「ったく、わざわざ土曜に会社に来て大掃除だなんて。んーで、お疲れ様でまたビールの缶を貯め込むなんて、ナンセンス過ぎ」
美幸はぶつくさいいながらデスク周りの掃除をしていた。
「でも、午前中だけだしさ」
「午前中だけだから余計にダルいんじゃない。真由は年末、実家に帰るの?」
「まだ決めてない。美幸は?」
「30日に帰って、2日にこっちに戻る予定。慎くんはいつ戻ってくるの?」
「あさっての29日。年明けは5日から練習だって」
「じゃあさ、29日、4人で忘年会しない?」
「いいよ。慎にも言っておく」
「よし、決まりだ。さて、そうと決まったら掃除するか」
11時半過ぎに掃除も終わり、課長のおごりで1人に1本ずつ缶ビールが配られた。忘年会のような賑やかさはないものの、和気あいあいとみんなで話し来年もよろしくと会社を後にした。
私と美幸はバーゲンで買い物をしたあと、食事をしていた。
「真由って、本当に変わったよね」
「そう?自分じゃあんまりわかんないけど、変わったかなって所はあるかな」
「変わった、変わった。良い意味で変わった。恋の力はすごいねぇ」
「どんな風に変わったの?」
「うまく言えないけどさ、前はどこかつかみ所がない感じで何があっても、別にぃみたいだったのが、あ、昨日何かいい事あったなとか見てわかるようになった。
喜怒哀楽がよく出るようになったって言うか」
「そう・・・なのかな。慎ってすごく前向きなのね。つらくてもそれをバネにできる強さがあるって言うか。一緒にいると影響されちゃうんだと思う」
「そっか。いい人と逢えたね、真由」
「うん」
「そういう所が変わったって言うの。慎くんに逢う前の真由なら絶対に、うんなんて素直に言わなかったと思うよ」
「そうかなぁ」
「絶対にそうです」
「私の事より美幸はどうなのよ、テルくんと?」
「ん?クリスマスにプローポーズされたよ。居酒屋で」
「本当に?!やったじゃない。おめでとう」
「いやいや、当分結婚しないよ。テルだってそのつもりで言ってきたんだし」
「は?どういう事?」
「私もテルも今は仕事が楽しいのよ。結婚しても仕事は続けられるけど、お互いの存在あっての生活になるわけだから、どっちつかずになるのが
私はイヤなのね。テルは次男だから、結婚したら私と2人で暮らすようになるだろうし、そうなると生活のための負担がお互いにかかってくるでしょ。
それって楽しい負担なのかもしれないけど、今はまだいいって感じかな。とりあえず、貯金が貯まったらもう一度話し合いましょうって事で話は終わり」
「いいの、それで?」
「貯金が貯まる前にバイバイって事になったら、それはそれで仕方ないでしょ。勢いだけで結婚したって先が見えそうだし。テルだって今すぐって考えてるわけじゃないのよ。
いづれ、このまま続いてたならって言ってるし」
「大人だねぇ」
「勢いだけで行動できる程若くないって事。それに、まだ自分だけの時間を捨てる勇気はないね。仕事、テル、自分の時間、この3つに囲まれた生活に満足してるの。
もし、結婚したくなったら私からテルにプロポーズするな、きっと。OKの保証はないけどね」
「美幸、すごいよ。尊敬しちゃう」
「思ってる事をすぐに口に出しちゃうタチなのよ。それで玉砕くらっても、何もしないでいるよりはマシって思ってるから。ま、遠慮しないで尊敬してちょうだい」
「私も美幸みたいになれたらなぁ」
「紙一重よ。自分に素直になるっていう事は、相手にしてみたら単なるワガママにしか見えない時もあるし。その紙一重がわからなくて痛い思いもしたしね。
時には自分の思いを抑える必要もある、と身をもって勉強しました」
「美幸・・・」
「痛い思いをして泣いてボロボロになって、立ち直って今の私があるの。そう簡単に紙一重をマスターしてもらっちゃ困りますね」
私は美幸の明るい部分しか知らなかったような気がする。美幸と知り合った頃には隣にテルくんがいたし。テルくんが初めての彼ではない事は知っていたけど、
