ケータイの着信音で私はびっくりして飛び起きた。窓の外の灯りだけの暗い部屋でケータイだけが光っていた。
「真由、今どこにいるの?」
「部屋。・・・寝てた。1時間くらいで起きるだろうと思ってたんだけど。ケータイが鳴らなかったら、まだ寝てた」
「具合悪いの?」
「自堕落モード全開なだけ」
「めずらしいね、そういうの」
「そう?そうでもないよ。で、慎は今どこにいるの?」
「部屋の前にいますよ」
ベランダから駐車場を見ると慎の車が停まっていた。
「そろそろ、部屋に行ってもいい?」
「あ、ごめん。どうぞ」
「8時か9時頃に来るのかと思ってた。ごめん、今から食べる物用意するね」
「オレもそのつもりだったんだけど。兄貴たちが今日来る予定だったけど、義姉さんが風邪こじらせちゃって、2日に来るって連絡が来てさ。
そしたら、親父とお袋が飲みに行くって言うからヒマになっちゃったんだよね。電話してから来ようと思ったけど、部屋にいるだろうと思って来たら真っ暗でびっくり」
「私もケータイにびっくりして、部屋が真っ暗でまたびっくり」
「寝てる時のケータイってびびるよね。あ、明日、午後からうちに来ない?」
「え?」
「兄貴たちが来るからっておふくろがちょこちょこ用意してたんだけど、来ないんじゃ食べきれないし、一人でお正月なんて淋しいだろうから連れて来いって。どうする?」
「えー何か緊張しちゃうな。普段の日に遊びに行くのと違うから」
「平気だよ。義姉さんも結婚する前はよく来てたし、おふくろ、女の子が好きだから」
「そうなの?」
「娘が欲しかったのに息子しか出てこなかったから。親父、兄貴、オレって男ばかりの家の中はむさ苦しいってよく言ってたよ」
「ふーん。はい、とりあえず、これ食べてて」
「何も作らなくていいよ。勝手に押し掛けてくてるんだから」
「いいの。私も今日はまともに食べてないし、簡単な物しかありませんので」
飲んで適当につまんで、大晦日のTVを観ながらおしゃべりをして、いつもと変わらないまま今年が終わろうとしていた。
ただ時折、話しかけても上の空な慎の態度が気になった。来るべき時が来たのかも・・・私は直感的にそう思った。
10,9,8,7,6・・・TVで今年の終わりと新しい1年を告げるカウントダウンが始まった時、慎が突然口唇を重ねてきた。
明けましておめでとうございますとアイドルグループが元気に新年最初の挨拶をした。
「2年越しのキス。なーんちゃって」
「びっくりした。明けましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い致します」
私はかしこまって慎に新年の挨拶をした。
「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
慎の聞き馴れない形式ばった言い方に2人で吹き出してしまった。
「これから初詣に行こうか。この辺にある?」
「10分くらい歩くけど。行こうか」
寒い夜だった。それでも、並んで歩く私たちの前後には同じように初詣に向かう家族連れやカップルが仲良く歩いていた。
私の右手はいつものように慎の左のポケットの中。相変わらず慎の手はあったかい。
小さな神社の広場ではたき火がオレンジ色の火で辺りをあたたかい色に照らしていた。お賽銭をして、当番役とでも言うのかおじさんたちにみかんと御神酒をもらって
私たちはたき火にあたっていた。
「何をお願いしたの?」
「内緒」
「じゃ、私も内緒っ」
私のお願いなんて単純。ずっと慎と一緒にいられますように。それだけ。でも、オレンジ色の火をみていたら、自己チューだなと思えてきた。
「ちょっと待ってて。もう1こお願いしてくる」
私は神様の前に走り、またお賽銭をしてお願いをした。
慎の夢が叶いますように・・・
「お待たせ」
「何を追加注文してきたの?」
「なーいしょ」
「もう訊きません。さて、帰ろうか」
他愛もない話をしながら、私たちは来た道を戻っていった。
「真由、タバコ吸っていい?」
「タバコ?いいけど」
私は慎の前に灰皿をおいた。そして、慎に悟られないように深呼吸というか覚悟の溜息をついた。
「めずらしいね、タバコを吸うなんて」
「たまにね、吸いたくなる時があるんだよ」
慎は上向きに煙を吐き、その煙を見つめていた。
「真由・・・」
「私もタバコいい?」
慎の返事を待たずにタバコに手を伸ばし火をつけた。
「そう言えば、真由も吸うって言ってたよな。初めて見るよ、真由がタバコを吸うの」
「それはお互い様でしょ」
緊張し始めた自分の気をそらせる物が欲しかった。そして目の前にタバコがあった。ただそれだけの事。
慎は何も言わず自分の吐く煙を見ていた。私は半分程吸ったタバコを消し、慎の横顔を見た。私の視線に気付き、一度は私を見るが表面的な笑いを見せすぐに視線をそらす慎。
