Believe you 19

 「はい?」
 「今やってるリーグ戦が3月半ばに終わるのね。それが終わったら海外のトライアウトを受けるんだって。多分、合格して行っちゃうだろうな」
 「トライアウト?メジャーリーグなんかでやってるヤツ?」
 「そう、入団適性試験ね」
 「行くとしたらいつから?」
 「9月だって」
 「どの辺に行くの?」
 「ヨーロッパの中でいくつか受けるみたい」
 「そっか・・・世界の松木慎になっちゃうんだね。バレーなんてそんなに興味ないけど、慎くんがやってるからたまにそういうサイトを見るの。慎くんって評価高いよ。ファンサイトじゃなくてスポーツサイトでね。ま、ファンもついてるけど」
 「そうなの?」
 「アンタ、自分の彼なんだからそれくらい見なさいよ」
 「前にね、何となく慎のファンサイトを覗いたらみんな慎に対して一生懸命なの。掲示板を読んだらちょっとへこんでさ。それから見てない」
 「あのね、ファンと彼女を同じレベルにおいてどうするの?ファンの子たちが必死なのはその時しか時間がないから。いつでも連絡を取り合って、お泊まりまでする真由とは違うでしょ」
 「慎もそんな事言ってた」
 「じゃ、私たちの言ってる事は正論って事ね。真由、しっかりしろ」
 「大丈夫だって。まだ時間があるけど、慎が行っちゃったら遊んでね。黒田さんと中川さんにもお願いしなきゃ」
 「9月からいつまでなの?」
 「場所によっても違うけど、春までかな」
 「行ったきりではないのね。よかったじゃない」
 「外に出て、自分を向上させて日本のコートに立つのが目標って感じかな」
 「真由はどう思ってるの?」
 「いづれは行くと思ってたから。でも、いざ行ったら動揺するのかなぁ」
 「多少はするだろうけど、平気じゃない?慎くん小豆ちゃんだし」
 「あずきちゃん?」
 「マメマメしいって事よ。連絡がなくなるなんて事はないでしょ。メールだってあるんだし。ただ、真由が離れてるのは耐えられない、いつも傍にいる人じゃないとダメって 言うならそれはそれで仕方ないけどね」
 「どうなんだろうね。遠距離恋愛なんてした事ないから、想像もつかない。ね、美幸、17日の土曜って何か用事がある?」
 「来週の土曜?別にないよ。今週はダメだけど」
 「今週は私も実家に戻るからいいの。17日ね、慎が横浜で試合なの。一緒に行ってもらえないかなと思って。チケット代は私が出すから」
 「いいよ、行こうよ。私も普段のぼんやり坊ちゃんしか見てないから見たい。チケット代は気にすんな。行きたくて行くんだから」
 「本当?ありがとう。慎には内緒で行くんだけど、一人じゃ淋しいかなと。よかった。テルくんも行くかな?」
 「テルには話しておくよ。慎くんの真剣な顔が見られると思うと楽しみだな」
 トライアウトの話は慎が自分で言うまでテルくんには言わないでほしいと頼むと、美幸は信用しろと笑っていた。ふと、TVに目をやると天気予報だった。
 「明日、午後から大雪になるかもだって」
 「マジ?ブーツ履いてきてよかった。って、早く帰らないと電車が止まっちゃうじゃないね。何年か前にもあったでしょ」
 「バイトが休みでTV見てた」
 「私なんてカラオケボックスで缶詰」
 「どうせ、歌いまくってたんでしょ?」
 「女4人で行って、2人は寝ちゃうしもう1人は電話で部屋にいないし歌うしかないでしょ?前原美幸オンステージだったわ。そういや、真由ともカラオケ行ってないね」
 「そうだね。カラオケ自体行ってないし。今度行こうよ」
 「うしうし、行くよ。結婚したらこれほど自由でいられないと思うと、やっぱり結婚は当分いいや」
 「あはは、言えてる」
 「でも、もし真由が慎くんと結婚したら、今みたいにいない時期があるんだから自由はあるんじゃない?」
 「冷え性だから、冬の夜は体温の高い人にお布団をあっためてもらいたい」
 「いやらしい」
 「そういう意味じゃないよ。変な想像してる美幸の方がいやらしいよーだ」
 話した事ですごく楽になった気がする。サンキュー、美幸。

