「なぁ・・・・結婚しないか?」
「うん?まだ、いいんじゃない?」
僕のTシャツを着てドライヤーで髪を乾かし終えた彼女に、僕は1年分の勇気を使って
言ってみた。なのに彼女は僕を見る事もせずに返事をし、髪を梳かしていた。
大学を卒業し、僕は内定を取った大手商社に無事入社する事ができた。あれから3年
このまま当分は本社勤務でいられるかと思っていたが、異動の辞令が出てしまった。
行き先は、隣の駅近くにある携帯電話の直販店。とりあえず、店長の肩書き付き。
同期たちの異動先が支店で今までと同じような業務という事と比べると、僕の異動は左遷としか思えなかった。
別に出世を望んでいるわけではなかったけれど、肩を落とす辞令だった。
辞めるか、こんな会社。
溜息をつき僕はそう思った。2,3ヶ月なら働かなくても何とか生活できるだろう。
これを機に辞表を出して別の仕事を探すか。でも、次の仕事が見つからなかったら・・・・
結局、僕は辞令通り新しい職場へ異動した。店長の肩書きは付くものの、店には僕と戸田さんという女の子の2人だけだった。
しかし、島流しのように思えた異動は想像していたよりかなり快適なものだった。適度なヒマと忙しさ。上司のいない気楽さ。
客がいない時は、コーヒーを飲みながら他愛もない話をして時間を潰せばいい。それでいて、給料は本社勤務の頃より少しだけ
上がっている。
反面、デメリットは土日が休みでなくなった事。今まで週休2日だった休みが水曜と隔週で木曜になってしまった。そしてそれより大きな
事は、こんな小さな店舗はそのうち統廃合されてしまうだろう。その時に僕はどうなってしまうのか、という事。
××店は来月一杯で閉めるってよ。本社勤務の同期や先輩のありがたい情報で少し将来に不安を感じていたが、気楽に毎日の仕事をこなしていた。
「紺野さん、あのね・・・・」
「何?」
平日の昼間は客が少なく、僕と戸田さんはコーヒー片手におしゃべりをしていた。
「まだ会社には言ってないんだけど、私、3月の頭に結婚するの」
「本当に?よかったね、おめでとう」
戸田さんは僕より1年後輩になり異動したての頃は僕に敬語を使ってくれていたが、2人しかいないのだからと敬語はやめにしてもらっていた。
「ありがとう。それでね・・・・2月一杯で会社も辞める事になったの」
「そっか。淋しくなるな」
「彼がね、4月から北海道に転勤になっちゃって。結婚はもう少し先でいいと思ってたんだけどね」
「式は?」
「家族だけで、グァムでやる。年度末で忙しい時期だし、転勤後だと転勤先の人も呼ばなくちゃいけなくなるでしょ。結婚なんて、まだピンと来ないよ」
「とにかく、おめでとう」
「うん。でも、こんなお気楽な仕事を辞めるのはもったいないな。お菓子つまんでおしゃべりして、たまに仕事して、だもんね。休みが少ないのがちょっと
不満だったけど、残業はないし、上司は紺野さんだし。本社にいた頃より楽しかった。彼の転勤がなかったら、もっとここにいられたのにな」
「これから幸せになるんだから、いいでしょ」
「それとね・・・・有給を消化してから辞めてもいい?」
「いいよ。じゃ、それまではよろしく頼むよ」
「わかってますよ、店長。こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして寿退社した戸田さんの後任は当然本社から誰かが来るのだろうと思っていたのに総務課長から、契約社員を採るから面接は頼むよ、人選は任せるからと
言われてしまった。
任せるから、と言われても面接なんて受ける立場しかなかったのだから、どうしていいかわからない。それに正社員ではなく契約社員という事は、この店はいつ閉めても
おかしくないという事だろうか。やはり、お気楽に進んでいける程、人生は甘くないらしい。
面接希望の電話は3件入った。それぞれに火曜の1,2,3時の約束をして履歴書を持ってきてもらう事になった。
今日はその面接日。1時にやってきた子は、おとなしくまじめそうな子だった。人間関係で前の会社を辞めたと言っていたが、それが妙に納得できる子だった。
僕も彼女とうまくやっていけるかわからないし、話していてどうも接客業務には向いていないような気がした。
では、よろしくお願い致しますと彼女が店を出ていくと、僕は彼女の履歴書の余白に×印をつけた。
