Believe you 29

 1年前の7月と同じように、1年前の8月と同じように時間は新しい記憶と思い出をくれる代わりに確実に過ぎていった。8月ももうすぐ終わってしまう。慎がヒコーキに乗る日が明確に近づいている。
 今日はテルくん主催の慎の送別会。しんみりムードのカケラもなく、送別会という感じはまったくなかった。
 モヤモヤを整理しきってしまった私は作り笑いなどしなくても普通に笑えるようになった。やけにすっきりしてしまい、また寸前になったらジタバタするのかなと他人事のように考えたりしていた。
 飲み始めて2時間ほど経ち、そろそろこの店にも飽きてきたかなという頃、テルくんと慎におもちゃにされていて酔った木村くんが急に真顔でみんなに話し始めた。
 「オレは慎さんみたいにカッコよくないし、一人で飛び立つ勇気もないし、それにまだ甲斐性なしだけど決めました。美樹の事、嫁にします」
 木村くんの大胆発言にみんな静まってしまった。
 「木村、酔っぱらって何言ってんのよ」
 「オレは本気だよ。今すぐだってかまわないけど、それじゃ美樹に苦労させるから。だから、もう少し待っててほしい」
 「・・・木村」
 「よーく言った、木村。ほれ、飲め。だが、お前の親違いの兄貴として一言言っていいか?」
 「何すか、テルさん?」
 「ちったぁ、オレの事も褒めろ」
 「ほら、中ちゃんも何か木村くんに言ってあげなよ」
 「ええ?・・・木村、勘違いしないで」
 「へっ?!」
 「私が木村のお嫁さんになるんじゃなくて、木村が私のおムコさんになるのよ」
 うん、と大きくうなづいた木村くんはお酒のせいもあるだろうけれど、目に涙を溜めて笑っていた。かわいいな、木村くん。
 「ちゃんと式には呼んでね」
 「いつになる事やら。だいたい酒の席の話は本気にしちゃダメなのよ」
 中川さんは、否定しているけれど、嬉しそうだった。ちゃんとプロポーズされてないのは私だけか。ま、仕方ない、か。
 「木村、期待してるよ」
 「オレ、がんばりますよ。慎さんに負けませんよ」
 「だから、オレを無視するなって言ってんだろっ」
 「さて、そろそろお開きにしましょうか。最後に慎くん、決意表明をどうぞ」
 「ええ?何言っていいかわかんないよ」
 「何でもいいよ」
 「ははは。じゃ・・・今日は本当にありがとう。一人で日本を出る事は楽しみな反面すごく不安もあるけど、自分でやると決めた以上は 納得のいく結果を出すためにがんばります。それと・・・」
 「何だよ、慎?」
 「・・・うん。それと真由の事、よろしくお願いします」
 「わかってるって、慎くん。このスカした女をビシバシ鍛え直しておくから。ね、中ちゃん」
 「任せなさい」
 慎、木村くんに感化されちゃった?でも、今泣きそうなくらい嬉しいよ、本当に。
 「という事で二次会へレッツゴー」
 結局、二次会どころかみんな終電を逃してしまい始発まで私たちは遊んでいた。