何だか意外な一面だった。
「私って美幸の事、知ってるようで知らないのかも・・・」
「私、みっともない自分は人に見せない主義なの。カッコつけってヤツです。ね、今日、真由んちに泊まりに行っていい?」
「かまわないけど、テルくんはいいの?」
「いつもいつもテルとくっついてるわけじゃないよ。自分の時間も欲しいってさっき言ったでしょ?」
「では、女2人で鍋でもやりますか」
「お、いいねぇ。鍋という事なので、日本酒を買いましょう」
7時に私の部屋で、と約束し美幸と別れ、私はショッピングセンターで2人分の鍋の材料と酒の肴を買い、楽しい夜を想像しながら部屋に帰った。
美幸が泊まりに来るのは何ヶ月振りだろう。慎と出逢う前だから、春頃か。私もずっと美幸の部屋に行ってないなぁ。
時刻は4時。準備を始めるにはまだ早い。今夜の景気づけにとわけのわからない理由をつけ、缶ビールを開けぼんやりと夕暮れの空を眺めた。
慎と並んで見たあの空と同じ色だった。あの日のショッピングセンターはクリスマスモードだったのに、今日はもう年末モードに入っていた。
たった2日しか経ってないのに。昨日の26日は、何の飾り付けもなく淋しかったのかな、などととりとめのない事を考えていた。
灯りをつけずに空を眺めていたら、気がつくと部屋は真っ暗だった。急いで灯りをつけ時計を見ると6時前になっていた。アルコールと暖房でウトウトしてしまったらしい。
女2人の宴の準備のために私はキッチンに立った。
「では、2人の明るい未来に乾杯!」
「カンパーイ」
「お、おいしい。真由って結構料理上手だよね」
「鍋なんて誰でもできるじゃない。うちさ、私が高校に入ってからお母さんが働き出して。いつの間にか私が晩ご飯担当になってたの」
「弟2人だっけ?」
「1つ下と4つ下。美幸はお姉ちゃんだっけ?」
「デキのいいお姉さまは地元の国大を出て、小学校の先生様よ」
会社の噂話や昔の彼の話に花が咲いた。慎や美幸、テルくん、会社の人たち、今私の周りにいる人たちは私を心から楽しませてくれる。
不必要に土足で人の心に入ってくるような人はいない。大学時代の友達のグチを思い出すと、私は幸せ者なんだとつくづく思う。
アルコールが入った私は美幸に、ありがとうと何の脈絡もなく言ってみる。酔った美幸も、もっと感謝しろと笑っていた。
一段落つき、美幸がシャワーを使っている時、慎からメールが入った。少し酔っているせいかメールを打つのが面倒になって、慎に電話をした。
「めずらしいね、電話をしてくるなんて」
「気分がいいの」
「飲んでるの?」
「美幸が泊まりに来てるの。今晩はお鍋と日本酒でした」
「美幸ちゃん来てるんだ。いいな、鍋」
「慎、29日に帰ってくるんだよね?29日に美幸とテルくんと4人で忘年会の話が出てるんだけど」
「多分、大丈夫だと思うよ。チームの忘年会は28日の試合が終わってからこっちでやっちゃうから」
「時間はまだ決まってないから、決まったらメールする。今、一人なの?」
「ヤスと同じ部屋なんだけど、ヤスはフロ・・・あがった」
「ふうん・・・ね、慎」
「何?」
「愛してるって言ってごらん」
「は?何カラんでんだよ、酔っぱらい」
「言えないの?そうだよね。思ってもいない事なんて、言えないよね」
「真由」
「いいもーんだ。もう、知らなーい」
「わかったって。ヤス、ちょっとあっち行けよ。うるせーよ」
まーゆちゃーんと私を呼ぶ声が聞こえる。酔っぱらいのフリをするいじわるな私。
「2人でオレをいじめるなって」
「いいよ、別に。言いたくない事は言わない方がいい」
「まーゆ。じゃ、1回だけね。・・・愛してるよ」
「・・・・・」
「聞いてる?もう言わないよ」
「本当に言うとは思わなかった。慎をからかうとおもしろーい」
「もういい加減にしろよ。自分で言ってて、すっげー恥ずかしかったよ。こんな言葉、生まれて初めて言ったよ」
「へへへ、ごめんね」
「そのうち、ちゃんと言ってあげられるようになるから。あんまり飲み過ぎないように」