2時の子は、1時の子と対照的な明るくハキハキしたわりとかわいい女の子だった。たまに冗談を言って笑わせてくれて楽しい面接時間だったが、彼女も×印。
あくまでもこれは仕事の面接。仕事は徐々に覚えればいい事だけれど、接客業の即戦力になってもらわなければならないのだから、友達と話すように話されては困る。
短い面接時間で彼女を否定するつもりはないけれど、その短い時間が勝負なのだという事を理解してほしい。楽しかったけれど、僕は仕事をしてくれる人を探している
わけだし、だいたい彼女の格好は面接に来る格好ではなかったと思う。
時計を見ると次の面接まで30分近くある。カップにコーヒーを入れ、店の裏口から出た僕はタバコを吸った。どんなお客様がいるかわからないから、店内は禁煙。
戸田さんがいた頃は、よくタバコ休憩をしたものだった。だから、僕のスーツのポケットとデスクの上には必ずミントガムがある。すぐにタバコの匂いを消してくれる便利品だ。
店に戻り、そろそろ来るかなとカタログの補充をしていると3番目の彼女がやってきた。さっきの2人同じように僕は面接を始めた。
「佐々木さんは、帰国子女ってヤツなんですか?」
「そう・・・・ですね。日本の大学に進学するのに帰国しましたけど、両親はまだアメリカにいます」
「カッコイイですね、海外生活なんて。じゃ、英語はフツーに話せるんですね」
「向こうにいる時は、家族以外とは英語でしか話しませんでしたから」
彼女の今の仕事は英語の先生。日中はカルチャースクールで、夕方からは小学生から高校生に教えているという。
「志望の動機はなんですか?」
僕は面接でこれほどバカな質問はないと思う。やりたいから、条件がいいから、動機なんてその程度で十分だと思っているから今日の面接で、僕はこの質問は誰にもしなかった。
「採用の場合、いつから来れますか?」
「今週で今の仕事は辞める事になっていますので、来週以降ならいつでもかまいません」
「わかりました。面接の結果は明後日までにご連絡します。いらっしゃらない時は留守番電話にメッセージを入れますので」
「はい。では、よろしくお願い致します」
彼女が帰った後、僕はもう一度彼女の履歴書を見直した。帰国子女という事以外は特に目立つ点はない。英語を話せるのはすごいと思うけれど、ここで働くのに必要不可欠な条件ではない。
僕の質問に対する彼女の受け答えは先生していただけあってとても丁寧で、時折見せる笑顔に好感が持てた。そして、履歴書を埋める字はとてもキレイだった。
彼女で決まりだな。
僕は総務課長に面接の結果を報告し、履歴書をFAXした。
僕が彼女の採用を決めた理由は面接の内容がほとんどだけれど、彼女が僕の好みだったという事もある。不埒な理由。所詮、僕の面接なんてこんなものだ。
これが僕と彼女の出会いだった。
客のクレーム以外難しい事はほとんどない仕事だから彼女はすぐに1人で仕事ができるようになった。
「英語がペラペラなのにこんな仕事じゃ英語を使う事もないから、もったいなくない?」
「そうですか?んー必死で努力して英語を覚えたわけじゃないから、あんまりそういう気持ちにはなりませんね。あ、でも、日本を出た頃は苦労しましたよ。小学生でしたから」
戸田さんの頃と同じように僕たちは客の来ないヒマな時間を他愛ない話で消化していった。時々、営業の帰りにサボって店に寄り道する僕の同期たちとも彼女はうまく溶け込んでいた。
「ちょっと、タバコ吸ってきていい?」
「どうぞ、ごゆっくり」
僕たちはいつの間にか、ごく自然に彼と彼女の関係になっていった。2人しかいない職場は、僕にとってとても都合のいいものだったと思う。
平日が休みの僕たちは友達と休みが合う事もなく、たいてい2人で過ごしていた。
彼女と2度目の夏を迎える頃、本社勤務の先輩と同期の北村から飲みに行かないかと誘いの電話が入った。
「今日、飲みに行く事になったんだけど」
「どうぞ。私も今日は大学の時の友達と会うから」
「帰りはどうする?うちに来る?」
「ううん、自分ちに帰る。明日はお掃除デイ」
「わかった。夜はうちに来てもいいよ」
「考えておく」
店から僕の部屋まで約40分。彼女は店まで1時間以上かかる所に住んでいる。当然、通勤するには僕の部屋からの方が楽だ。そして、同伴出勤をしても誰にもわからない。
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