ひまわり日和 4/4

 キッチンへ行くとママが夕食の準備を始めていた。
 「日本人なんて懐かしいでしょ、ツカサ?」
 「そうだね」
 「気さくでかわいい子。ツカサのお嫁さんになってほしいわ」
 「何言ってるんだよ。彼女は、旅行者だよ」
 「だって、日本人なんて来ないようなこの街で偶然出会うなんて、運命かもしれないじゃないの」
 「ママ、ドラマの見過ぎだよ」
 コーヒーを入れ、部屋に戻ると彼女が驚いた顔で僕に話しかけてきた。
 「西崎さん、この絵、これ・・・・」
 彼女はスケッチブックとどこかで買ったポストカードを見比べていた。
 「ああ、それ。そのポストカードの絵は、僕が描いたんだよ。スケッチは、その下書きみたいなものかな」
 街の風景をラフスケッチし、薄く絵の具で色づけした絵だった。
 「すごーい!やっぱり、ただの絵描きさんんじゃないんだ。もっとあるんですか?」
 「ポストカードは、風景と花で10種類くらい出したかな」
 「へぇ、全部欲しいな。これね、チェックインする時にフロントで見つけて、一目惚れして買ったんですよ。絵の事はよくわかんないけど、私、西村さんの絵、好きだな」
 僕は彼女の言葉に動く事ができなかった。
 「どうしたんですか?」
 「あ、いや・・・・僕の絵に一目惚れしてくれたなんて、嬉しいなと思って」
 「具体的にこうだって、うまく説明できないけど、すごくいいもの」
 「ありがとう」
 「今はどんな絵を描いてるんですか?」
 「・・・・今は、描いてないんだ。描けないんだよ」
 「でも、公園で・・・・」
 「描けるかもしれないと思って描いてたけど、自分の絵が描けなかった。今日だけじゃなくて、昨日もおとといも・・・・描きたいから描こうとするけど、すぐに気持ちがどこかに行っちゃうんだ。 少しだけあった絵の才能は、もう使い果たしちゃったのかもしれない」
 僕は表面的な笑顔を彼女に見せ、コーヒーを飲んだ。
 「誰にでもそういう、気持ちが空回りする事ってあるんじゃないんですか?」
 「僕の先生がね、よく言うんだ。花を見て無理にキレイだと思わなくてもいいから、心のカゴを空っぽにしろって。空っぽのカゴには何でも入れられるからって。僕の心のカゴは、今何かがいっぱいに 入ってて、何も入らなくなってるんだって」
 「自分で何が入ってると思います?」
 「僕にもよくわからない。何も入れてるつもりはないんだけどね」
 「何か考えてるような事って、あります?」
 「うーん、そうだな・・・・少しだけ将来の事を考えるようになったかな」
 「きっと少しのつもりでも西崎さんの中では、心のカゴから溢れちゃうくらい大きな事なんですよ」
 「小川さんに言われると、そんな気がしてくるよ」
 「へへへ。西崎さんは、まじめなんですよ。私は、先の事は考えない事にしたんです」
 「どうして?」
 「それを考え出したら、旅行に行けなくなっちゃうから。自分が生活していけるように働く。そして、旅行に行っていろんな物を見て、食べて、楽しむ。当分、そのポリシーで生きていく事にしてます」
 彼女は、またガッツポーズを作って笑っていた。
 「何だかさ、小川さんと話してると元気になるよ。ひまわり日和だっけ?」
 「ついでに、私は8月、ひまわり月生まれです。あ、そうだ!次の旅行は、ひまわり畑を見に行こう。アンダルシアのひまわり畑」
 「すごいんだろうね。僕も本物は見た事がないけど」
 「多分・・・・一面のひまわり畑を目にしたら、息を飲むだけで溜息すら出ないんだろうなぁ・・・・今年は無理だから、来年絶対に行こう。よし、決めた」
 彼女の頭の中には、もうひまわり畑が広がっているようだった。
 「もし・・・・もし、よかったら西崎さん・・・・一緒に行きませんか?」
 「え、僕?!」
 「ワールドワイドなナンパです。なーんてね。行きませんかって言っても、私が旅費を出しますなんて言えないから、よろしければって事で。それも来年ですけど」
 「距離も時間もスケールの大きなナンパだね。いいよ、行くよ。小川さんとなら、行ってもいいと思う。但し、僕に旅費が貯められたらね」
 「それは、私も同じです。あ、ついでにその時、私に彼がいなかったらと条件を付け足しておきます」
 「当然。じゃ、僕も同じ条件で」
 彼女といると楽しい。それは、久々に話す日本語だからなのだろうか?
 
