席へ戻るとテルくんと慎くんが楽しそうに話していた。
「とりあえず、ここは出ようか」
私はテルくんと慎くんの後ろを美幸と並んで歩いた。慎くんは背が高いだけあって、インディゴブルーのジーンズがカッコ良く見える。
前を行く二人はレジの前を素通りして店の外へ出た。
「テルくん、いくら?」
「今日はいいよ」
「どうして?ちゃんと払うよ」
「いいって、な、慎」
「うん。今度ラーメンでもごちそうして。それでいいよ」
・・・今度。
「じゃ、二人ともごちそうさま。今度、私と真由でラーメンを餃子、チャーハン大盛り付きでごちそうするよ。ね、真由」
「うん。今日はごちそうさまでした」
「よかよか。で、これからどうする?まだ時間も早いし、もう1件どこかに行こうか?真由ちゃん、平気?」
「終電に間に合うならいいよ」
「じゃあさ、真由あそこにしない?前に二人で言ったショットバー」
「ここから近いの?」
「駅の向こう側になっちゃうけど、駅からは5分くらい」
私たちはそのショットバーへ歩き出した。
最初はテルくんと慎くん、私と美幸で歩いていたのにテルくんと美幸がおふざけの言い合いを始め、いつの間にか私と慎くんが並んで歩いていた。
前を歩く美幸たちは楽しそうにじゃれ合いながら歩いている。そして、ほとんど私たちを振り返らない。
これも打ち合わせ済みって事?私はその打ち合わせとやらをさっき聞いたけど、慎くんは知ってるの?知ってたら・・・恥ずかしすぎる。
「真由ちゃんは、マユミちゃん?マユコちゃん?」
「ただの真由。何か中途半端だよなって、子供の頃は思ってた」
「子供の頃ってどうでもいいような事を気にするよね。でも、それを言ったらオレの名前も中途半端だよ」
「そうかなぁ」
「だって、シンイチでもシンジでもシンノスケでもなくてただのシンだもん。オレ、兄貴いるのね。兄貴の名前、
健一郎って言うの。それと比べたらやっぱり中途半端な気がしてくる」
「あはは。ま、今は何とも思ってないからいいんだけどね」
「オレもそうだね」
「慎くんって190cmあるんだよね?」
「自称、ね」
「自称?」
「本当は189ちょい」
「変わらないって。190cmの世界ってどんな感じなんだろうね。同じ物を見ててもきっと全然違うんだろうな。今だって
同じ方向を向いて歩いているけど見えてる物が全然違うなんて、想像できない」
慎くんは私の顔を見下ろしていた。
「何?あ・・・私、気に障るような事言った?ごめんなさい」
「違う、違う。そうじゃなくてさ、そういう風に言われたのってもしかしたら、初めてかなと思って」
「それなら、いいけど・・・」
「オレの第一印象ってやっぱりデカイ、でしょ?別にそんな事気にした事なんてないんだけどさ。昔テルに、満員電車で人よりキレイな空気を吸ってるって言われたけど。
でも、真由ちゃんが言った事ってオレにはフツーの事だからよくわかんないんだよね」
「フツー・・・ね。私には一生わからない未知の世界よ。常に190cmの視界の世界なんて」
「もう背は伸びないだろうしね」
「例えば・・・ほら、あの半分ハゲたおじさん。おじさんの後ろに立ったら私は波平さんのような後頭部しか見えないのに、
慎くんにはピカピカの頭のテッペンが見えちゃうわけでしょ?それって、ピラミッドを横から見たら三角、
上から見たら四角っていうくらい違う事よ」
「そう言われればそうだね。真由ちゃんっておもしろい事言うね」
そ、そうかな・・・
ドアを開けると暗めに照明を落とした店内には、カウンター席に4,5人の先客がいて、2つあるテーブル
席はどちらも空いていた。手前のテーブル席に着くと、若いバーテンダーがおしぼりとコースターを私たちの前に
置き、お決まりになりましたら声を掛けてくださいとカウンターへ戻っていった。
「あの人、相変わらずかっこいいよね。うふっ」
美幸が彼を目で追っていた。
「お前、そういう事でここにしたわけ?」
「まあまあ。所詮カウンターの内と外。実らない恋なんだから」
「お前が相手じゃ、仕方ないよな。健闘を祈るよ」
「そりゃ、どうも」
「テル、ヤキモチ焼いてんの?かわいいな、お前」
「うるせーよ。何だよ、慎、お前までさ」
お決まりになりましたか?とオーダーを取りにきたのは、先程の彼ではなくマスターだった。
「男の目から見てもあの人はカッコイイな」
カウンターの向こうで私たちのカクテルの準備をしているマスターを見て、テルくんがつぶやいた。
