ここへ来てもう4年だと言うのに、僕は未だにこの国の冬が好きになれないと言うか馴染めない。
どんよりと重い灰色の空が毎日のように続く冬。まるで、鏡に映った僕のような気がする。
僕は公園のベンチでスケッチブックに絵を描いていた。
公園では子供たちがサッカーをしているけれど、僕のスケッチの中にはその子供たちはいない。ベンチから眺められる風景だけだ。
寒いし、もう帰ろうかと僕は手を止めた。でも、手を止めた理由は寒さだけではなかった。
僕の後ろにずっと立っている人がいる。こんな風にスケッチをしていれば後ろから見られる事はよくあるけれど、その人はずっと僕の後ろに立ち続けている。
時計を確認するともう30分近く経っている。
子供たちのように走り回っていたり、絵に集中しているうちは寒さはあまり気にならないけれど、ずっと後ろから見られていると思うと気が散って寒さが気になってしまう。
手もかじかんで来たし、もう帰ろうと決めた僕は、ふぅと肩で息をついた。
「あ、ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったんです。・・・・あ、あ・・・・」
僕が振り返ると後ろに立っていたのは若い女の子で、彼女はちょっと待ってというようなジェスチャーをしてバッグから本を取りだした。
「大丈夫ですよ、日本語で」
「え?!」
「僕、日本人だから」
よかった、と彼女は笑った。
「本当にごめんなさい。上手だなと思って見てただけで、邪魔するつもりはなかったんですけど・・・・邪魔でしたよね」
「いえ、寒いし、もう帰ろうかと思っただけですから」
まさか、謝っている相手に、そう気が散ったよとは言えない。
「帰るんでしたら、お茶でもどうですか?寒いし、お詫びにごちそうします」
「いや、でも・・・・そんな・・・・」
「いいんです。あ、これって逆ナンですね。あははは」
「逆ナン、か。そんな言葉もあったね」
「ここに住んでるんですか?」
「日本を出て、4年になります」
彼女にごちそうになるつもりはなかったけれどコーヒーも飲みたかったし、僕はよく行くカフェに彼女を案内した。
何にしようかな、と彼女はメニューを見ていたが、僕の顔を見て笑って言った。
「何が書いてあるのか、半分くらいしかわかんないや」
「少し甘いカフェ・オ・レは、好きですか?」
「甘いカフェ・オ・レ?」
「ここのはミルクだけじゃなくて、コンデンスミルクも入ってるんですよ。女の人には人気があるらしいですよ」
「へぇ、おいしそう。じゃ、私、それ」
僕はオーダーを取りに来た女の子にコーヒーとカフェ・オ・レを頼んだ。
「あ、そう言えば、まだ名前を言ってなかったですよね?小川です。小川里菜。おかわりじゃないですよ」
「おかわり?何それ?」
「小学校の時、男の子たちが私のことをおかわりーって呼んでたから」
うふふ、と彼女は明るく笑った。
「僕は、西崎です。小川さんは、旅行で?」
「ええ。10日間の予定で」
「一人旅か。優雅ですね」
「一人旅って言葉を使うなら優雅なのかもしれないけど、ヒコーキに乗るまでは全然優雅じゃないですよ」
「そうなんですか?」
「うん。大学を出て普通に就職しましたけど、ゴチャゴチャあって辞めてからは派遣で仕事をしてるんです。一人暮らしだから派遣社員でもらうお給料で
生活して、旅費はそれプラス夜に近所の居酒屋でバイトしてるんです」
「すごいな」
「だって、昼間のお給料だけじゃいつになったら旅費が貯まるかわからないもの。一応、女の子なんで季節が変われば新しい靴や洋服だって欲しくなるし、
友達と遊びに行ったりもするし。きちんと就職したらボーナスがあるんだろうけど、それじゃ旅行に行く時間がなくなっちゃうしね。西崎さんはお仕事ですか?」
「仕事って言えば、仕事だけど・・・」
「4年もいたら日本語が懐かしくないですか?私なんて、西崎さんとお話ししたら、日本語が懐かしくなっちゃった。あ、別に一人で来てるわけじゃないか」
「一人だよ。観光スポットもないこの街で日本語を聞いたり話したりするのは、無いに等しいよ」
運ばれてきたカフェ・オ・レを一口飲んだ彼女は、おいしいと笑っていた。
「どうして、この街に?わざわざ見に来るような物はないでしょ?」
「ガイドブックに載ってるような観光地見学は昨日で終わりました。ここに来たのに理由はないんです。別にどこでもよかったの。フツーの人たちがフツーの生活をしている。
そのフツーが見たかったんです。去年は南の国の片田舎で人間ウォッチングしてました」
「旅行好きなんだ」
「うん。だから、昼夜働いてもそんなに苦にならないし。ま、ヒコーキに乗れるのは年に1回くらいですけど。彼もいないし、せこせこ働いてヒコーキに乗る。そんな感じかな。西崎さん、
一人で仕事って何やってるんですか?」
「仕事、ではないかな。絵でお金をもらう事はあるけど。絵の勉強に来たんだ。一目惚れした人がこの街に住んでてね、その人に付いて勉強したかったんだ。でも、僕には才能がないらしい」