 しばらく他愛もない話をしていると、ママが呼びに来た。
 彼女はママの料理をとても気に入って、何度もおいしいと言っていた。
 彼女の言葉は日常会話がやっとといった感じだったから、その都度僕が通訳をしなければならなかったけれど、会話に不自由する事はなく、パパもママも本当に楽しそうだった。
彼女はお礼にとママの後片づけの手伝いをし、食後のコーヒーを入れていた。
 「お客様に後片づけをさせるなんて、とんだホテルだ。ツカサ、リナはいい子だな」
 「うん、そうだね。気さくないい子だって、ママも言ってたよ」
 「ツカサの嫁には十分過ぎる」
 「パパまで、何言ってるんだよ。彼女とは、今日会ったばかりだよ」
 「運命の出会いかもしれないぞ」
 「ママも同じ事言ってたよ」
 「なぁ、ツカサ・・・・ツカサは絵を描くためにここに来た。日本にはツカサの事を愛してる両親もいる。そんな事は初めからわかってる。でもな・・・・時々思うんだ。ツカサがこのホテルを継いでくれたらって。 ちっぽけな何の取り柄もないホテルだけどな。私たちには、子供がいないから・・・・」
 「引退するには早過ぎるよ、パパ」
 「ああ、あと20年は現役さ。ツカサとリナで・・・・ふと、そう思ったんだよ」
 「考えておくよ。でも、彼女の事は別だよ。彼女の人生は、彼女が決めるんだから」
 「そりゃ、そうだ」
 
 「おはよう、リナ」
 「おはようございます。ママ、何かお手伝いするよ」
 そう言って、彼女はキッチンでママの朝食の準備を手伝っていた。
 「ツカサ、リナと結婚しろ」
 「しつこいよ、パパ」
 「そうか?今日は手伝いはいいから、リナのガイドをしてやれ。この街はいい所だってたくさん教えてあげるんだ。明日には、帰ってしまうんだから」
 「うん、わかった」
 4人で朝食を済ませ、僕はパパの言いつけ通り1日中彼女のガイドを勤めていた。
 「やっぱり、街を知ってる人と一緒だと違うなぁ。この街もパパもママも大好きになっちゃった。西崎さんに会えてよかった。ありがとうございます」
 「ううん、僕も楽しませてもらってるよ。パパもママも小川さんといて、楽しいみたいだよ」
 「本当に?嬉しいな」
 彼女の笑顔は本当に屈託がない。
 「西崎さん、絵が描けないって言ってましたよね?」
 「・・・・うん」
 「じゃ、課題を出します。私のために描いてください」
 「え?」
 「ちょっと図々しかったかな?でも、漠然としてるより、課題があった方がいいでしょ?」
 「それはそうだけど、描けるかわからないよ」
 「提出期限は、私が死ぬまで。それなら、いいでしょ?当分生きてますし」
 「努力するよ」
 夕食に合わせてホテルに戻り、また4人でテーブルを囲んだ。
 「本当はね、リナが明日で帰ってしまうからささやかだけどお別れパーティをしようかと思ったの。でも、またリナとは会いたいからお別れパーティなんて やめにしたわ。また会えるわよね、リナ?」
 ママの言葉を彼女に伝えると、彼女は涙目になって何度もうなづいていた。
 
