1セット目、接戦の末慎たちは落としてしまった。
知らず知らずのうちに手を握りしめ、私はコートの中の慎に、そこで見せる表情に釘付けだった。
2セット目は点差をつけ慎たちが勝ち取り、3セット目も順調に得点を重ねていた。
私は、コートの中で見せる慎の表情を今までに見た事がなかった。真剣という言葉では足りないようなボールを追う目。私の知っている慎はそんな目をした事がない。
もう一つの慎の顔。釘付けになったのは好きだから、ベタ惚れだから、そんな理由ではなく私はただ慎に圧倒されていた。
20−15 トスは慎に上がった。慎は飛ぶ。
慎が打ったボールはブロックの間を抜け、相手コートに落ち、それを示すラインマンの旗がコートを指す。
そして、ボールと同じように慎もコートに落ちた。着地した慎の足の上にブロッカーの足がのってしまい、慎は足を固定された状態。勢いのついた体はそのまま大きくバランスを崩し、
コートに倒れ込んだ。
「慎っ?!」
私は立ち上がり、慎の名前を呼んだ。
「大丈夫だよ、きっと。ね、真由、座って」
美幸の声で私は自分を取り戻した。近くの席から、何あれ、彼女気取り?という声が聞こえてきた。
「田辺さん、気にしちゃダメよ。あんなの」
「そうそう、私と中ちゃんであとでシバキ倒しておくから」
うん、うんと私は作り笑顔しかできなかった。
ベンチに戻った慎は4セット目までコートにその姿を見せる事はなかった。
この4セット目を取れば、慎たちの勝ち。
慎は自分にあげられたトスに何の迷いもなく飛ぶ。しかし、慎の打つボールはそれまでの勢いがなく、ブロックにも止められるようになっていた。
この試合の戦力にはなれないと判断されたのか、足の怪我がひどいのか、中盤慎はベンチに戻された。そして慎がいないまま、チームは勝ちを決めた。
試合終了後、観客たちに向かって挨拶をする選手たちにまた女の子たちの声が飛び交った。慎も笑顔で応え、右足をひきずり控え室へと戻っていった。
「すごかったね、慎くん」
「うん、オレは感動したね」
「田辺さん、大丈夫よ。多分捻挫だと思うから、すぐに治ると思うよ。折れてたら、速攻病院行きだって」
「うん。ごめんね、大丈夫、大丈夫」
「それにしても、慎、カッコよかったな。オレは惚れ直したぞ」
「普段からは想像できないよね。私もびっくりしちゃった」
「ホント、真由はいい男つかまえたわ」
「本当に木村と交換しない?ごめんって泣きそうな顔で謝ってくるヤツだけど」
「仲直りできたんだ?よかったね」
「一応ね」
観客がほとんど会場の外に出たので、私たちも帰る事にした。
「うひゃ、寒い。中は熱気ムンムンだったから、外がさみー」
「慎くん、私たちが来てる事に気がついてないよね?一言くらい話せないのかなぁ」
「じゃ、探してきてやるよ」
「探すって?」
「どうせ、バスで移動だろ?バスが停まってる所を探せばいいはずだ」
「なるほど。では、発見次第ケータイに連絡を」
「了解っ」
「いいの、テルくん一人で?私も反対側を探そうか?」
「テル、小学生の時に1回だけどここに来たんだって。だから、覚えてる・・・・かもしれないから。大丈夫じゃないかな」
「ナマ慎くんを見られるなんて、ちょっとドキドキよ」
「中ちゃん、惚れちゃダメよ。この前原美幸様という美しい愛人がいるんだから」
ヒューッと冷たい風が吹く中、私たちは笑っていた。
「おっと、発見したかぁ」
美幸のケータイにテルくんから電話が入った。テルくんが探してくれた場所へ行くと、すでに女の子達の集団が何組か出入り口を固めていた。
「かー、芸能人の出待ちだね、こりゃ」
「ああいう子たちがいるって事はここに間違いないね。バスもあるし」
「でかした、テル。偉いぞ、褒めてやる」
「今日はな、真由ちゃんのためだから」
「ごめんね、テルくん。ありがとう」