私はこの沈黙が耐えられなかった。否、耐えたくなかった。もう1本失礼、と2本目のタバコに火をつけ、深呼吸代わりに大きく吸い込みゆっくりと煙を吐いた。
「慎、決めたんでしょ。なら、それでいいじゃない」
慎は驚いたような顔で私を見た。
「自分の中では決まってるんでしょ?今日の慎、少し変だったからもしかしたら言われちゃうかなと思ってた」
「真由・・・」
「受ける事にしたんでしょ、トライアウト。行きなよ、慎」
何も言葉を返さない慎に私は精一杯の笑顔を見せた。
「ごめん、真由・・・」
「どうして謝るの?何も悪い事なんてしてないじゃない。謝るなんておかしいよ」
「ただ・・・受かってもまだ真由の事は連れて行けない・・・」
「わかってるよ、そんなの。当たり前じゃない。遊びに行くわけじゃないんだから。それとも慎が合格してどこかに行く事になったら、私たちは終わりって事?」
「そんな事は考えてない」
「最初に言ってたじゃない。お呼びがかからないなら自分から行くしかないって」
「覚えててくれたんだ。もっと上手くなりたい、もっと上に行きたいって思ったら今のままじゃダメだってわかったんだ。監督には、日本を離れたら代表から名前を外される可能性もあるって言われた。けど、それこそぬるま湯につかってるオレなんだよ。
どこでプレーをしたって、認めさせる実力があればいい、オレはそう思ってる。受かったら・・・最低2シーズンはプレーしたいんだ」
「受かったら、じゃなくて受からなきゃ。そんな弱腰でどうするの?慎らしくないよ」
「夏の終わりくらいから、春にトライアウトを受けようかって気になってて。それが少しずつ固まって。でも、そうなると真由と離れなきゃいけなくなる。固まったはずの気持ちなのに真由といるとまた迷って。
クリスマスの時、真由に迷ってるって話そうかと思ったけど言い出せなくて。でも、あの時真由が私と自分を信じて前を向いてほしいって言ってくれたから。オレの自分勝手な解釈なのかもしれないけど、その時自分の中ではっきり決まったんだ、受けてみようって。真由となら大丈夫だって」
慎は自分の言葉を噛みしめるかのように間をおきながら話してくれた。
「遠距離恋愛なんてした事がないからどうなるのか私にもわからないけど、いづれ日本に戻ってくるんでしょ?」
「戻るよ。海外でプレーするのは目標じゃなくて、手段だから」
「待てなくなるまで待っててあげる。ま、これもお互い様ね」
「ありがとう、真由」
「では、慎くんの勇気ある告白に拍手」
本当に慎が行く事になったら、一人でジタバタする自分が楽に想像できた。けれど、今はすっきりして作り笑顔をしないでいられた。
さて、寝ようかと立ち上がると慎が後ろから抱きしめてきた。
「本当にありがとう」
「それは、受かってから言ってくださいな」
「そうだね。こうやってさ、真由の傍にいて真由を抱きしめられて、抱きしめてる時は真由の顔が見えないけど、オレの事をちゃんと想ってくれてるってわかるのに手を離したら真由がいなくなっちゃう気がする時があるんだ」
「私もあるよ、そういう時が。慎の体温が直に伝わってくる距離にいるのに慎がどこかに行っちゃうような気がして、泣きたくなったり」
「何なんだろうね」
「逢いたいのに逢えないとか、そんな時にはあんまりそういう気持ちにはならないのに。私は多分慎が思ってるよりずっと慎が好きなんだと思う。
誰かを好きだって想って、それが相手にもちゃんと伝わって相手もそれに応えてくれる。けど、その好きって言う想いが自分のキャパを越えた時に不安に変わるんだよ、きっと。それが切ないって事なんだなって
私は思ってる。慎と一緒にいるようになって初めてそういう想いがわかった」
「この前、オレに愛してるって言えって言った事があっただろ」
「ああ、あれね」
「オレはまだ好きと愛してるの違いがよくわかんないけど、単純にLoveとLikeの違いだったら真由には当然愛してるって言葉しか使えない。一緒にいれば抱きしめたくなる。抱きしめれば抱きたくなる。でも、そんな事がなくてもかまわないんだ。
いつも真由が隣りにいる。実際に隣りにいなくてもオレには真由がいる、そう思うだけで何でも乗り越えられる気になるんだ」
「好きと愛してるの違いは定義がないから人類の永遠の課題ですね。答えも人それぞれに違うだろうし。私と慎はきっと大丈夫。何となくそんな気がする」
「・・・うん」
通じてる、繋がってる、誰よりも。
私が慎を本当に想うなら同じ夢を見たいと思うはず。同じ夢を見るためには、少しだけ距離が必要。たったそれだけの事なんだ。
自分に言い聞かせるより先に私の中ではもう十分に消化されていた。もしかしたら、今だけなのかもしれないけれど・・・
同じ夢を見て、一緒に笑おう。
私は慎に向き直り、慎をきつく抱きしめた。