「そうなんだ・・・心配掛けちゃったね」
「とにかく、行くから。テルの車で行くから、近くまで行ったら電話する」
「わかった。ゴメンね」
美幸だけならともかく、こんなボロボロヨレヨレの所をテルくんに見られるのは恥ずかしいなと思うけれど、そのままベッドで美幸からの電話を待っていた。
「ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって。お茶でも入れようか」
「ちょっと真由、あんた、何言ってるの?遊びに来たわけじゃないんだから、座ってなよ。コンビニのうどんを買ってきたから、キッチン借りるよ」
「うん。ごめんね」
「真由ちゃん、本当に大丈夫?」
「テルくんにまで迷惑かけちゃって、ごめんね」
「水くさい事言うなよ、真由ちゃん。オレ達、友達だろ?」
「そうだよ、真由。面倒だったら、最初から来ないって」
「真由ちゃん、オレと美幸、ま、特にオレか、慎ほどアテにならないかもしれないけど、もっとアテにしてくれていいんだぜ。困ってる時はお互い様だろ?」
「テルくん・・・」
「慎くんに、真由の事宜しくお願いしますって言われてるし。言われなくてもやるけどね。はい、うどん出来た。熱いからね」
テーブルにおかれたうどんの湯気を見ていると、涙が出てきた。
「ごめんね・・・ありがと・・・」
「泣くな、真由。早く食べなよ」
「早くって、お前まだ熱いだろ?こんな熱いのを一気に食えっていうのは、拷問だね」
「アホか、お前は」
嬉しくて、申し訳なくて涙が出てくる。
「もうすぐ慎が帰ってくるね。TVで見たよ」
「今月の20日過ぎ。まだはっきりした日にちはきいてないけど」
「8ヶ月ぶりか・・・あっという間だったな」
「それは、あんただからでしょ?真由にとっちゃ、長かったよ」
「んー私は、どうなんだろう。長いような短いような・・・正直、気持ちが揺れた事もあったし」
「そうなの、真由ちゃん?でも、まぁ、それが若いって事だし」
「何、ワケのわかんない事言ってんのよ。帰ってきたら、逢えるんでしょ?」
「今までよりは、ね。いろいろ忙しいみたいだから。まだ代表候補っていうだけで、確定してるわけじゃないから、気が抜けないって。
トライアウトを受けて、向こうに行ったでしょ。それだけで、ニュースになっちゃうし。慎、気にしてた」
「他とは毛並みが違うって事で、成功すれば、さすがぁ、だし、失敗すれば、けちょんけちょんに言われるかもね」
「ポジション争いとは別のプレッシャーはあるみたいよ。慎がはっきり言ったわけじゃないけど、そんな感じだった。日本からバレーの専門誌が取材に来たらしいし」
「一緒に写真を撮っておいてよかったぁ。慎くん、有名人だね。これからますます・・・ワールドカップになったら、もっと・・・」
「アホか、お前は。慎にゆっくり逢えるようになるね、真由ちゃん」
「どうでしょう」
「慎くんは、このまま日本にいるの?」
「さぁ・・・その話はしてないけど、いないと思うよ。最低でも2シーズンは海外でやりたいって言ってたし」
「そっか・・・」
「多分・・・っていうか、確実に日本にいないだろうからみんなで遊びに行こう。ホテル代も浮くし。今の部屋は、結構良い所みたいよ」
「貯金ですね。はい、わかりました。長居するとまた具合を悪くさせちゃうから、そろそろ帰るね」
「本当にありがとう。テルくんに車まで出させちゃったね」
「平気、平気。美幸のパソコンがおかしいっていうから、見に行くトコだったし、それに、真由ちゃんのパジャマ姿も見れたし。また慎をからかうネタができた」
「あんたね、純情青年をいじめるような事するなって。真由、今日はシャワーはだめだよ。冷蔵庫に栄養ドリンク入れて置いたから。んで、これが中ちゃんからの薬。袋の中には、適当に買ってきた食べ物があるから」
「ありがと」
「礼はいらないよ。貸しはきっちり返してもらうから」
「お前って、日増しに強欲ババァになっていくよな」
「ゴーイング マイ ウェイと言え」
「わけわかんねぇ」
「じゃ、真由、お大事にね」
「うん。月曜には会社に行くから」
「うどんだけで足りなかったら他にも食べて、薬飲んで早く寝るんだよ」
「おやすみね、真由ちゃん」
「おやすみ」
さっきまで何も食べたくなかったのに、もう少し何か食べようという気になっていた。
みんなに元気をもらったんだ。そう思うと熱も下がって行くような気がした。
「お疲れさま、シン。でも、おめでとうとは、言わないわよ」
「そうだね。優勝は逃しちゃったからね」
「日本に戻るんでしょ?」
「来週・・・遅くても今月中には。代表候補の合宿も始まってるし」
「来シーズンはどうするの?」
「契約の話はまだだよ」
「恐らく、契約更新でしょうね。新聞読んだ?」
「いや、読んでないよ。優勝したら、辞書片手に読もうと思ってたけど」
「無名の日本人シンは、今やチームのヒーロー。主翼のラディにも引けを取らないプレー。そのジャンプ力とアタックの正確さは、賞賛すべきものである。・・・彼女のおまじないが効いたのね」
「おまじない?」
「ほら、あの絵よ。もっと高く飛べるようにって」
「そうなのかな」
「帰ったらちゃんと、愛してるって言ってあげなさいよ」
「え?」
「え、じゃないわよ。好きはカプチーノが好き、ピザが好きって言う一方的なもので、愛してるはもっと想いが強くて、その相手にも同じように想ってほしいって思う事。きっとそれくらい単純だと私は思うけど。そんなに難しく考える事じゃないはずよ。
だから私は、毎日彼に愛してるって言うし、彼にもそう言ってほしいわ」
「彼の傍にいるようになって、ジェイは本当にキレイになったよ」
「当たり前でしょ。彼の前ではかわいくて、イイ女でいたいもの。恋する女はみんなそうなのよ。彼女はそうじゃなかったの?」
「自分が変わったって言ってたかな」
「そうでしょう。恋の力は偉大なのよ。雨の日ですら、愛しく思えちゃう。でもね、女が一番キレイになる時はいつだか知ってる?」
「んーウェディングドレスの時?」
「それは女の自己満足。キレイなのが本人かドレスか微妙だしね。女が一番キレイになるのはね、失恋した時よ。キレイになって私を振った男を見返してやるって。向こうが声を掛けてきたら、今度はこっちが振ってやるってね」
「ジェイらしいね」
「失恋したからって、いつまでも下を向いていられないわ。えっと・・・何だっけ・・・あ、そうそう、光陰矢の如し、よ」
「Time is moneyとでも言うのかと思ったよ」
「失礼ね、どういう意味かしら?でも、それも当たってるわ。あ、行かなきゃ。彼を待たせたら可哀想だわ。日本に帰る前に彼と3人で食事をしましょう。彼も日本から来た
エンジェルボーイに会いたいって言ってたわ」
「エンジェルボーイ?何それ?」
「三流スポーツ誌のあなたのニックネームよ。かわいい顔して高く飛ぶって事らしいわ。顔とジャンプは関係ないじゃないね。じゃ、私は行くわね」
「彼によろしく」