 翌日、チェックアウトの時彼女はフロントデスクに並べられた僕のポストカードを買おうとしていた。
 「プレゼントするよ、リナ。ツカサは息子も同然だ。そのツカサの絵を気に入ってもらえて嬉しいよ」
 「プレゼント?ありがとう、パパ」
 「私からは、これ。食べてね」
 ママはご自慢の手作りクッキーを彼女に渡した。
 「ママ・・・・」
 「泣かないの、リナ。リナはもう家族よ。いつでも帰ってらっしゃい」
 彼女は目を真っ赤にして泣いていた。ママも同じように。
 僕はパパの車を借り、彼女を大きな駅まで送って行く事になった。
 「この街を選んだのは、本当に偶然だけど来て良かった。みんなに会えてすごくよかった。今まで旅行に出て、誰かに対してこんなに感激した事ってなかったかもしれない」
 「いつでもおいで、なんて気軽には言えないけど、パパもママも小川さんの事を待ってるから」
 「うん。西崎さんは?」
 「え?僕も待ってるよ」
 「おざなりな返事だなぁ」
 「ちゃんと待ってますから」
 「約束、忘れないでくださいよ」
 「約束?」
 「あーもう忘れてる!課題ですよ、課題」
 「はい。努力します」
 「私ね・・・・西崎さんを好きになったかもしれない」
 「ストレートだね、小川さんは。もしかしたら、僕もそうかもしれない。だけど、日本人がいない場所で知り合ったシチュエーションがそう思わせてるだけかもしれないよ」
 「どうなんでしょうね。すぐに今の気持ちなんて忘れちゃうのかな」
 「それは時間が経ってみないとわからないね」
 「今の言葉は別にして、西崎さんの事、応援してます。私、西崎さんの絵が好きだから」
 「ありがとう。小川さんにそう言ってもらえると、すごく嬉しいよ」
 僕は課題の絵の送付先として住所を受け取り、彼女と別れた。
 別れ際、どこまで本気なのかわからないけれど彼女は、アンダルシアで会いましょうね、と言い残して颯爽と駅に向かって歩き出した。
 
 それからの僕はパパとママの手伝い以外は、彼女のための絵に没頭した。絵に集中し、心を注げる僕に戻っていた。
 いくつか描いた絵を先生に見せると、とてもいい絵だと褒めてくれた。
 「何かイイコトがあったのかい、ツカサ?」
 「あったかもしれない。先生が息子さんのために絵を描くって言った意味が、本当に分かった気がします」
 「それは、恋かい?」
 「さぁ、まだわかりません」
 先生と奥さんは顔を見合わせて笑っていた。
 彼女がホテルを去ってから約2ヶ月後、僕は彼女にひまわり畑の絵を送った。
 簡単な近況報告の手紙を添え、アンダルシアには程遠いけれど、本物を見るまではこれで我慢してくださいと書いた。そして、やはり僕は小川さんが好きなようです。でもこれは、忘れてください、と付け加えた。
 数日後、彼女から返事が届いた。
     西崎 司 様
       絵が届きました。本当にありがとうございます。
       すごく嬉しかったです。
       何となくだけれど、ひまわりの絵を描いてくれるんじゃないかなって思って
       たから、予想的中でびっくりです。
       ますます、西崎さんのファンになりました。
       パパとママは元気ですか?  会いたいなぁ
       私は、アンダルシアに行くために毎日頑張ってます。
       そして、アンダルシアの帰りにパパとママに会いに行くつもりでいます。
       でも、これは2人には内緒にしてください。
       2人をびっくりさせたいから。
       では、また手紙を書きます。
 
      PS。 西崎さんのアンダルシア行きは決定ですよ
          それまで、お互い浮気しないで頑張りましょう!
 
 僕は彼女に聞こえるはずもないのに、了解、と声に出し、笑ってうなづいた。
 
 
 
 
 
                                  f i n
 
 
 
 
 
 

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