「ほい、ハワイのお土産」
「ありがとう」
ゴールデンウィーク、美幸はテルくんとハワイへ、中川さんは木村くんと神戸に旅行だった。美幸に一緒に行かないかと誘われたけれど、2人の間に入る気にもなれず断った私だった。
私は、大学時代の友達に会ったくらいで特にこれといった事もないまま休みを終えてしまっていた。
「私もご一緒していいですか?」
声を掛けてきたのは私と美幸が仕事を教える事になった、新人のゆかりちゃんだった。
「どうぞ、遠慮しないで」
「すみません。同期の子がまだ仕事が終わらないって言うんで」
今年、うちの課に配属された女の子はゆかりちゃんだけで、ゆかりちゃんはいつもは隣りの課に配属された子とランチに出ていた。スタイルもよく、顔もかわいいゆかりちゃんは私の知る限り男子社員の一番人気だった。
「あとで渡そうと思ってたんだけど、はいお土産」
「わぁ、ありがとうございます」
ゆかりちゃんは、とてもかわいい顔をして笑う。
「彼と旅行ですか?いいなぁ」
「ゆかりちゃん、彼は?」
「お陰様でこのゴールデンウィークに別れました」
「はぁ?!」
「向こうで同期の女の子と仲良くなったみたいですよ。泊まりで遊びに行ったら、洗面所の下に歯ブラシがかくしてあって。問いつめたら自白したんで、ばいばーい、と」
ゆかりちゃんの同い年の彼は、地方の支店に配属された。1年後には本社に戻るからそれまで我慢、と約束していたのに、彼は向こうで新しい彼女を作ってしまったらしい。私たちは、そうなんだ・・・としか答えられなかった。
「返事に困りますよね、こんな話。でも、私、落ち込んでないから気にしないでくださいね。多分、遅かれ早かれこうなるんじゃないかって思ってましたし」
「どうして?」
「そういうヤツなんですよ。傍にいないとダメーみたいな。高校の時から付き合ってた彼女ともそうでしたし。彼女は関西の大学に進学、ヤツはこっちの大学、で破局。私もヤツに対して、ちょっとなってトコもあったし、ちょうどよかったんですよ」
「ゆかりちゃんはかわいいからすぐ次が見つかるよ。気を取り直して次行こ、次」
「次、ですか?いてもいなくてもどっちでもいいかなって感じですね、今は」
遠距離恋愛破局、か。前に久野さんが言っていた、相手を肌で感じられない不安・不満ってやつだったのかな。
「そうだ、田辺さんって彼はいるんですか?訊いてって頼まれちゃって」
「私?・・・うん、ま、一応・・・」
「そうですよね、いますよね。そう言って置きます。で、どんな人なんですか?」
「え・・・フツーのお兄ちゃんだよ」
私の言葉に美幸と中川さんが含み笑いをしていた。
「前原さんたちの笑いって、何か意味があるんですか?」
「何でもないよ。気にしないで」
「写真があるなら、見たいなぁ」
「見せてやりなよ、真由。どうせ、3,4枚持ち歩いてるんでしょ?」
図星・・・です。
「そんな、期待して見るほどの・・・」
「見たーい、見たーい。年上なんですか?」
「1こ上。でも、2月生まれだから生まれた年は一緒かな」
「スーツを着こなしてる人を想像してるんですけど・・・」
「田辺さんの彼って言うとそんな感じがするよね。私も最初はそう思った」
「中川さんは会った事があるんですか?」
「あるよ。すっごく優しくてマメで、いい男よ。ね、美幸ちゃん」
「そう。私の彼の高校時代の時からの友達なんだけどね。はっきり言って、私は惚れてるわ」
「同じく、私も」
「何言ってるの、2人もと。今度、ちゃんと伝えておきますから」
田辺さん早く見せてくださいよぉ、とせがまれ、私は渋々手帳から写真を出した。どうせ、慎の事なんて知らないだろうし。
「わぁ、背が高い。あ・・・でも、これ・・・あ・・・え?!」
「ゆかりちゃん、知ってるの?」
