昔 恋語り 1/1

 「つう、今夜は冷える。機織りはたおり はせずに寝た方がいい。寒さであいつのようになっては、いけないからな」
 「死んだ女房様ですか?あなた様は、ずっとお忘れにならないのですね」
 「忘れるつもりなどないよ。本当に優しくてかわいい女だった。あんな事になったのも私がすべて悪いのだ。本当に可哀想な事をしたよ・・・だから今こうして、つうとゆきと3人で暮らしているのが申し訳ないよ」
 「私とつう様では、どちらが女房様に似てますの?」
 「どっちも似ていると言えば似ているし、似ていないと言えば似ていない。手先の器用な所はつうに、色が白いのはゆきに似ているかなぁ」
 「本当に女房様がお好きだったのですね」
 「ああ、心底惚れていたよ。どんなに貧しくても嫌な顔一つせずにいた。髪の綺麗な女でね、櫛の一つでも買ってやろうと櫛屋に行ったんだよ。店には美しい櫛がたくさん並んでいた。でも、私が買えたのは店の一番隅にあった一番安い櫛だった。 私はこんな物しか買ってやれないのだな、と自分が情けなく、あいつには申し訳なく思いながらその櫛を買った。なのにあいつは、本当に喜んでくれた。ありがとう、ありがとう、と何度も言うんだよ。大事な物だからと、いつも肌身離さず持っていてくれた。 そんなかわいい女だったのに、私は・・・」
 囲炉裏の火を見つめながら男は、椀の酒をぐっと飲み干した。元々美しい顔立ちの男だったが、酒と揺れる火と恋しい女房の話が男をより一層美しく見せた。
 「私が悪いのだよ・・・」
 「あなた様のせいではありませんよ」
 「私が道に迷ったばかりにあんな事になってしまった。私のせいだよ・・・」
 男は静かに目を閉じ、いつもの酔い話をぽつぽつと始めた。
 
 
   「日が落ちてきた、急ごう。今日は、最初に見つけた家の土間の隅にでも泊めてもらおう」
 「無理をして西国などに行かずとも、私は今の暮らしで幸せですよ」
 「西国に行けば、今までよりも楽な暮らしができるだろう。そしたら、お前にももっと良い物が買ってあげられるし、楽をさせてやれる」
 「私は、あなた様と一緒でしたら何もいりませんよ。あら・・・・」
 「どうした?」
 「今、何か声が・・・ほら、向こうだわ」
 二人が声のする方に行くと、沼のほとり一羽の鶴が罠に片足を挟まれて鳴いていた。
 「可哀想に。仲間にも見捨てられてしまったのだな。痛かっただろう?ほら、外してあげるよ」
 男が足を挟んだ罠を外す様子を鶴は静かに見ていた。
 「ほら、外れた。痛いだろうけれど、急いで仲間の所にお行き」
 鶴は痛そうに片足を引きずって二、三歩歩くと、振り返って男をじっと見た。
 早くお行き、と男が声を掛けると、鶴は夕暮れ近い空へ飛び立って行った。
 「良いことをしましたね。ひとりぼっちのままでないといいけれど」
 「優しいお前に見つけられた鶴だ。きっと大丈夫だよ」
 小さくなっていく鶴を見上げていると、ふわり、と白い物が落ちてきた。
 「雪だ。急ごう、このままでは、凍えてしまう」
 二人は手に手を取り合い、今晩の宿を求めて歩き出した。しかし、行けども行けども家らしき物は見当たらない。ふわりと舞った雪は次第に大きくなり、辺りを白く染め始めていた。
 罠があったのだから、山小屋くらいはあるだろう、と二人はそれを頼みに歩き続けた。風も吹き始め、雪は吹雪へと変わり始めていた。
 「おや・・・沢の音がする。今のうちに水を汲んでくるよ。お前はここで待っていなさい」
 男が木々をすり抜けて沢に下り、水を汲んでいるとゴォッと突風が吹いた。
 「ひどくならないうちに宿を探さねば」
 男は重くのしかかるような雪雲を見上げてつぶやいた。
 はぐれないようにと男と女房は手を繋ぎ山道を急いだ。しばらく歩くと、雪の向こうにぼうっと灯りが見えた。
 「ほら、灯りだ。今日はあそこに泊めてもらおう」
 