「オレもそう思うね。カッコイイよ」
「くーっ、オレもあんな風になりてぇな」
「がんばりなよ、テル」
「美幸ちゃん、まじでお前はムカツクよ。オレはお前の10年後がコワイね。子供を産んだのにいつまでも妊婦体型でいそうで」
「え?!美幸とテルくんって、結婚の約束してるの?」
「別にそこまでは、なぁ、美幸」
「うん。だって、就職して2年目だよ。やりたい事だってまだまだ出てくるだろうし、新しい出会いもあるかもしれないし。なぁ、テル」
「そういう事。なぁ、慎」
「何だよ、いきなり。でも、やりたい事をやれる時間って少ないからさ」
「そうなの?」
「オレはそう思うよ。オレ、運動やってるじゃない?コイツから聞いてるよね?」
慎くんは少しまじめな顔をして私と美幸を見た。
「自分の好きな事、本当にやりたい事を趣味でやるならいつまでだってできるけど、本気でやれる時間は少ないよ。特に運動なんて
第一線に立てる時間は短い。一線に立てなくても選手でいられる時間自体短いと思うんだ。・・・あ、やめよう、この話」
「どうして?」
「ん?力説しちゃうよ、オレ」
「お前、ほんっとバレーにだけは純粋だよな」
「オレは全てにピュアだよ。失礼だな」
「ね、慎くんの目標はやっぱりオリンピック?」
「んー大会としてはオリンピックだけど。大会は目標じゃなくて、手段なんだよ。強いヤツ、うまいヤツとやるための手段。オレはうまくなりたいんだ。
限界がないくらい上に行きたいなって」
慎くんは自分の言葉に照れたように笑っていた。
「お前ならやれると思うよ。オレはお前を信じてるぞ」
「オレはやるよ」
すごくいい笑顔。私はそう思った。
「そういえば、タロウ元気?」
「タロウ?」
「うちのワンコ。元気だよ。あ、写真見る?」
慎くんは財布から写真を出し、私たちに見せてくれた。タロウはゴールデンレトリバーだった。
「おっきくなったなぁ。去年、お前んちに行った時はまたほんの子犬だったのに」
「テルが来た時はもらってすぐくらいだったからな。今度みんなでタロウを見においでよ。人なつっこくて、かわいいヤツだよ」
「うん、行く行く。ね、真由」
「かわいいね」
「おいでよ。タロウも喜ぶよ」
テルくんがトイレ、と席を立つと、美幸も一緒に席を立ってしまった。
・・・またこれも打ち合わせ?
「もう1回写真を見せてもらってもいい?」
頼りなさ気な目でカメラを見る小さなタロウと大きくなったタロウ。そして、その横で笑っている慎くん。
「これは誰が撮ったの?」
「チビの頃はオレ。一緒に写ってるのは、おふくろ。タロウは一番いい息子だって、溺愛されてるよ。本当にいい子なんだけどさ」
「うちの実家にも雑種だけど犬がいるの。逢いたくなっちゃうな」
「実家はどこ?」
「茅ヶ崎。大学の時からこっちで一人暮らししてるの」
「美幸ちゃんも一人暮らしなんだよね?」
「美幸の実家は静岡。美幸とは会社の同期なの」
「じゃ、知り合って1年くらいなんだ。もっと前から友達って感じに見えたよ」
「ううん。美幸とテルくんは大学の時からでしょ。テルくんと慎くんは高校の時から。私が一番新参者よ」
「オレも動いてる美幸ちゃんと逢うのは初めてだよ。テルに写真を見せてもらった事はあったけど。でも、もう4人とも
友達だよ、ね?」
「うん、そうだね」
友達・・・ね。
「あれ、美幸?」
いつの間にか美幸たちはカウンターで飲み始めていた。
「今ね、私たちラブラブタイムだから邪魔しないでね。同じのでいい?頼んでおくから。じゃぁね」
邪魔しないでねと私の肩においた美幸の手には力が入っていた。”がんばれよ”という事らしい。感謝しますよ、美幸さん。
「テル、タバコを吸いたかったんだろうな」
「え?」
「オレ、吸わないからさ。高校の頃は時々吸ってたし、今でもたまーにもらって吸うけど基本的には吸わないから。タバコ吸ってると
息があがっちゃうんだよね。あ、美幸ちゃんもタバコ吸うんだ。真由ちゃんも吸うの?」
「う、うん。時々ね」
ウソ。2,3日で1箱のペースで吸ってる。
「いいよ、吸って。飲むと吸いたくなるでしょ?気にしないでどうぞ」
「ありがとう。吸いたくなったら、吸うから気にしないで」
犬の話、一人暮らしの話、家族の話。3杯めのカクテル。
時間はあっという間に過ぎていく。ふと時計を見て過ぎた時間に驚くのは私がこの時間を楽しんでいる証拠。久しぶりだな、こんな時間。