 9月の2度目の土曜は、まだ夏の青空だった。
 薄いブルーのサングラスをかけた慎は、チームメイトやカメラのフラッシュ、ファンの女の子たちに囲まれていた。
 私はその様子を少し離れた所から見ていると、見知らぬ女の人が私の方へ近づいてきた。私と目が合うとそのキレイな人はにっこり笑った。
 「あなた、慎の彼女でしょ?こんな所にいたんじゃ慎を見送れないわよ。もうすぐ出発よ」
 先に歩き出したその人の後ろを私は黙ってついていった。
 私とその人が慎を囲む人だかりの一番後ろに立った時、ロビーにアナウンスが流れた。がんばれよ、行ってらっしゃい、みんな口々にその言葉を出した。
 しばらくの間、慎とはバイバイ。いってらっしゃいは私も言いたかったな。
 その人は私の手を掴んで人だかりの中に入ろうとした。ガオ、とその人が声を掛けると振り向いた男の人は私を見て、納得したような顔で私を一番前に連れだしてくれた。
 でも、慎はすでにゲートの向こうを歩いていた。
 「慎っ」
 大声で名前を呼ばれた慎は振り向いた。そして、私に気付いたらしく右手の親指を立ていつもの笑顔を見せ、また歩き出した。
 「行っちゃったね」
 ガオさんと呼ばれたその人は私に笑って言った。
 「そうですね」
 「最後に何か話せればよかったね」
 「いいえ、いいんです、これで。慎、笑ってましたから十分です。ありがとうございました」
 私たちの話が聞こえたらしく一人の女の子が、慎くんの彼女なんですか?と訊いてきた。その声を聞いた他の子たちも、どこ?どれ?と騒ぎ出した。
 オレの彼女だよ、と私をかばってくれるガオさんに、ガオさんの彼女はオレでしょ?オレも付き合ってるんだけど、とみんなが私から女の子たちの気をそらすような事を言ってくれた。
 「さ、今のうちに」
 さっきのキレイな人に手をひかれ、私はそっと人だからから抜け出した。
 「ファンの子たちって悪い子じゃないけど、あとで面倒が出てきたりする事もあるからね」
 「いろいろとすみません。でも、どうして私の事を?」
 「あ、私、慎と同じ会社なのよ。慎、財布に犬の写真とあなたと2人で撮った写真を入れてるから時々冷やかし半分で見せてもらってたの。今日は来ないのかしら?もうすぐ出発なのにって 見回したら見覚えのある顔が目に入ってね」
 慎が財布に?そんなの全然知らなかった。
 「お名前、教えて頂けますか?みんなに良くしてもらった事、ちゃんと慎に伝えたいんで」
 私?私は・・・とその人はバッグから名刺を出した。
 「岩崎と申します」
 渡された名刺には社名の下に、広報部第一広報課 主任 岩崎貴子、と書いてあった。
 「岩崎さん、ですね。私、田辺真由です」
 「真由ちゃんね。そう言えば何度か慎から聞いたかもしれない。岩崎ですって言っても再来月、長尾になりますけど・・・うふふ、言っちゃった」
 「え?!あ・・・」
 私は岩崎さんの左腕の時計に思わず目をやってしまった。
 「これ?うふふ、慎から聞いてるのね。ガオが慎に冷やかされそうになったって言ってた」
 「おめでとうございます」
 「ありがとう。あなたも淋しくなるだろうけど、がんばってね」
 「はい」
 「じゃ、私はこれで。慎が戻った時には2人で遊びにきてちょうだい」
 岩崎さんは大人な笑顔を残し、みんなの許へ戻っていった。
 ヒコーキが9月の青空へ向かう音が聞こえる。もう慎の乗ったヒコーキは飛び立ったのだろうか。
 慎と私の距離は時差8時間。朝日も青空も夕焼けも夜空も、8時間私の方が先。でも、空は1つでずっとつながってるんだよね。
 こんな事を思うなんて、慎の少女趣味がうつったかな。

 「田辺さん、どう?お元気?」
 「あ、もうお昼だね」
 「美幸ちゃん戻らないみたいだから、2人でランチどう?」
 「そうだね。戻ったら電話がくるだろうし、行こうか」
 私と中川さんは木村くんが見つけてきた安くておいしい定食屋さんへ行った。
 「おいしいね、ここ。お母さんが作った晩ご飯って感じでいい。毎日来てもいいかも」
 「食欲は大丈夫そうね」
 「慎の事?何か平気みたいよ。平気というか実感がないのかも。カレンダーを見て、ああ、もう10日も経ったんだって感じ。確かに行く前は 行っちゃうんだって思ってたけど。そのうちジワジワくるかも」
 「連絡は?」
 「まだ。なるべく早くネットを繋ぐからって言ってたけど、それ以前の問題じゃない。慎、言葉が覚えられない、どうしようって騒いでたもの」
 「覚えようと思ってすぐに覚えられるものじゃないしね。そのうち、何とかなるでしょ。覚えなきゃ生きていけないし」
 「チームに英語が話せる人がいて、それだけは心強いらしいわ。って言っても慎が英語を話せるわけじゃないけどね。英語なら何とかって感じで」
 「でも、田辺さんが思ったより元気でよかった。いつもカラ元気なのかと思ってたから」
 「今の所は本当に平気。ダメになったら泣きつくから、木村くんを捨てて私と遊んでね」
 「当然よ。愛情より友情。慎くんや美幸ちゃんほどアテにならないかもしれないけど、私の事も信用して」
 「そんな言い方しないで。私、中川さんの事、大事な友達だって思ってる。美幸の方が付き合いは長いけど同じだよ。美幸だって、そう思ってるはずだよ」
 「ありがとう。・・・もうすぐお昼が終わっちゃうけど美幸ちゃん帰って来なかったね」
 「梶原さんと一緒だから、きっといい物をごちそうになってるかも」
 「木村ネタだけどね、梶原さん二股らしい」
 「マジ?!ここじゃまずいから今度飲みに行った時に聞かせてよ。梶原さんはそんな人だとは思わなかったのに、ショックゥ」
 「人は見かけによりません。さて、帰ろうか」
 「中川さん、本当にありがとう。田辺は感動してるよ」
 いえいえ、と中川さんは笑っていた。
 愛情も友情もどっちも大事。今の私はそのどちらにも満たされている。慎がいればもっと・・・なのかもしれないけれど、慎がいない事で見えた事もある。 これもまた、慎のおかげって事なのかな。少しぼんやりする事はあるだろうけど、当分大丈夫かな。
 慎、私は元気だよ。
 会社への帰り道、空を見上げてそう思った。

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