 
 「本当にありがとうございました。これはわずかばかりですが、お礼に」
 「金なんかいらないよ。困っている時はお互い様だ。その金は旅の足しにしてくれ」
 「それでは・・・」
 「いらないよ。それより、本当に西国へ行くつもりなのかい?ここから西国までは、まだまだ気の遠くなる道のりだよ」
 「二人で行けば何とかなるでしょう」
 「山を三つ越えた峠に小屋がある。今日はそこまでにしておきな。冬の山は危ない」
 「わかりました」
 「気を付けて行くんだよ」
 「ありがとうございました」
 二人は宿主の年老いた夫婦に何度も頭を下げ、また西国へと歩みを進めた。昨夜の吹雪が嘘のような青空だった。
 「雪が照らされてまぶしいですね」
 「今日は天気がいい。教えてもらった小屋には夕暮れ前に着くだろう。解けた雪に足許を気を付けるんだよ」
 澄み渡る青空を励みに二人は一歩、一歩と進んでいった。しかし、二つ目の山を越えた頃から空は灰色の雲に覆われてきてしまった。
 「まずいな。また雪が降ってきそうだ」
 「・・・はい」
 「どうした、疲れたかい?・・・お前・・・熱があるじゃないか!どうして何も言わなかった?具合が悪いなら、もう一晩宿を借りたのに」
 「いいえ、大丈夫です。それに土間の隅でよいと申し上げたのにあの方たちは、温かい食事と火と寝床をわけてくださいました。その上、お礼も受け取らず。これ以上ご迷惑をおかけしては申し訳ありません」
 「もうしばらく歩けば小屋に着くはずだ。がんばるんだよ」
 「はい」
 手を取り合う二人の上には雪がちらちらと降り始めていた。
 
 「おかしいな・・・山を越えたのだから、もう小屋が見えてもいい頃なのに・・・道に迷ってしまったのだろうか・・・」
 男は焦っていた。見えてもいいはずの小屋は見えない。雪はまた吹雪に変わり始めている。そして、女房の肩を抱く手には熱が伝わってくるようだった。
 「大丈夫かい?どうやら・・・道に迷ってしまったようだ・・・」
 男が女房に大丈夫か、と問えば女房は大丈夫と答えるが、その声は絶え絶えでどんどん具合が悪くなっているのは、傍にいれば問うまでの事ではなかった。
 男は女房の肩をきつく抱き、空いた手は互いにしっかり握り一歩、一歩進んでいったが、とうとう一寸先も見えない程の吹雪になってしまった。
 「あなた・・・私はもうだめです・・・体が言う事を聞きません・・・私がいては足手まといになってしまいます・・・あなただけ・・・あなただけ行ってください」
 倒れ込んだまま起き上がる事もできなくなった女房が、精一杯の笑みを浮かべて男に言う。
 「何を言うんだ!お前一人残して行けるわけなどないだろう!いつまでも一緒だと約束したではないか。お前がもう歩けないと言うのなら、私もここにいる!」
 「だめ・・・です・・・こんな所にいては・・・凍えて死んでしまう・・・行ってください・・・あなただけは・・・あなただけは・・・」
 女房は最後まで言い終わらないうちに目を閉じてしまった。かろうじて息はあるものの、それはもう虫の息だった。
 男が女房の名を呼ぶと女房は少しだけ目を開くがそれも二、三度繰り返した後は、もう何度名を呼んでも肩を揺さぶっても女房は何も答えてはくれなかった。
 返事をしない女房の体を抱き男がむせび泣いていると、ゴオオと吹雪が鳴いた。
 「吹雪よ、吹き付けるなら私に吹け。命など惜しくはない!私の命が欲しいのなら、今すぐ持って行けばいい!」
 荒れ狂う吹雪に向かって男は叫んだ。
 
 
 
