水色金魚 5

 「・・・・安田さんの事は・・・・ずっと気にはなっていたよ・・・・でも、それがはっきりと恋愛感情なのかはわからなかった」
 「だから、小野くん、いいんだって」
 「でも、一緒にいてドキドキしたよ。電話をもらって、初めて制服じゃない安田さんを見て、隣りに座って。そして、今日の水色金魚。もう少し時間があれば、はっきりと答えが出せるのかもしれないけど・・・・ 中途半端な気持ちで安田さんに答えを言いたくないんだ。海でさ、お姉さんが恭介に本気だってストレートに言ったの憶えてる?それに恭介も応えてた。羨ましいなって思ったんだ。気持ちが通じ合ってるって事にじゃなくて 、周りに誰がいようと自分の気持ちをきちんと相手に伝えられるって事に。恭介がどんな答えを出すか、自惚れてるって言ってもお姉さんには100%の確信はなかったと思うんだ。でも、お姉さんは言えた。本気だから言えた んだと思う。その時の自分を出し切るって、言葉だけじゃなくて実践したっていうかさ・・・・なんか、何が言いたいんだか自分でもわかんなくなってきたよ」
 「とにかくさ、もうしばらくは仲良しでいて。だめ?」
 「こちらこそ、宜しくお願いします」
 僕たちは半分照れながら、笑っていた。
 「ね、未来を見せてあげるって言われたら、いつが見たい?」
 「未来?」
 「そ、未来。3日後でも、50年後でも」
 「うーん、そうだな・・・・やっぱり受験生としては1年後の今頃何してるのかって見てみたいね。ちゃんと大学生してるのか、浪人はさせないって言われてるから社会人になっているのか」
 「私は、1年後と5年後と10年後かな。1年後は小野くんと同じ理由。5年後は現役合格を前提としてどんな仕事をしてるのか。10年後は何となく。別に20年後でもいいんだけどね」
 「未来が見れたら安心するのかな。それともつまらないのかな」
 「心配事があるなら、どうなるのか早く知りたいけど・・・・お姉さんなら、そんなのつまんないって言いそう」
 「言えてる。そんな感じがするよ」
 無邪気に笑う僕たちを散歩中の犬が不思議そうに見上げながら通り過ぎていった。


 残りの夏休みを予備校の夏期講習と図書館とその後のおしゃべりで消化し、高校生最後の夏休みはあっけなく終わってしまった。
 そして始業式の日、彼女の転校が担任から伝えられ彼女は笑顔でみんなに挨拶をしていた。HRも終わり後は帰るだけとなり、彼女はクラスメイトに囲まれていた。
 久々の制服姿の彼女。でも、もうそれを見る事はないんだなと思うともっと彼女といろんな話をすればよかったと後悔してしまう。
 「さ、帰ろうぜ」
 「安田さんにバイバイくらい言わなくていいのかよ?」
 「ヒーデ、オレを誰だと思ってんの?ちゃんと約束は入れてありますから」
 「そ。女の子たちと話もあるだろうから、4時過ぎにいつもの店で、と予約済みです」
 「さっすが、恭介。とりあえず、腹減ったからメシ食おうぜ」
 「ほら、公平、行くぞ」
 「ああ」

 「ごめんね。お待たせしました」
 いつもの笑顔で彼女がやってきた。
 「本当にバイバイなんて、信じられないよ」
 「それは私も同感」
 「いつ、向こうに行くの?」
 「今日の夜。お母さんたちはもう行ってるの。私は夜、テキトーに一人で行くの」
 「なんだ、そっかぁ」
 「そんな顔しないでよ、斉藤くん。やだなぁ、もう」
 「そうだよ、ヒデ。一生のお別れじゃないし。はい、これ、お姉さんから」
 恭介が薄い水色のペーパーでラッピングされたプレゼントを彼女に渡した。
 「お姉さんから?」
 「うん。かわいい妹に渡してちょうだいって」
 「わーい、嬉しいな。開けてもいい?」
 「どうぞ。所有権は綾ちゃんにあるんだから」
 嬉しそうに彼女がリボンをほどいていくと、中には腕時計が入っていた。
 「いいの?時計なんかもらっちゃって」
 「いいから、買ってきたんでしょ?で、お姉さんからのメッセージです。後悔、役に立たず。落ち込んだら、空を見ろ。だってさ」
 「うふふ、相変わらずだわ、お姉さん。後悔、役に立たず、か。まさにその通りよね。ありがとう。夜、電話してちゃんとお礼を言わなきゃ」
 それからしばらく、いつものように4人で他愛もないおしゃべりをしていた。明日はさ、そんな言葉がつい出てしまいそうな程いつも通りだった。
 「じゃ、オレとヒデはこの辺で。綾ちゃん、元気でね」
 「安田さん、同じ大学だったらシカトしないで声掛けてよね」
 「うん。大声で斉藤くーんって呼ぶよ。藤本くん、斉藤くん、楽しい夏休みをありがとう」
 「それはお互い様。じゃ、またね」
 「バイバイ」
 店を出ていく2人眺めながら、彼女がふぅと息をついた。
 「気を遣われちゃったね。私たち、全然そんなんじゃないのに」
 「どうしていいかわからなくて、ぼーっとしちゃったよ。4人でいた方が安田さんも良かったよね」
 「そんな事ないよ。だって、私、小野くんの事が好きだって言ったじゃない。今でもそれは変わらないし。あ、でも、明日になったらどうかなぁ。 新しい学校でイイ人見つかっちゃうかも」
 「安田さんはかわいいし、頭もいいからモテるよ、きっと」
 「というか、私の転校先は女子校です」
 「かわいい女の子に囲まれるのもいいかもよ」
 「いやぁ、恋愛は男相手にしたいよ。って、そんなのどう転ぶかわかんないよね。あはは」
 「安田さん、第一志望どこだっけ?」
 「一応、K大文学部」
 「さすがだね。畏れ多くてK大の名前すら口にできないよ」
 「小野くんは?」
 「S大の経済」
 「私もS大は受けるつもりだよ。もしかしたら、また一緒になるかもね」
 「そう言って、すんなりK大に合格しちゃうくせに」
 「そう簡単には入れませんって。斉藤くんは、国立だっけ?」
 「ヒデは国立ならどこでもいいって。恭介は家から通えて1つでもランクが上ならどこでもって感じかな」
 「藤本くんらしい。って、藤本くん結構成績いいからね」
 「そうなんだよ。女とチャラついてるくせに頭がいいんだよ。必死に参考書にへばりついてるヒデの立場は?って感じだね」
 2人だけになってもいつもの変わらなさは続いた。そして、今更ながら僕は彼女に対し、友達以上の感情を持っているような気がした。
 夕方から夜に変わった頃、このまま電車に乗るという彼女を駅のホームまで送った。
 「送ってくれて、ありがとう」
 「いいよ、別に」
 「楽しい夏休みだった」
 「うん」
 「いろいろありがとう」
 「こっちこそ、お礼を言いたいくらいだよ」
 「どこかで見かけたら、無視しないで声掛けてね」
 「無視なんてしないよ」
 「私も、もし小野くんが彼女連れでも声掛けるから」
 「どうぞ。気にせずに大声出してよ」
 「走って逃げたら、追いかけるからね」
 「逃げないって」
 発車の合図が鳴った。
 「じゃ、これで。本当にありがとう。またね」
 ドアが閉まり、動き出す電車のガラス越しに彼女は笑顔で手を振っていた。



