「この前ね、地区会館って言うのかな、仕事で行ったのよ。午後からなんとかセレモニーがあるからその飾り付けでね」
サユリさんはフラワーコーディネーター。おじいさんの代から続く花屋の娘さん。
「午後のセレモニーの前にさ、子供会だかなんだかの父兄の集まりがあってその隣で飾ってたんだけど。もう、溜息だったわ」
「何が?」
「お母様方の格好」
「格好?」
「洋服の色に合わせたんだろうけど、この時期に薄手の黒のタイツよ?隣りに座った人は半そでのTシャツ着てるっていうのに。そして髪には、キャラクターのついた髪留め。メモを取ってたコットンのパンツを穿いてた人は、
少し前かがみになってたから腰から下着が見えてた。見せ用のじゃなくてね。そこにいた全員がそうなわけじゃないし、中にはセンスいいなって思う人もいたけど。ちょっとした集まりなんだろうから、Tシャツにジーパンでいいと思う。
高い物を着ろなんても思わないけど、それはないでしょ?って感じで。なんだかムカムカしてきちゃったわ」
「ま、そういうのって、その人が良ければそれでいいんだろうし、センスがいいとか悪いは自分の好みに近いかって事でもあるんじゃない?」
「随分優しいのね、アツシは」
「別にそういう訳じゃないけどさ」
しとやかな名前に反して、サユリさんはなかなか厳しい事を言う。
「そういう人たちって、センスやお金があるとかないとかじゃないのよね。今の生活にそこそこ満足して、自分が女として手を抜いてるだけなのよ。だから、主婦ってキライよ」
サユリさんは、「主婦」がキライ。人妻はよくても、主婦はだめなんだそうだ。
「主婦」と言ってしまうと語弊があるけれど、働いているいないではなくて、結婚や旦那様、子供というベースにどっかりあぐらをかいているような女性が嫌だという事らしい。生活感たっぷりな事が嫌なのかと言うとそういう訳でもないらしく、
その判断基準というかボーダーラインはサユリさんの中にあって、サユリさん曰く「女の直感」と言うのだから僕には理解しがたい。
「結婚したら、お母さんになったら、もう女じゃなくてもいいの?子供が寝た後だけ女に戻ればいいわけ?」
以前、酔ったサユリさんが誰に言う訳でもなく少し泣きそうな顔でそう言っていた。
「アツシのお母さんはどう?」
「うち?うちのは、そのサユリさんが見たお母様方よりずっと年上だし」
「年なんか関係ないわよ」
「そうだなぁ・・・・今はただのおばさんって感じなんだろうけど、昔はそこそこ気を使ってたんじゃないかな。服を買うっていう時は大抵姉さんを連れて行って一緒に選ばせてたし」
「そうなんだ?」
「親父の方が4つ年下だから、それなりに気にしてたんじゃないかな」
「いい事よ。素敵なお母さんじゃない。結婚して子供もいて、自分の事を気にしたくてもできない人もいるけど、いろんな意味で余裕があるのに気にもしない女ってキライよ。気にしないならとことん無頓着になればいいのに。
中途半端だからみっともないのよ」
相変わらずの毒舌ぶりに僕は肩をすくめた。
「もうすぐあじさいの季節だね」
花屋のサユリさんの部屋には、花も観葉植物もない。唯一の花は、ドライフラワーになった褪せた水色のあじさいだけ。
「あじさいは、あんまり好きじゃないわ」
ちらりとそのドライフラワーを見てサユリさんは言った。
サユリさんと彼の最後のデートは、あじさいが咲き乱れるお寺だった。いつか終わりが来る事はわかっていたけれど、それが最後の逢瀬になるとは彼もサユリさんも思っていなかった。最後になってしまったのは、サユリさんが妊娠したから。
彼はサユリさんを選べなかった。
テーブルに置かれた封筒には、判を押した書類とお金。その隣りには、水色のあじさいの花束。
「花屋に花を贈るバカな男」
サユリさんがそう言うと彼はその水色を見て、自分の好きな花なんだと静かに言ったという。
「あーあ、明日は仕事か。休みなんてあっという間に終わっちゃう」
「大変だろうけれど、キレイな物に囲まれた仕事はいいと思うよ」
「手が荒れるけどね。誰に見せたいわけじゃないのに咲くって事に一生懸命だから、だから花って好きよ。花屋を辞めたいとは一度も思った事はないわ」
「いい事だね」
「蕾が少しずつ膨らんでいくのを見ると嬉しくなる。咲ききってしおれていくのは淋しいけれど、でもそれが花だから」
サユリさんはとても優しい口調で言う。
食事に行こうとしばらく歩いていると、夕方の陽射しの中、少し雨が降ってきた。
「めずらしい。お天気雨だね」
「・・・・金色の雨」
何かを思い出したようにサユリさんは空を見上げてぽつりと言った。
「濡れちゃうから、行こう」
気を取り直したように無理に笑うサユリさんは僕の手首を掴んで歩き出した。
僕を掴む事でサユリさんは心の中の何かを抑えていたのかもしれない。少し強めに掴んだサユリさんの手は、切ない力強さだった。
サユリさんの涙に気付かない振りをして、僕は金色の雨が降る夕方の空を見上げた。
f i n
|