「よぉ、紺野。久しぶり、調子はどうだ?」
「ぼちぼちですね」
「お前さ、会社に来たら北村の所ばっかりじゃなくて、オレの所にも顔出せよ」
「すいません。これからはそうします」
「先輩、だめですよ。紺野はオレに惚れてるから」
「バカか、お前は」
同期の北村とは入社当時からウマが合い、僕が本社勤務から外れてもよく飲みに行っていたし、店に寄り道していくのは北村が一番多かった。
「彼女、元気?」
「うん、元気だよ」
「紺野の彼女って、あの子だろ?かわいいよな、あの子。誰もいないからってよからぬ事はするなよ」
「しませんって」
「今日、誘ったのはさ・・・久々にお前と飲みたかったってのもあるけど・・・・」
「何ですか、先輩?」
「いや、さ・・・・まだお前には話が行ってないと思うけど・・・・お前んトコの店、9月一杯で閉める事になったんだよ」
「そうなんですか。そこそこの売り上げはあるけど、あんな小さな店はいつかなくなるとは思ってましたよ。僕もクビって事ですかね?」
「お前は、本社に戻されると思うよ。課長がそんな事言ってたし。本社じゃなくても、店舗経験アリって事で、他の店に異動だろうな。クビはないよ」
「よかった」
「でも・・・・彼女は契約社員だからな・・・・」
「それは仕方ないですよね」
「お前の事も彼女の事も決められる程、オレは偉くないからさ。そういう話になってるって、情報しかやれない。悪いな」
「気にしないでくださいよ。先輩が出世したら、ちゃんと優遇してもらいますから」
「期待しないで待ってろ」
「さ、さ、仕事の話はここまでで、先輩も紺野もパーッと飲みましょう。って、オレと先輩は明日も仕事だけど」
「ばーか、紺野の方が出勤日数が多いだろうが」
「でも、毎日彼女と2人きりですよ?」
「オレは週に1,2回逢うくらいで十分だよ」
「実は僕もそうですね」
「だろ?2人きりで仕事して、これで同棲なんてした日にゃ、まじで毎日24時間一緒だぞ」
「それは遠慮したいっすね」
「さて、今日は北村のおごりだ。紺野、好きなだけ飲んでいいぞ」
「まーじっすか?!」
男同士、噂話まではいかないけれど会社の話で盛り上がり、終電が一番早い北村に合わせてギリギリまで飲んでいた。
部屋に戻った僕はシャワーを浴び、TVの深夜番組をつまみに冷えた缶ビールを飲んでいた。
9月一杯で閉店か。実の所、優雅な島流しだったよな。でも、店を閉めたら彼女はどうするんだろう?この際、別々の所で仕事をする方がお互いに
気分転換になっていいのかもしれない。彼女にもすぐに次の仕事が見つかればいいけど・・・・
それにしても、この事を彼女に伝えるべきだろうか?正式に本社から話が来るまで、知らない振りをしていた方がいいのだろうか?
僕は迷った。急に契約終了と言われても彼女が困るだろう。けれど、彼女が終わりになるとは限らない。何度か店の様子を見に来た課長も、よく
仕事をしていると評価していたし。
どうしようかと考えているうちに、アルコールの入った僕はいつの間にか寝てしまっていた。
先輩に閉店の話を聞いてから3週間経った。本社からはまだ何もいって来ない。
「あのさ・・・・」
「何ですか、店長?」
彼女は仕事中は2人きりになっても僕を店長と呼び、敬語を使う。彼女がこんな風に仕事とプライベートを分けているのだから、店でよからぬ事なんて
ありえない。
「うん・・・・まだ先輩から聞いた話でしかないんだけど・・・・ここ、9月で閉めるらしいんだ」
「あ、そうなんですか?」
彼女は、ふーんと小さく頷いていた。
「僕は一応、社の人間だからここを閉めても何とかなると思うんだけど・・・・」
「私ですか?気にしなくて平気ですよ。契約社員ですから」
「ここを閉めたらどうするの?って、次を探すしかないよな。できれば、閉店までは続けてもらえたらありがたいんだけど・・・・」
「いますよ。その後は・・・・・どうしようかなぁ、実家に帰ろうかな」
「実家って・・・・今住んでるのが実家だろ?」
彼女は家族で日本にいた頃のマンションに今は1人で住んでいる。
「あ、そっか。えっと、そういう事じゃなくて、お父さんとお母さんのいる向こうの家に帰ろうかなって事です」
「向こうの家?アメリカに戻るって事?」
「それもいいかな、とふと思いまして。9月で閉店なら、10月になってから決めます」
彼女は僕とプライベートな付き合いなどないかのようにサラッと答えた。何かを思わせぶりに話すような性格ではないから、これも全くの嘘ではないのだろう。
時折、妙に甘えてきたりする彼女だけれど、普段は本当にあっさりした性格だ。あっさりしすぎて掴み所がない時もあり、彼女は僕の事を本当はどう思っているのだろうと
不思議になる事もある。
彼女のような人を猫のような性格と言うのかもしれないけれど、犬しか飼った事のない僕には猫がどんな性格をしているのかよくわからない。
ただはっきり言えるのは彼女は、昔飼っていた犬のように僕を見るといつもしっぽを振って喜んでくれる性格ではないという事だ。
結局、本社から閉店のお達しがきたのは、閉店1ヶ月前の8月末の事だった。僕は今より数倍大きい店舗の副店長に、彼女はやはり契約終了という事になった。
課長が僕と彼女をそれぞれ奥の控え室に呼び、その事を告げた。忙しい課長は用件を終えるとすぐに帰ってしまったが、帰り際彼女に、紺野と3人でお疲れさまの飲み会でもしようと
言い残していった。彼女は、楽しみにしてますと明るく答えていた。
「大きいお店の副店長だなんて、出世ですね店長」
「確かに出世だね。ここには正社員は僕しかいないから」
私はどうしようかな、と彼女は口ではそう言うものの、全く困っているようには見えなかった。
本当にアメリカに戻ってしまうのだろうか?彼女は僕に何の未練もないのだろうか?