「大丈夫。明日もがんばってね」
「うん。今日は負けちゃったからな。明日は勝つよ」
「慎、大好き」
「うん、オレも。じゃ、おやすみ。美幸ちゃんによろしくね」
「おやすみなさい」
「そろそろ、入ってもよろしくて?」
「美幸?!いつから?!」
「ごめんね、辺りかな。長話になるなら、もう一回シャワーを浴びようかと思ってた」
「もしかして・・・聞こえて・・・た?」
「立ち聞きするつもりはなかったけどね。ヒマだったから、一人でコップ酒よ」
「ごめんね、寒かったでしょ?」
「日本酒飲んでるから、平気。真由もシャワー浴びちゃえば?」
「そうだね。フロ上がりにまた一杯やりますか」
「当然、そのつもりですので」
「では、ちょいと失礼してシャワーを」
「真由」
「何?」
「慎、大好き」
「もう!美幸っ!」
美幸に聞かれてたなんて、恥ずかしい。これじゃ、全然慎の事を笑えないや。
シャワーを終え、部屋に入ろうとすると美幸の声が聞こえてきた。ガラスがはめ込まれたドア越しに美幸の話す言葉がわかる。これじゃ、ほとんど丸聞こえ。
「真由、入っていいよ」
私に気付いた美幸が声を掛けてくれた。
「いいよ。聞かれちゃマズイ話なんてしてないから」
「電話はもういいの?」
「大学の時の男友達。酔っぱらって電話してきただけだから」
「テルくんかと思ってた」
「テル以外の男と電話する事だってあるよ。真由だって、そうでしょ?」
「そう、ね。こっちから電話をする事はほとんどないけど」
「彼は彼。友達は友達。テルだって、女友達と飲みにいったり、合コンに出たりしてるよ」
「合コン?美幸、怒らないの?」
「別に。テルもたまには私以外の女と飲みたいだろうし。浮気をする、しないはテルが決める事だから。でも、浮気したら別れるかも」
「信用してるんだ」
「信用って言うか、私もつまらない束縛はされたくないし、私はテルに対してやましい事なんて何もないから。テルにも自分で考えて決めろって言ってあるの」
「もう、夫婦状態ね。束縛しなくても戻ってくるって思えるなんて」
「3年も付き合ってるからね。信用っていう意味じゃ慎くんなんて、どんな状況だって浮気のうの字も出てこないタイプじゃない」
「合コンの話は聞いた事がないけど、言わないだけかもしれないし」
「仮に行ったとして、ホテルに行くような事になっても慎くんは絶対に浮気はしない。テルだったらするかもしれないけど」
「どうしてそこまで言い切れるの?」
「何となく。たいした根拠はない」
「何、それ」
「でも、間違ってないと思うよ。そういう事ができるタイプじゃないよ、慎くんは。欠点を言うなら、誰にでも優しい男だね、きっと。見た目もいいし
そんな男に優しくされたら女は勘違いするって。でーも、松木慎は田辺真由に一筋。可哀想な女たち」
「一人で何言ってるの?この酔っぱらい」
「何とでも言ってよ。酔っぱらいは何をしても許されるんだから」
また他愛もない話に盛り上がったけれど、美幸が買ってきたお酒が底をついたので寝る事にした。
先に寝室に入った美幸が私のベッドで大の字になっている。
「やっぱり、セミダブルは広いな。私も今度はセミダブルにしよう」
「ここに引越した時に思い切ってセミダブルにしたんだ。だから、実家に戻ってシングルサイズの布団に寝ると何か狭いような気になる」
「私とテルはいつもシングルで布団の取り合いですよーだ。お宅はダーリンのガタイがいいから、これくらいじゃないと間に合わないんでしょ?」
「どうだろうね。慎の部屋に泊まった事がないし。あ、慎が29日は多分大丈夫だって。美幸ちゃんによろしくねってさ」
「あいよ。愛してるって言っておいて」
「伝えておく。明日のお昼はお鍋の残りで雑炊でいいっすか?」
「十分、十分。全部やらせちゃってごめんね」
「いいよ。今度美幸んちに行ったら、やってもらうから」
「愛情たっぷりのカップラーメンを作ってあげるよ」
「楽しみにしてるよ」