Believe you 26

 「どうした、真由?ぼんやりして」
 「ううん、別に」
 「そう?さっきから窓の方ばっかり気にしてるけど」
 「あはは。おとといね、慎がヒコーキで行っちゃったんだ」
 「おとといだったの?で、帰ってくるのは、いつ?」
 「4月になってから。美幸、テルくんには言ってないよね?」
 「言ってない、信用しろ。だいたい、テルだって私の口から聞くより慎くんから聞きたいと思うよ」
 「さすが古女房。わかっていらっしゃる」
 「古女房?失礼ね。テルは非常にわかりやすいヤツなのよ。そうだ、遅くなって申し訳ないんだけどって、テルから。ほい、ホワイトデイ」
 「別に気にしなくてよかったのに。ありがとうって伝えてよ」
 「アドレス知ってるんだから、1回くらいメールを入れてやってよ」
 「そっか、そうだよね」
 包みを開けると、小さなゴールデンレトリバーがちょこんと座っていた。
 「あ、タロウだ」
 「昨日、2人で1日がかりで探したよ。大きいのはどこにでもあったけど、小さいのが全然見つからなくて。テルと二人意地になったわ」
 「でも、どうしてこれなの?」
 「真由と慎くんのきっかけを作ってくれたのはタロウじゃない。テルにもその話はしてあったから、何が何でも探すって」
 「ありがとう」
 「いやいや。私、真由と慎くんを見てると恋愛ってやっぱりいいものなんだって、馴れ合いになっちゃいかんなって思えてくるわけよ」
 「はい?」
 「テルにも良い所と悪い所があって。付き合いが長い分、テルの良い所なんて忘れてたりするのよ。そういう私の馴れ合いの良くない所を真由たちは気付かせてくれるのよ。 そのワンコだって、1,2件回ってなけりゃウサギでもネコにでも替えられたのに、それじゃ意味がない、真由ちゃんはタロウが一番喜んでくれるはずだって。単純バカな分ストレートなんだよね。 それが長所てあり短所なんだけど、長所として見てた頃の事なんて、私すっかり忘れてたんだよね」
 「テルくんはね、ふざけたりみんなを笑わせたりする所が目立っちゃうけど、本当はすごく優しい人だよ。いつも気を遣ってくれてる。それをおふざけ調子で上手く隠しちゃうんだよね。慎も、テルくんの事、本当に良いヤツだって言ってるよ」
 「そうなんだ。好きとかキライじゃなく、相手の良い所はちゃんと認めてあげないといけないよね」
 「美幸・・・やけに素直。昨日の事で惚れ直したか?」
 「うるさいよ。人をチャカして落ち込みから立ち直るのはやめろ」
 「落ち込んでないもん。さて、テルくんにラブメールしーよっと」
 帰国する前日まで慎は一度も連絡をしてこなかった。これまで毎日、電話かメールで連絡を取り合っていたから、毎晩11時を過ぎるとケータイが気になってどうしようもなかった。 気にしたくなくて、本を読んだりしても一息つくと必ずケータイと時計を見ていた。連絡してこないのは時差のせいではなく、いい結果が出せなかったからだろうか?そんな風にも考えたりした。 仕事から帰ってきてすぐにパソコンのメールチェックをする毎日が続いた。
 「もしもし?オレ。今、電話平気?」
 「うん。もう日本は残業タイムですから」
 「明日の夕方、成田に着くから」
 「明日?」
 聞かされていた予定より1日遅れの帰国。
 「そう、明日。時間があるなら、夜どう?」
 「大丈夫だよ」
 「ケータイ、持ってきてないから6時半頃に電話入れるよ。いつもの場所でいい?」
 「わかった。私も遅くならないようにするから」
 「じゃ、そういう事で。明日ね」
 やっとかかってきた慎からの電話は明日の約束だけで終わってしまった。どんな結果を聞かされるのだろうと、緊張していたのに、いつもと変わらない 口調と用件のみの手短な国際電話。まったくはしゃいだ様子もない。ダメだったのだろうか?