コンビニで冷たい物を買ってきます、と彼女は外へ出ていった。
相変わらずキレイな歩き方をするな、と僕は彼女の後ろ姿を眺めていた。
「ちゃんと聞いてる?僕は結婚しないかって言ってるんだよ」
「聞いてるわよ。聞いてるからちゃんと返事をしたじゃない。あなたこそ、ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ。まだ、いいんじゃないの、それが彩の返事だろ?」
髪を梳かし終えた彼女は、聞こえているなら何度も聞くなとでも言うような顔で僕を見た。
「今週で店は閉店。まだ、いいんじゃないのって彩は言うけど、アメリカに戻るかもしれないんだろ?」
「まだはっきりとは決めてないもの。戻ってもまたすぐに日本に帰ってくるかもしれないし」
「少しの間、親許に戻るのを止めるつもりはないけど、ずっと向こうにいる可能性だってあるわけだろ?僕はそうしてほしくないから、結婚しないかって言ってるんだけど?」
「結婚・・・・ね・・・・無理じゃない?だって、私、料理なんてできないもの」
「僕は夕食を作ってくれる人がほしくてこんな事を言ってるわけじゃないよ」
「わかってる。けど、結婚って生活でしょ?今はそう言ってられるけど、家事をうまくできないって事がそのうち不満になるんじゃない?」」
「努力のカケラも見えなければ不満になるだろうね。でも、うまくできないなりにがんばってるなら僕はその努力は認めようと思うよ。
彩は、そういう努力をするつもりはないの?」
「そんな事はないけど」
「じゃ、料理ができないっていう問題はクリアだね。あとは彩が僕の事をどう思ってるかだよ」
「私?うーん・・・・正直、結婚を考えた事はなかったけど、和也の事はちゃんと好きよ」
彼女は何でもないような事のようにサラッと言った。
「確かに好きだけじゃ結婚は成り立たない部分があると思うけどね。要は、彩にとって僕は結婚に値する男じゃなかったって事だね」
「うーん・・・・それとはちょっと違うな。自分が結婚するなんて考えた事もないっていうだけよ。あ、そうだ。かわいいミントガムを見つけたから買ってきてたの」
そう言って彼女はバッグから袋を出してきた。袋の中には、ガラスのビンにパステルブルーにコーティングされた丸いミントガムが詰まっていた。
僕は真剣に話しているつもりだけれど、彼女は僕ほど真剣には考えてないらしい。
かわいいでしょ?と彼女はそれを僕に渡し、ソファに座る僕の足許もにちょこんと座った。
「ね、後ろからぎゅうってして」
「そこじゃ低くてできないから、隣りに座りなよ」
僕は隣りに座り直した彼女のリクエスト通りに後ろから抱きしめてあげた。彼女は、うふふと笑っていた。
「彩はこれが好きだよな」
「もし、結婚してもぎゅってしてくれる?」
「これくらい、いつでもやってあげるよ」
「本当に?」
「別にたいした事じゃないだろ?」
「そうかなぁ・・・・」
「でも、僕も彩にこうやって腕を回してる時が一番いいよ」
「そうなの?」
「うん。本当にそう思うよ。いくつになっても彩とこういう時間が持てればいいと思う」
「そっか・・・・そうだったんだ・・・・ねぇ、和也」
「何?」
「私と結婚しない?」
「できないなりの努力はちゃんとするように」
うん、と子供のようにうなづいた彼女は、僕が持っているミントガムの入ったビンを見て満足げに笑っていた。
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