僕は自嘲し、コーヒーを飲んだ。
僕の父親は高校の美術教師をしている。その影響か、僕は小さな頃からよく絵を描いていた。描く事が楽しくて大好きだった。そんな父親だったから、高校卒業後の進路を美大に決めた事も
すんなり承知してくれた。
大学3年の冬の初め、風邪を引いた僕は大学を休み近所の病院に行った。待合室には僕と同じ風邪引きが5,6人いて、診察室に呼ばれるまでの暇つぶしの雑誌は残っていなかった。
手持ち無沙汰になった僕は、診察待ちの子供のためにおいてある絵本を何となく手に取った。
トンボを採りに行った男の子が風に飛ばされてしまった麦わら帽子をトンボを一緒に探しに行く、という内容だった。
僕はその絵に強く惹かれた。ページをめくるたびに、絵に引き込まれていった。
医者には、安静にしてくださいと言われたのに病院を出た僕は急いで本屋の絵本コーナーに向かった。そして、待合室で読んだ本とその作家の絵本を全部買った。
その頃の僕は絵を描く楽しさを感じる事が出来ないでいた。授業で教授に技術的な注意を受ける事はなかったが、ある教授に僕は指摘された。
「心、ここにあらずだね」
その通りだった。無難に課題をこなすだけで、僕は自分の絵に何の感情も持てなかった。どんな絵を描きたいのか、どんな風に描きたいのか。その頃の僕には、それが欠けていた。
でも、僕はその欠けていた物を見つけた。こんな絵を描けるようになりたい。こういう絵が描きたい。
偶然手に取った絵本が僕に道を作ってくれた。
夕食が終わり、朝に読み切れなかった新聞を読んでいる父親の前に座った僕は、買ってきた絵本を並べて見せた。
「これが、どうした?」
「こういう絵が描きたいんだ・・・・この作家に就いて絵の勉強を・・・・したい」
父親は驚いた顔で僕を見て、並べた絵本の中の1冊を手に取った。
大学を卒業したら、中学か高校で美術を教える。自分が来た道と同じ道を僕も辿るだろう、と父親は考えていたのだと思う。これまでにはっきりとそう言われた事はなかったけれど、
父親を見ていればそれは容易に想像できた。
「外国の作家か。大学を休学して、留学したいって事か?」
「そこまで甘えようとは思ってないよ。大学は4年で卒業する。金を貯めて、なるべく早くこの人の所に行きたいと思う」
「お前がこんなにはっきり物をいうなんて、珍しいな。それだけこの絵に惚れ込んだって事なんだろうけど。この人がお前を弟子入りさせてくれるか、わからないぞ。ま、そんな事は
後でどうにでもなるがな。絵を勉強した後の事は、どう考えてるんだ?」
「それは・・・・まだ・・・・」
「どうして父さんが美術の先生をやってると思う?」
「え?」
「30年も教師をやって、今更こんな事を言うのは馬鹿げているけど教師になりたかったわけじゃないんだ。絵から離れたくなかったから、教師の道を選んだ。会社勤めをして、趣味で絵を描くなんて事は
考えもしなかった。好きな絵を描きながら生活をしていける仕事をしようと思ったから、教師になった。絵で生活ができる才能がないのは自分でわかってたからな。芸術で身を立てるのは、針の穴を通るもんだぞ。
お前もいつまでも子供でいられるわけじゃない。お前の気持ちは理解できるが、先の事も含めて考える事も大事だぞ」
そう言うと父親は、風呂に入ってくると部屋を出ていってしまった。
要は、反対。ちゃんと就職しろ、という事らしい。本を抱えて部屋に戻ろうとする僕に、母親は早く風邪直しなさいよと声を掛けてくれた。
それからの僕は大学を休まず通いながら、バイトに明け暮れた。
日本を出た後の生活費を稼がなきゃ、早く金を貯めて行かなきゃ。僕の中にあったのは、それだけだった。
そして、その合間に独学で語学の勉強をした。必ず行くんだ、と思うと暗号のようにしか見えない単語が理解できるような気がしていた。
卒業したらどうするんだ、と父親が訊いてきたのは、大学4年の夏が始まる少し前だった。
僕は自分の考えは全く変わっていない事を話すと、父親は、そうか、と一言言っただけだった。僕と父親の会話を聞いていた母親は何も言わなかったけれど、その隣にいた姉にはひどく現実的な事を言われた。
「夢や愛は胸をいっぱいにしてくれるけど、お腹はいっぱいにならないわよ。夢を追いかけるには、ご飯を食べて生活しなきゃならないって事は覚えておいた方がいいわね」
典型的理系の姉は、いつもリアリストだった。夢のために現実を選んだ父親。現実主義の姉。夢見る僕。その中和剤のような母親。僕は母親の顔を見て、軽く溜息をついた。
大学を卒業してからは、月に1,2度師事していた教授の許に通い、昼夜と僕は働いた。寝る間を惜しんで働き、絵を描いていた。通帳の数字が増えていくのを見て、僕は夢に近づいているというより、成功へ近づいていると錯覚していた。
そんな生活を2年近く送っていた。
今思い返すと、今までの人生の中で一番情熱的に生きていた時期だったのかもしれない。
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