 淡々とした慎の態度に、どうだった?の一言が胸の辺りから上へは上がって来なかった。
 「今の慎くんでしょ?どうだったって?」
 「さあ。何も言ってなかった。ただ明日の待ち合わせを決めただけ」
 「どんな様子だったの?」
 「それもフツー」
 「どっちつかずで、どうだったのか予想もできないね」
 「1つでも合格したら連絡が来るかと思ってたのに、何の音沙汰もなし。やっと電話がきたかと思ったら、明日の夕方成田に着くからってだけ。やっぱり、 だめだったのかなぁ」
 「何とも言えないね。何を隠してるのか、真由がわからないんじゃ私には想像もつかないよ」
 「何だか明日、逢うのがイヤになっちゃった」
 「明日の夕方には気が変わるって。早く終わらせて帰るよ」
 帰り道も部屋に戻ってからもモヤモヤはずっと続いていた。時計もバングルもテルくんからの小さなタロウも私の中のモヤモヤを全て消すことは出来なかった。
 合格してほしいけれど合格したら、慎は数ヶ月後には行ってしまう。もし、ダメだったならどんな言葉をかければいいのだろう。
 なかなか寝付けず、翌日は少し寝不足で出社する事になってしまった。仕事に集中する事もできず、何度も似たようなミスを繰り返すのは寝不足のせいだけではない。時間を確認するたびに、終業時刻に近づいていくのがまた溜息の原因になっていた。
 「真由、何考えてんの?」
 入れたてのコーヒーを持ってきてくれた美幸に、複雑、と昨日からのモヤモヤを話した。
 「頭で割り切れても気持ちはまだって事ね。でも、それは慎くんも同じじゃない?ま、もし今回ダメでも慎くんなら次も受けるだろうから、慰めの言葉はいらないと思うけど」
 「煮え切らないよね、私って」
 「行くの?いってらっしゃぁいって簡単に割り切れる相手じゃないって事よ。恋する女の当たり前の感情だと思うけど。合格を前提に言わせてもらうけど、慎くんが行く事は慎くんにしか止められない。行く慎くんを責めるくらいなら、今日逢って結果を 聞いたら、早めに別れる事を勧めるね。そんな事になったら、真由も慎くんも可哀想だから」
 「相変わらずはっきり言うわね、他人事だと思って。でも、あまりに的確なご指摘で返す言葉もないわ。美幸のそういう所って好きよ」
 「ダメ、私にはテルがいるから」
 「そういう意味じゃありませんので」
 「これから先も、慎くんに当たるくらいなら私に支離滅裂なグチでも毒吐きでも何でもしなよ。いつでもつきあうからさ。私の慎くんをキズつけるような事は私が許さなくってよ」
 美幸のおかげでモヤモヤが軽くなり、それからは気を取り直して仕事をする事ができた。
 「真由、待ち合わせがあるんだから、もう帰りなよ。残りは私がやるから」
 「いいよ。美幸もまだ終わらないんでしょ?」
 「いいから帰れっつーの。残業代も稼げるし、真由にも貸しが作れる。一石二鳥よ」
 時計の針は6時15分を過ぎていた。あと15分もすれば慎から電話が来る。
 「・・・あんまり行きたくないな」
 「じゃ、私が代わりに行って真由が逢いたくないって言ってたって伝えようか?イヤでしょ?がんばれ、真由」
 「・・・うん、そうだよね。今度ランチおごるわ」
 「スペシャルランチにしておくれ」
 「OK。では、残りは宜しくお願い致します」
 「了解。気合い入れて行ってこい」
 「ありがと。じゃ、お先。ごめんね」
 駅へ向かう途中で慎から電話が入り、いつもの所で待っているという。またどちらとも取れない慎の口調に一歩踏み出すごとに、モヤモヤが増大するような気がした。
 「ただいま」
 「おかえり」
 「ヒコーキ、疲れた。白いご飯が食べたい」
 慎の笑顔は少しだけいつもと違って見えた。
 「和食屋さんにでも行こうか」
 先に歩き出した慎の後ろを私は黙ってついていった。
 「ご飯って言ったら、茶碗に入ってなきゃな。オレってやっぱり日本人なんだな」
 慎は運ばれてきた料理を一気に食べてしまった。
 「あ、はいこれ、お土産兼ホワイトデイ。テスト会場からホテルに帰る途中で見つけたんだ」
 小さな袋の中にはガラスでできたキレイ色のピアスが3つ入っていた。
 「ありがとう。キレイな色だね。春夏向きかな」
 「・・・さて、本題といこうか」
 慎は肩で大きく息をつき話始めた。
 「テストの結果は、当日にわかるんだけど。2チーム受けて・・・」
 慎の顔に笑顔はなく、私を見てもすぐに目をそらしてしまった。