 翌日、予報通り3時頃から大きめの雪が降り始めた。書類を書きながら窓の外を見るとその度に白い風景になっていく。電車ヤバそうだよねという声もちらほら聞こえてくる。
 5時半過ぎには外は真っ白状態だった。打ち合わせから戻った課長に、全員残業なしで帰れと言われラッキーと美幸と顔を合わせて笑っていた。
 定時にみんな退社し、外へ出ると歩道は踏みつけられた雪がべちゃべちゃになっていて、植え込みの上には驚くほど雪が積もっていた。
 「こんな所で転んだら、最悪だね」
 「せっかく帰りが一緒なのにこれじゃ遊べないね」
 「私と美樹が異動してきてから夜に遊んだのって1回だけだもんね。あとはお昼だけ。そのお昼も時間が合わなかったりするし」
 「昨日ね、真由と今度4人でカラオケに行こうって話してたんだけど」
 「行こうよ、行こう。私、最近木村と倦怠期っていうか、何かダメでさ。うさ晴らししたいなって思ってたのよ」
 「では、近々行きましょう」
 この雪のおかげで黒田さんと中川さんともっと仲良しになれたような気がする。
 私と中川さんは途中まで同じ電車なので、美幸と黒田さんとは駅で別れた。
 「今度、田辺さんの彼に会わせてよ」
 「え?見るほどでも・・・」
 「会社で何の仕事をしてる人なの?」
 「うーん・・・スーツを着たサラリーマンじゃなくて・・・」
 「開発とか研究の人?」
 「ううん、一応所属してる課はあるみたいだけど、実業団でバレーやってるの」
 「前に話したのは、昔バレーをやってたって事じゃなくて今現在って事だったの?すごーい」
 「すごいかどうかはわかんないけど」
 私はちょっと照れてしまった。
 「ますます一度お会いしてみたいわ。私ね、元バレー部なの。中学の時だけど」
 「へえ、中川さん背が高いもんね」
 「試合とか見に行かないの?」
 「来週の土曜に横浜でやるから美幸と行く予定なの。美幸の彼も来るのかな」
 「私も行ってみたいなぁ」
 「一緒に行く?でも、彼には内緒で行くからチケット代は自腹になっちゃうけど」
 「私が行ってお邪魔じゃないなら行ってみたいんだけど。たまには、中学の頃みたいな健全な空気を吸いたい」
 定刻通りに発車した電車は中川さんが乗り換える駅に到着し、また、明日ねと私と中川さんはドア越しに手を振りあった。
 ポサッポサッと降る大粒の雪で傘はすぐに重くなってしまい、何度も雪を払い落とさなければならなかった。その度に空を見上げてみる。静かに舞い落ちる雪は白い羽のようにも見える。
 すごくキレイ。慎と一緒にこの羽のような雪を見上げられたらいいのに。
 私は軽く溜息をつき、また歩き出した。私の部屋がある建物が見えてきた時、慎から電話が入った。
 「真由、今どこ?」
 「もうすぐ愛しの我が家です」
 「それならいいけど。ニュースで電車が遅れてるって言ってたから、大丈夫かなと思って」
 「課長から残業無しのお達しがあったの。だから、全員定時退社」
 「じゃ、美幸ちゃんも大丈夫だね」
 「私たちが電車に乗った頃は遅れてなかったから平気だと思うよ。慎は心配性だな」
 「寒いのに駅で足止めなんて、大変だろ?」
 「1こ1こが大きい雪だよね。見上げるとすごくキレイなんだよ。羽みたいにも見えるし。ずっと上を向いてると空に吸い込まれていくような気がする」
 「うん、キレイだね。あとの事を考えなければ、たまに降る雪はいいかもね」
 「慎と一緒にこの空と雪を見上げられたらいいのになって、さっき思ったんだ」
 「真由に言われて窓を開けて見てるよ。羽ね、わかるような気がするよ」
 「ずっとこのまま見上げてても飽きないかも」
 「風邪引くぞ」
 「だって、あんまりにもキレイで寒さなんか感じないんだよ」
 「正月休みに降ってくれればよかったのにな。そしたら、一晩中でも眺めていられた」
 「現実はそう都合良くできていないのです」
 「木曜に時計を買いに行こうか?」
 「木曜?いいよ」
 「でも真由、コーくんを衝動買いしたし、平気?」
 「平気だよ。やだな、お母さんみたいな事言わないでよ。それにしても、コーくんの名前、覚えてたんだ」
 「コーくんもシマウマうさぎも覚えてるよ。真由、まだ外だろ?電話切るから早くコーくんにあっためてもらいなよ。風邪引くよ」
 「わっかりましたっと」
 「また連絡するから。じゃあね」
 「うん、ばいばい」

 さっきより小さくなったけれど、10時を過ぎても雪はまだ降り続いていた。窓から見える何という事もない、ある意味無機質的な風景を雪と夜が幻想的なものに変えていく。 電線にも雪が積もり、モコモコとぬいぐるみのようになっている。ひどく非現実的な風景。いつまでも浸っていたいけれど、現実はそれを許してくれそうにもない。朝が来たら雪と格闘しながらご出勤。 お昼くらいまで電車が止まってくれればいいのに。
 でも、もう少しこの夜に浸っていようと、灯りをロウソクにしてカーテンを開けた。
 1人でも満足できる時間。でも、2人ならもっと満足できるのだろうか?
 私と慎は今くらいの距離がいいのかもしれない。明日が来れば、それぞれの明日であったり、2人の明日であったり。自分中心の時間と自分以外の誰かと共有する時間。それぞれに楽しみ方が違う、どちらも手放せない素敵なもの。
 慎が行ってしまってもヌケガラではない私と楽しい女友達がいる。だから、私は変わらずにいられると思う。慎は何も心配しなくていいのに。
今はそう思える。ずっとそうありたいと思う。
 音もなく降る雪とロウソクの柔らかい火、そしてコーくんの温かさに私はだんだん眠くなってきてしまった。
 ロウソクを消して、今日はこのままここで・・・と思った途端、慎からメールが入った。どうしてこうタイミングが悪いのだろう?これで何度目?それとも慎とこのコタツは相性が悪いのかしら?
 慎におやすみの返信をし、私はベッドに移動した。

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