「知ってるってわけじゃないけど・・・人違い・・・?でも、似てる・・・かも」
「どこで?どこで会ったの?」
美幸が身を乗り出してきた。
「会った・・・というより、よく見かけてた人に似てるんです。カッコイイなって思ってたから」
「だから、どこでよ?」
「大学に行くのに、実業団のバレー部の体育館の前を通るんですね。その体育館の所で話してるのとか、駐車場で荷物を入れてるトコとか」
「何色の車?」
「白ですよ。去年の夏過ぎかな、車も彼も全然見かけなくなって。車は買い換えたのかな、と」
美幸と中川さんは顔を見合わせていた。
「多分ね、ゆかりちゃんの言ってるその人だよ、真由の彼は。それにしても、よく見てるねぇ」
「視力は両目共に1.5.ついでに男のチェックは欠かしません。そっか、あの人が田辺さんの彼だったんだ・・・よかった、声掛けなくて。
田辺さんが相手じゃ、確実にフラれてましたしね」
「ダメよ、彼は。田辺さん一筋だから」
「熱愛中なんですね。車は買い換えたんですか?」
「うん・・・まぁ・・・」
私はお茶を濁すような返事をしてしまった。嘘をつかなければならない理由はないけれど、何となく本当の事を言うのも気が引けてしまった。
ゆかりちゃんが根掘り葉掘り訊く子じゃなくてよかった。
「世の中って狭いね。でも、未だかつてテルのファンだっていう人間に会った事はないけど」
ゴールデンウィークに何をしたというわけではないのに、私は体調があまり良くなかった。少し熱があるのかだるいし、ランチで食べた物の味がよくわからなかった。それでも今日、明日とこなせば、また休みになる。
3時を過ぎた頃、本格的に背中に悪寒が走るようになった。寒気がして仕方ないので暖かいコーヒーを飲むが、一向に寒気はおさまらない。
「真由、大丈夫?風邪?」
「寒気がする」
「もう今日は帰りなよ。明日も休んで平気だから。私とゆかりちゃんでやれるからさ」
「大丈夫だと思う」
「無理しなくていいって、急ぎの仕事じゃないし。真由、去年も風邪こじらせて2日も休んだじゃない」
「そんな事あったね。みんなより年間休日が2日も多かったっけ」
「冗談を言ってる場合じゃないでしょ。課長のトコ行ってきてあげるから、帰る準備して」
美幸を前にした課長が私に声を掛けてきた。
「田辺、風邪か?どうする、帰るか?」
「でも、あと2,3時間ですから」
「熱があるなら帰っていいぞ。来週、お前に頼みたい仕事があるから週明けまでには治ってもらわないと困るからな」
「・・・はい」
「真由、帰りなよ。あとは大丈夫だから」
このまま残っても仕事がはかどらないし、早退して明日やった方が効率がいいだろうと課長と美幸の言葉に甘え、私は会社をあとにした。
頭はボーっとするのに、背中はざわつく。電車の中では、向かいの席に座った女の子が半袖の服を着ていた。寒くないのかなぁとその子と目が合わないように見ていた。
電車を降り駅前のドラッグストアに入り、栄養ドリンクを買う。風邪薬は確かまだ残っていたはずだから、買わなくても平気だろう。背中のざわつきが胃に来たのか、気分も悪くなってきた。
コンビニで夕飯代わりの物を買い、フラつきながらやっと帰ってきた。
38.8度。体温計の数字を見てますます具合が悪くなったような気がする。もう薬を飲んで寝ようと引き出しから薬を出すと3回分しか残っていなかった。今飲んで、あと夜。明日の朝に飲んで終わり。
やっぱり買ってこればよかった。明日、会社帰りに買おう。外はまだ明るい時間だったけれど、薬と栄養ドリンクを飲みベッドにもぐり込んだ。
ふと目が覚め時計を見ると1時間半しか経っていなかった。ふと目が覚めたというより、熱くて起きてしまったのだ。風邪薬の解熱の部分がよく効いてくれているようで、全身汗だくになるほど熱い。布団なんて掛けていられない。