 「食後のコーヒーでございます」
 ウェイトレスがコーヒーを運んできた。慎の言葉の続きに緊張しているのに何てタイミング。絶妙すぎ。
 「テストは緊張したけど自分ではよくできたと思ってた。だから、これで落ちたなら今のオレの実力では届かないって事だから、また1からやり直しだって思ってた。 テストの結果は、2チームとも合格した」
 「本当に?おめでとう」
 慎の顔にはいつもの笑顔が戻っていた。
 「昨日からの電話の口調や態度を見てて、私、もしかしたらダメだったのかなって思ってた。昨日、電話で教えてくれたらよかったのに」
 「監督やコーチには向こうから電話で伝えたけど、真由には逢って直接言いたかった」
 「おめでとう。よかったね」
 「本当にそう思ってくれてる?」
 「心からおめでとうって思ってる。でも、それ以上は訊かないで。今はウソも本当も言いたくないから。慎が向こうに発つ日までには、ちゃんと気持ちを整理して笑って行ってらっしゃいって言えるようにするから」
 「・・・真由、ごめんな」
 「謝らないで。謝るくらいなら、最初からトライアウトなんて受けないで」
 「そうだよな、ごめん」
 「ほら、またぁ」
 慎が合格した事は本当に嬉しい。でも、それは慎と私が離れてしまうという事。今は嬉しいと淋しいが混ざって複雑すぎる心境。
 「どっちに行くか決めたの?」
 「契約の条件次第ってトコはあるけど、気持ち的には2つ目に受けたチームかな。そこが本命だったし。帰る前にもう一度見ておこうって、荷物を持って練習してる体育館に寄ったんだ。やっぱ、全然すげぇやって見てたら、お前、トライアウトを受けた日本人だろ?って声をかけられて」
 「どうして、慎はそれがわかったの?」
 「英語で言われたから、何とかね。英語じゃなかったら、わかんないって。で、監督が時間があるならやってみるかって言ってるけど、どうする?って言われて。答えは当然、イエスだろ。それで、一日帰るのが遅れたわけ」
 「手応えはどう?」
 「全てがすごいね。その一言に尽きるよ。オレは絶対にここでレギュラーポジションを取ってやるって、一人でムキになって練習に参加してたよ」
 「ねえ、慎、バレーやってて楽しい?」
 「楽しいし、好きだよ。アタックがバシッと決まった瞬間、みんなで必死になって最後のポイントを勝ち取った瞬間、最高だよ。リーグ戦をやってると負けてもまた次があるからいいやって思うヤツもいるけど、 オレはいいやなんて絶対に思えない。負けた時の悔しさがイヤっていうほどわかってるから、勝った時は本当に嬉しいんだ。でも、向こうに行ったら今まで以上に悔しい思いをするだろうね。負ける悔しさ以前にコートに 立てない悔しさ、目の当たりにする実力の差なんかを。日本であーだこーだ言われてても、向こうに行ったらそんなの関係ない。0から自分の力で上に這い上がっていかなきゃいけない。オレは、悔しいまま終わりたくはないよ」
 多分、今だけ。きっとまた出てくるだろう。でも、今だけは慎の一つ一つの言葉とそれを語る子供のような純粋な目が私のモヤモヤを全て消してくれる。今のこの瞬間なら、何の迷いもなく笑って送り出してあげられるのに。
 「何にしても楽しいが一番だね。楽しさを知ってるから続けられる」
 「昔から背も高かったし、中学で何となく始めたバレーにここまでハマるとは夢にも思わなかったよ。あの時、隣でやってたバスケ部に入ってたら、オレは今頃何してるんだろうなあ」
 「その年にして、5人の子供のパパだったりして」
 「ありえねーよ」
 「そっか、そっか。行く事になったか」
 私は自分に言い聞かせるように笑って言った。
 「真由に何て言っていいのか、どんな顔をされるのか怖かったよ」
 「それは私も同じだよ」
 「そうだな。リーグ戦も終わってまたちょこちょこと試合が入るけど、今までよりは時間が取れるから」
 「うん。またタロウに逢わせて」
 「オレじゃなくて、タロウなのね。いいよ、いつでも」
 慎と別れ、電車の中で何度か溜息が出たがベッドにもぐり込む頃には現実として受け止められたような、半ば諦めにも似た気持ちになっていた。そして、慎が出発するのはまだ先の事なのに、 信じるという事が言葉にするほどたやすい事ではないとひしひしと感じていた。
 私の中の安直な自信にヒビが入ったような気がしていた。

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