 「小野、何、ぼーっとしてんだよ?」
 喫煙者用のレストルームで夏空を見上げながら煙を吐いていると、同期の井村が声を掛けてきた。
 何とかS大に滑り込み、有名企業とやらに就職し、そして今年で27になる。
 夏になるたびにプラトニックとも言えない程、健全でピュアだったあの夏をぼんやりと思い出す。結局、駅で彼女を見送って以来一度も会う事はなかった。
 「今度さ、新部署を立ち上げるから異動があるじゃん。オレたちは今のままらしいけど、噂によると今度のマネージャーって女なんだってよ」
 「女?」
 「キレイなお姉さんならいいけど、仕事一筋80年みたいな頭ガチガチのおばちゃんだったらいやだなぁ」
 「それはないだろう」
 「いやいや、本当かどうかは知らないけど、どこかで支店長やってたかなりのキレ者らしいぜ。男心のわからん女上司は勘弁だよなぁ」
 「それより、お前時間いいの?マネージャーに呼ばれてただろ?」
 「あ、やべっ!報告書まだ出してなかったんだよ。タバコ吸ってる場合じゃねーよ」
 そう言って井村は大きくタバコを吸い込み、慌ててレストルームを出ていった。
 「男心のわからない、仕事一筋80年で悪かったわね」
 ぎょっとして振り向くと、スカートから出た長い足をキレイに組んだ女の人がタバコを吸っていた。
 「いや、あ、あの・・・・え?!」
 「お久しぶりです」
 「安田さん?!」
 「新しいお父さんの中村に変わったけどね」
 「いつからそこに?」
 「さっきの彼と一緒に」
 井村の後ろに女の人がいたのはわかっていたけれど、全く気付かなかった。だいたい、フロアには300人ほどの人間が働いている。その半数近くがアルバイトや派遣の女の人だから、 見知らぬ顔があっても、IDカードを首から下げていれば全然気にならないような職場なのだから。
 「びっくりしたよ・・・・って、え?今度のマネージャーって・・・・」
 「そ、私」
 「まじ?!」
 「まじ。今月に入ってから、何度か研修でここに来てるの。この前来た時にあれ?もしかして?って思ってさ。さっき、ここに入って行くのを見かけたから確かめようと思って追いかけてきちゃった」
 「それにしても、驚きだよ」
 「うふふ。ね、藤本くんと斉藤くんは?」
 「ヒデは地方の国立に入って、そのままそっちで就職した。恭介は、大学に行かなかったんだ」
 「就職したの?」
 「うん。チャラチャラした大学生生活にも憧れるけど、早くお姉さんを安心させたいからって公務員になったよ。先々月に2人目が生まれたよ」
 「お姉さんと結婚したんだ?お姉さんにも会いたいなぁ」
 「相変わらずだよ、お姉さんは。子供がいるようにも見えないし。今度、遊びに行く?」
 「うん、行く行く。絶対に行く!ほら、見てこの時計。私、ずっと使ってるんだよ」
 差し出された彼女の腕には、あの時お姉さんがプレゼントした時計があった。
 「さて、そろそろ行かないと。小野くん、これからよろしくね」
 「こちらこそ宜しくお願いします。えっと、中村マネージャー」
 「ええ、厳しくいきますよ。営業は、数字が命ですから」
 「お手柔らかに」
 「うふふ、どうかなぁ。ね、小野くん、また海浜公園に行かない?」
 「うん、いいよ」
 「9年振りに水色金魚の復活よ」
 彼女は笑って、レストルームを出ていった。
 楽しい夏になりそうだ。そんな予感の中、僕は短くなったタバコを消した。
 
 
 
 
 
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