「松木慎くん、優勝おめでとう。では、乾杯」
慎がトライアウトを受けに行く2日前、テルくん主催の優勝パーティが開かれた。メンバーは先日のお好み焼きの6人。
「ありがとう」
慎は本当に嬉しそうだった。
今日もまた木村くんはテルくんのおもちゃになっていた。慎ともすぐに仲良くなった木村くんは、慎さん、慎さんとよく慎に助けを求めていた。
楽しい時間は瞬く間に過ぎていった。本当はもっとみんなで楽しんでいたかったけれど、明日はまた仕事なので2軒目に行く事はなかった。
駅でみんなと別れ、私と慎と中川さんは同じ電車に乗った。
「木村って何か、かわいいよね?テルがいじめたくなるの、わかるよ」
「そう?でも、私はかわいい弟がほしいわけじゃないから、時々物足りなくなる事はあるね。かわいいのは、木村より慎くんの方でしょ?」
「オレ?どうして?」
「私は一緒に飲んだのは今日が初めてだけど、そう思った。田辺さんのためにせっせと小皿に取ってあげたり。かわいいというか、健気よね」
「届かないだろうと思ったからだよ」
「きっと木村だったら、取ってって頼まなきゃ気付かないと思うな。自然にそうやって気が回るなんて・・・うふふ」
「うふふってさぁ」
「あ、着いた。じゃあ、今度また飲みましょう。田辺さん、明日ね」
「うん、バイバイ」
中川さんは春色のスカートをふわりとさせ、改札へ向かって行った。
「彼女って、大人だよね」
「私もそう思う。一浪して大学に入ったから年は1つ上だけど、たった1つしか違わないのにこんなに違うのかなって思っちゃう」
「オレと同い年か。彼女の方が大人だな」
「大人だから木村くんと付き合えるんだろうね」
「男はいつまでたっても子供だから。テル見てたらわかるでしょ?」
「テルくんだけでしょうか?」
「少年の心を忘れないだけです」
久々に慎とゆっくりできる時間。明日、有給を取ればよかったかな。でも、こんな時期に休めないし。
「テルくんにはまだ言ってないの?」
「ちゃんと合格して行くって決まってから話すつもり」
「そうか。テルくん、喜んでくれるよね」
「どうかなぁ。真由ちゃんはいい子だから、絶対に泣かすなって言われたし」
「そんな事があったの?知らなかった」
「うふふ、内緒です」
電車を降り、部屋までの道のりはじゃれて追いかけっこをした。まだ夜は少し冷えるというものの、慎のポケットに手を入れるほどではなくなったのが淋しい。
「明日はどうするの?一緒に出ると早いよね?」
「んー、どうしようか」
「一応、カギは渡してあるんだから一度くらい使ってみれば?使わないなら、返してくれたってかまわないし」
「そういえば一度も使った事ないんだな。明日は布団の中で真由を見送ってから出るよ」
「うん。・・・慎、あさってヒコーキに乗っちゃうんだね」
「10日くらいで帰ってくるよ」
「がんばらなきゃね。人生が変わる10日間だ」
「オレはやるよ。そう思ってなきゃいけないよ。怖がってたら何もできないまま終わっちまう。がんばれよって言ってくれた人たちに、ダメでした落ちました、じゃ
情けなくて顔を見せられない」
「そうだ、その意気だ。ね、慎・・・」
「何?」
「・・・・がんばってね。応援してる」
慎は笑って私を抱き寄せてくれた。
でも、私が言いかけた事は本当は別の言葉だった。
あのフォトスタンド、どうした?
本当はそれが聞きたかった。ありがとう、飾っておくよという言葉はもらったけれど、写真の事は何も言っていなかった。
厚かましかった?写真を飾るのは好きじゃない?もう別の写真に変えた?本当は飾ってない?
ネガティブな事ばかり浮かんできて、慎には何も聞けないでいた。飾っておくと慎が言ったのだから、そう思っていればいいのに私は考え方が暗いのかもしれない。
私が眠ったと思っているのか、慎は何も話しかけてこない。少し顔の位置をずらすと、頬に慎の鼓動が伝わってきた。初めは、生きてる、生きてると一人で楽しんでいたが慎の鼓動が私のもう一つの気持ちを見透かしてトントンと叩いている気がしてきた。
慎は慎なりに考えて結論を出し、それに向かっている。私の事を本当に信じてくれている。私も本当に慎には前に進んでほしいと思っている。そして、慎を信じている。
けれど、そう思う気持ちの裏側には行ってほしくないと思っている私がいる。慎が行かなければまた一緒にいられる。リーグ戦の3ヶ月なんて、逢えないわけではないし、もう気にしないで過ごせるだろう。
慎の鼓動はイイ顔ばかりしている私を責める。自分のため、慎のため、早くこの気持ちに整理をつけなきゃいけない。
ごめんね、慎。早く心から慎と同じ方向を見られるようにするね。
「じゃあ、私行くね。カギお願いね」
ばいばい、いってらっしゃいと慎は布団にくるまれながら私を見送ってくれた。
昨日が今日になって、明後日が明日になった。春の日射しは私を笑顔にしてくれる。私も慎も困難があってもそれを乗り越えられる笑顔を持つ事。それが大事なんだと春の日射しと青い空が言っているような気がした。
空港のロビーで慎と話していると雑誌やスポーツ新聞の記者らしき人たちが慎に声をかけてきた。
慎は簡単な予定を話し、写真を撮られていた。その中の一人が私の方へ来て、松木くんの彼女なの?と訊いてきた。
私はどう答えていいかわからず、返答に困っていると慎が私に気付いたようだった。
「松木くん、彼女なんでしょ?」
「ええ、そうですよ。でも、彼女は普通に会社で仕事をしているんで記事にしたり、写真を載せたりしないでもらえますか?」
「彼女が見送りに来てたってだけでもダメかな?」
「公式サイトで出してる以外のプライベートな事は一切やめてください。お願いします」
そっか、彼女がいるってばれちゃうとファンが減っちゃうもんな、と邪推する声が聞こえたが、慎はそれには何も答えなかった。
慎たちのやりとりをまるで知らない人を見るように眺めながら、慎ってすごい人だったんだなと改めて思った。
ロビーにアナウンスが流れ、慎はフラッシュと激励の言葉に笑顔で応えゲートの中に入って行った。
最後にがんばってね、くらい言いたかったな。仕方ないか。
私は慎が乗ったヒコーキが離陸して見えなくなるまでロビーから窓の外を見ていた。
翌日、仕事が休みだというのに普段通りに起き、コンビニへ向かった。入り口近くにあるスポーツ新聞全てと朝食用のパンを買い、急いで部屋に戻った。
コーヒーを入れ買ってきた物を食べながら、スポーツ新聞を1ページ1ページチェックしていった。4誌のうち、3誌に慎の記事と写真が載っていたが思ったよりも小さい。
前回の日本代表のメンバーで、今期リーグ戦の優勝チームのスタメンといっても慎は誰もが知っている有名人ではない。そして、バレーボールというスポーツ自体が
メジャーなようで注目度の低いマイナーなスポーツと言う事なのだろう。
私は慎の記事をハサミで切り取り、手帳に挟んだ。
さあ、天気もいいしお掃除とお洗濯を始めよう。慎はまだ寝てる時間だろうけどね。