僕のカケラ 1/2
「おはようございます。今日は雨なんですよ」
 そう言って彼女はカーテンを開けてくれる。彼女の名前は吉村さん。ちょっと鼻にかかった声の僕の担当の看護婦さん。
 
 「初めまして。これから担当主任になった吉村です。宜しくお願いします」
 お世話になります。こちらこそ、よろしく。
 3ヶ月前、僕は交通事故でこの病院に運ばれてきた。それ以来、ここが僕の家になった。3ヶ月も入院しているとさすがに見舞客は家族だけになった。それも仕方ないと自覚しているから、別に淋しくはない。
 2ヶ月後に出産を控えている頼子は二日に一度「運動代わりに」と顔を出してくれる。
 「今日は寒いね。雪だよ、雪。赤ちゃんね、確実に女の子だって。名前、何にしようか?私は呼びやすくて、かわいい名前はいいんだけど」
 女の子?どっちかっていうと男の子がよかったな。大人になったら、一緒に飲みに行きたかったんだよね。
 「何にしようかな?昨日、検診の帰りに名付けブック買っちゃった。女の子だから、将来苗字が変わるかもしれないから字画は気にしなくていいよね」
 嫁の貰い手がなかったら、どうするんだよ?
 「へぇ〜。かわいい名前がいっぱいある。迷うなぁ」
 出てくるまでわかんないんだから、男の子の名前も見ろよ。
 「ね、それとも淳平の名前から淳の字をとる?」
 淳子?・・・・それはいやだ。
 「淳子は・・・・んー、却下。やっぱり、私が考える。痛い思いをして産むのは私なんだからいいよね?」
 どうぞ、お任せしますよ。

 
 「おはようございます。もう春の陽気ですね」
 吉村さんは朝カーテンを開けてくれる時、必ず窓の外の話をしてくれる。
 「西村さんは、いい奥さんをお持ちですね」
 え?
 「昨日、奥さんが帰る時に会ってちょっとお話したんですよ。今通ってる産婦人科は出産はやってないから、ちょっと遠いけど西村さんがいるからここで産むことにしたんですって。本当に仲がいいんですねぇ」
 ・・・・いやいや。でも、ここで産むって本当ですか?もっと近くに入院できる産婦人科があったような気がしたんだけどな。
 「あ、もし奥さんが秘密にしてたらマズイから知らない振りしててくださいよ。私、怒られちゃうといけないから」
 ふーん。了解。
 「それにしても、私、最近独り言が増えたような気がするんですよね。疲れてるのかな」
 無理はだめですよ。体が資本ですから。


 「萌々ちゃんね、すっごい蹴るんだよ、ボコボコって。足クセ悪いのかな」
 ももちゃんに決定なんですね。ま、春生まれだからいいか。
 「予定日が今週末だから、もしかしたら出産前は今日が最後かも。あ、また蹴ってきた。ほら」
 頼子の手に誘われお腹に手をやると、中で動いてるのが伝わってくる。でも、どうして足だってわかるんだろう?手かもしれないのに。母親ってそういうものなのかなぁ。
「萌々ちゃんにはね、淳平と私のカケラが入ってるんだよ。萌々ちゃんは萌々ちゃんだけど、淳平と私の分身でもあるんだよ」
 僕のカケラ、か。 ごめんな、こんな父親で。
 翌日、やはり頼子は来なかった。誰も何も言ってこないから、親に行くのを止められたんだろう。ここまで来て、何かあったんじゃシャレにならない。僕のように。
それにしても頼子は、ここで産むことをまだ言わない。ずっと秘密にしておくつもりなのか、単に忘れているだけか。もし、僕を驚かせるつもりでも残念ながらもう1ヶ月も前から僕は知ってるんだよ。
 それから三日後の夕方、頼子の両親がやってきた。
 「淳平さん。頼子ね、陣痛が始まって病院にさっき来たの。初産だから、当分時間はかかりそうだけど。淳平さんのお家にも連絡してあるから。生まれたらすぐに来てくれるって。もうすぐパパね」
 ”パパね”の言葉は涙声になっていた。その意味は痛いほどよくわかる。
 がんばれ、頼子。
 陣痛のつらさは男の僕には理解できない。そして、傍についていてやれない自分が情けない。今まで苦労と迷惑をかけて情けないとわかっていたけど、自分がこんなにも情けないヤツだったなんて、今初めて気付いたよ。
 僕と頼子の萌々なのに、頼子にだけつらい思いをさせて僕はただここに居るだけだなんて。せめて、頼子の傍についてやれるなら少しは頼子の力になれたかもしれないのに。
 僕には何もできない・・・・。
 
 
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