快晴の土曜日だったけれど、さすがに4時を過ぎると寒さも増してくる。ここへ来てからもう10分以上経つのに、どちらのチームも姿を見せない。
「寒いから帰ろう。私だったら、気にしなくていいから」
私たちが会いたいのよねーっと美幸と中川さんが声を揃えて言う。
「ここまで待ってたのにもったいないよ、真由ちゃん。なっ」
「ごめんね」
テルくんは笑って首を横に振ってくれた。
私たちの前にいる女の子たちもまったく帰ろうとしない。彼女たちの手にはプレゼントらしき物やカメラが握られている。そして、期待いっぱいの笑顔をしている。
それから10分近く経って、やっと彼女たちがザワザワし始めた。出入り口の奥に出てくる選手たちを見つけたようだった。
先に外に出てきたのは、慎のチームだった。ごひいきの選手にプレゼントを渡す子、とにかくカメラのシャッターを切る子。私はすごいなぁと眺めていた。
やっと慎が出てきた。慎くん、松木さんと数人の女の子に慎は囲まれていた。
「慎っ!」
テルくんが大きな声で慎を呼んだ。慎はびっくりした顔で私たちの方を見て、近づいてきた。
「何だよ、来てくれたの?言ってくれればチケット手配したのに」
「それより慎、足は?」
「大丈夫、捻挫。2,3日もすりゃ治るよ。せっかく来てくれたのに、カッコ悪いとこしか見せられなかったな」
「いや、そんな事はないよ。前原は感動して惚れ直したよ。あ、こちら同僚の中川さん」
「初めまして。田辺さんにはいつもお世話になってます」
いえいえ、と慎は照れていた。
慎、そろそろ行くぞ、とバスの方から声が掛かった。
「ごめん。このまま静岡に移動なんだ。今日は本当にありがとう。帰り、寒いからみんな気を付けて」
それじゃ、とさりげなく腕をまくった慎の右腕にはあの時計が光っていた。
最後に私に視線を合わせてくれた慎は足をひきずってバスの方へ歩き出した。バスの前で振り返り、私たちに手を振ってくれた。そして、慎を乗せたバスは発車した。
「近くで見ると、ますますカッコいいね」
「でっしょ?オレが惚れ込んだ男だもん」
「寒いから帰りは気を付けてだって。ああ、もう慎くんってばぁ」
せっかく横浜に来たのだからとみんなで中華街にご飯を食べて帰ってきた。
部屋に戻った私は、今日の事を思い出していた。
ボールを追う真剣な眼差し。打つために飛ぶ慎。私の知らなかったもう一つの慎の顔。美幸たちの言葉を借りるなら、改めて惚れ直したと言ってもいいかもしれない、と
お揃いの時計を見ながら一人で笑っていた。時計は我関せずと性格に針を動かずだけだった。
そろそろかなとTVに向けていた視線をケータイに向けると慎から電話が入った。
「びっくりしたよ。何で言ってくれなかったの?」
「びっくりさせたかったの。でも、びっくりしたのは私の方だったけど」
「足?怪我はないわけじゃないからね。でも、今日はオレも驚いたよ。まさか足を踏まれるとは思ってなかったから」
「それもあるけど、コートに経ってる慎を初めて見たから。みんなが知ってる、私の知らない慎の顔。圧倒された」
「そんなにコワイ顔してた?」
「そうじゃなくて、あんなに真剣な慎を見た事がなかったから。もっと早くみればよかったのかもしれない」
「真由と一緒にいるようになって、東京で試合なんか1,2回しかなかったから仕方ないよ。それに真由が来てるかと思うとオレも緊張するかも」
慎は笑っていた。
「惚れ直した?」
「自分で言っちゃう?・・・・でも、認める」
「そかそか、よかった。今度来る時は前もって言うように。絶対に最後までコートにいるから」
「行くわよ、決勝戦」
それから帰りに中華街に行った話をして電話を切った。時計に気付いた事を言うのを忘れたと気付き、慌ててメールを入れると慎の返信は
「へへへ」の3文字だけだった。