 「そしたら・・・」
 「どうなさいましたの?」
 「いや、何でもない。いつまでも一緒、と契ったのに私だけが生き長らえている。あれから・・・もう二年も経つのだな」
 男の話はいつも最後がない。いつも同じ所で男は言葉をやめてしまう。
 「お前たちにも早くいい人が見つかるといいな。幸せな顔でここを出て行く日が早く来るといい。・・・何だか、眠くなってきたよ」
 男は体を横にするとすぐに寝息を立て始めた。
 「風邪をひいてしまいますよ」
 ゆきが男を起こさないようにそっと布団を掛け、愛しそうにその寝顔を見つめていた。
 「・・・連れて行かないでください」
 「え?」
 ゆきがつうを振り返ると、つうはいつにない強い眼差しでゆきを見返した。
 「つう様?」
 「その人を・・・連れて行かないでくださいと申し上げたのです」
 「何の事ですの?」
 囲炉裏で燃える木のパチパチという音がつうとゆきの間をすり抜けて行った。
 「おかしな事をおっしゃるのね、つう様は」
 「おかしい事などありません」
 「変なつう様。私たちが話していると起こしてしまうから、外へ出ましょうか」
 「ええ、そうですね」
 二人の女はそっと音を立てず外へ出た。
 「あの方は女房様の事で自分を責めながら生きています。生きているのがおつらいのだと思います。でも・・・それでもあの方を連れて行かないでください」
 「つう様?」
 「私は・・・ゆき様が誰なのか存じております」
 「・・・・・・・・」
 「いつも最後まで語らないあの話。あの続きは、ゆき様が一番ご存じのはず」
 「つう様は話の続きをお聞きになったのですか?」
 「いいえ。何度問うてもあの方は、これでおしまいだと答えるばかり。でも、ゆき様と暮らすようになってわかって参りました」
 「そうですか・・・雪の中、沢に下りて水を汲むとはどんな男だろうと私は風を巻き起こし顔を上げさせました。そして・・・私はあの方を一目見て心を奪われてしまった・・・ 何もできぬ人間に恋をするなどおかしな話。気の迷いだとすぐにその場を去りました・・・でも、一晩経っても私の心からあの方が離れず・・・道ならぬ恋に落ちた自分が哀しく、その哀しい心は日射しを雪に変えていった。 私は・・・女房様が憎かった。恋に狂った私の心は、荒れ狂う吹雪となっていった・・・もう自分が止められなかった・・・寄り添い、肩を抱かれる女房様が憎くて、憎くて・・・!でも、女房様が息絶えた時、私は取り返しのつかない事をしてしまったと気付きました。 私の狂った心が女房様の命を奪ってしまったのだと・・・茫然と立ち尽くす私は、あの方の前に姿を現してしまいました。私の姿が人目に触れるのはあってはならない事」
 「その姿を見た者は命を奪われる・・・私はそう伝え聞いております」
 「誤解しないで!私は、私はあの方の命を奪うためにここへ来たのではありません!この身を、蔑んでいた人に姿を変えてでもあの方のお傍にいたかった。ただそれだけなのです!こんな私を愚かだと思いますか? つう様には私が愚かだと言えるのですか?!」
 「どういう・・・意味ですか?」
 「もう、おやめなさい」
 ガラッと戸が開き、男が静かに立っていた。
 「お聞きに・・・なっていたのですか・・・?」
 「聞かずともとうにわかっていたよ。お前があの時の雪女だという事は、姿を変えても声は同じだからね」
 「そんな・・・では、どうして今まで・・・?」
 「自分に逢った事は誰にも言うなとお前は言った。私も誰にも言わないと約束したじゃないか。だからあの時の事は一生口をつぐんでいようと決めていたからね。それに・・・あいつが死んだのはゆき、お前のせいではないよ。 具合の悪かった事に気付かなかった私、道に迷った私、すべて私が悪いのだ。お前は自分を責めてはいけないよ」
 「私は・・・私は・・・」
 「いいんだよ、ゆき。それから、つう、お前ももう機織りはやめなさい」
 「え?」
 「身をやつし、命を削ってまで私に尽くす事はないのだよ。私は誤って罠にかかってしまった鶴を助けただけだ」
 「ご存じだったのですか・・・?!」
 「ああ。少しずつ弱っていくお前を見て、始めは何か病なのかと思っていた。でも機織りの部屋で白い羽が落ちているのを見つけた時、もしやと思ったよ。強い想いがあると、人でないものが人に姿を変えられる。しかし、それは知られてはいけない。 知られてしまったら人の姿ではいられなくなってしまう。昔、どこかで聞いた話を思い出したよ。私はお前を止めるべきなのか迷った。私が言えばお前が身を削る事はもうないだろう。でも、つうの気持ちはどうなるのだ、ここまで尽くしてくれるつうの心を潰してよいのだろうかと 思うと私は何も言えなかった。いつになっても不甲斐ない男だよ、私は」
 「助けて頂いたあの時から・・・あの時からずっとお慕い申し上げておりました」
「つう、ゆき、お前たちの気持ちは本当に嬉しく思うよ。こんな私には本当にもったいない話だ。だが、私の心に住む女はこの先一生、妻一人なのだよ」
 優しく哀しく微笑む男に二人の女は声を殺して泣いた。涙を流す二人の女の上には、今にもしずくが落ちてきそうなほど星が輝いていた。
 
 
 
 
 
 
 
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