汗で湿ったパジャマを着替えたかったけれど、体がいう事を聞いてくれない。枕元においたスポーツドリンクを半分ほど一気飲みすると、急に冷たい物が入ったせいか胃の辺りが変な感じがする。体中が何となく痛く起きあがっているのもつらいのでまた横になると、いつの間にか眠ってしまっていた。
2度目に起きた時は、よく寝たという感じだった。薬のおかげでさっきより体が楽になったと思う。熱も37.5度まで下がっている。時計を見ると8時過ぎ。お腹も空いた。それよりも汗でベトついたこの体をどうにかしたかった。髪は明日起きてから洗う事にし、体に残る汗の残骸を洗い落とした。本当はシャワーなんて浴びない方がいいんだろうな、と思ったけれど、
体を拭いて新しいパジャマに着替えると気分的にもさっぱりする。まだ少し風邪の余韻が残るけれど、一晩寝れば大丈夫だろう。カップスープを入れ、コンビニで買ってきた物を食べるが、味がイマイチわからない。わからないわけではないけれど、おいしいと思えない。薄味の固形物を食べている、といった感じだった。
寝る前に少しだけ、とパソコンを立ち上げ慎からのメールをチェックする。あと10日で慎たちのリーグ戦が終わる。毎試合スターティングメンバーでコートに立てたわけではないけれど、登録メンバーから外される事はなかったらしい。
一人でがんばったんだもんね、慎。チームメイト全員がライバルなんて冗談交じりに書いてきた事もあったね。ネックレスにしたあの指輪は、お守りだからいつもしてるって。でもね、慎。気休めにはなるかもしれないけど慎にはお守りなんていらないよ。慎は自分を信じてやってきたんだもの。今まで一度だってグチや弱音のメールを送ってきた事ないよね。楽しい話や負けて悔しかった話だけで。
メールに書かれた事が慎の全てではないってわかってる。楽しいだけで済む世界じゃないから。きっと来シーズンも契約継続だね。また離れてしまうけど、今度は逢いに行く。慎がメールで話してくれる街や一緒に送ってくれる写真の風景、慎と同じ物を私も見てみたい。190cmの視線の世界には届かないけれど、同じ空間を共有しよう。
熱が頭までいってしまったのか、慎のメールを見ながらメールの内容とは違った事を考えていた。
もうすぐ・・・もうすぐ帰ってくるんだよね、慎。8ヶ月ぶりに顔を合わせて、老けたなんて言われたらどうしよう。
少し風邪をひいた、と返信しパソコンの電源を落とした。薬を飲みベッドに入るがさすがにまだ眠くならなず、
今までの事をいろいろ思い出してみた。
意見が違って少し言い合いになっても慎とケンカをした事など一度もなかった。お互いにいい意味で妥協しあえたと思っていたけれど、本当にそうだったのだろうか?もしかしたら、私が慎に我慢させていたもかもしれない。
慎に訊いても帰ってくる答えはわかっている。もしかしたら・・・と思うくらいなら、これから気をつけなくちゃね。
慎が帰ってきても、前のようには時間の都合がつかないだろう。でも、同じ逢えないでも帰ってきているというだけで気分は軽いはず。ただその軽さに馴れ、また慎がヒコーキに乗ってしまうだろう事を考えると軽さは重みを増す。
−最低でも2シーズンはプレーしたいんだ−
契約継続の話が出たら、慎はOKするだろう。他のチームに移籍するかもしれない。とちらにせよ、慎はまた行く。確実に。
2シーズン目だから私もバランスを崩さずにいられると思う。自信はないけれど、馴れたし平気かな。
ごちゃごちゃと考えていると、また寒気がしてきた。体の痛みも戻ってきたような気がする。布団をできるだけ体につけ、早く寝なきゃと気休めに羊の数を数える事にした。