「おかえり」
「疲れた・・・・」
疲れたじゃなくて、ただいま、でしょ?
またか、と私は心の中で溜息をついた。
時計は12時を過ぎている。
「ゴハンどうする?」
「疲れて、腹減ってんだかわかんない」
「ポトフにしたからそれだけ食べる?」
「うん、そうする」
「温めるから、先にお風呂に入ってきたら?」
「そうだな」
私だって疲れてるのに・・・・
日付が変わってから帰ってくる事はないけれど、仕事と家の事の両方をやってるのは私なのに。
どうして自分だけ苦労してるような事を言うの?
わかってあげようとは思うけれど、私は智明の「疲れた」にうんざりしていた。
だから、最近の私たちは会話が少なくなっていた。
温まり始めたポトフがコトコトと音を立てていた。
食べ終えた食器を洗いながら、智明が見ているTVをちらちらと見ていた。
白雪姫を深夜番組特有のドタバタ劇でやっている。
いじわるなお妃様が魔法の鏡に向かって問いかける。
世界で一番美しいのは、誰?
鏡が答える。
それはあなた。お妃様です。
昔はお妃様をいじわるでひどい嫌なヤツだと思っていた。
でも、今の私はお妃様の気持ちがわかるような気がする。
鏡は魔法の鏡なんかじゃなくて、ただの鏡だったのかもしれない。
少女から大人へ。かわいらしさから美しさへ変わっていく白雪姫を妬みながらもお妃様は認めていたんだと思う。
だから、必要だったのよ。日に日に若さを失い、おばさんになっていく自分に言い聞かせる言葉が。
一番美しいのは誰? それは私、と。
でもある日、その呪文が効かなくなってしまった。
前はもっと足が細かったのに。こんなシミなんてなかったのに、と数年前の自分と今を比べて溜息をつく私のように。
ランチの後、隣でお化粧直しをする後輩に羨ましいと笑いながら言うけど、本当は鏡の中の自分に溜息をついているのに。
もう少し若かった頃の自分にしがみつく私とお妃様は、きっと同じ種類の女なんだなとぼんやり思っていた。
「オレさ・・・・お妃様の気持ちがわかるような気がするな・・・・」
智明が独り言のように言った。
「どうしたの、突然?」
「だってさ・・・・比べられるなんてイヤじゃん?柊花だって、自分より若い女の子と比べられたらイヤだろ?」
「そんなの、当たり前じゃない」
「男だって同じだよ」
「何かあった?」
「何って事もないけどさ・・・・」
「だから、どうしたのって?」
「うん・・・・年がいくつとか、何年会社にいるとかさ・・・・仕事ができるできないとは、あんまり関係ないだろ・・・・」
「デキる後輩がいるんだ?」
「やっぱりオレは、後から入ってきたヤツには負けたくないよ。会社じゃヘラヘラ笑ってるけど、かなり必死だよ、オレ」
「めずらしいね。トモがそんな事言うの」
「柊花にしか言えないよ。みっともなくて」
「がんばれるトコまでがんばろうよ、ね?はい、お茶」
「ありがと・・・・ん?紅茶かと思ったら、何これ?」
「ほうじ茶。たまにはいいでしょ?」
「うん。日なたの匂いがしていいかもしれない」
「日なたの匂い?トモって、たまにかわいい事言うよね」
「そうか?」
「うん」
TVの中は、もう次の番組が始まっていた。
ソファで寝ていた我が家のニューフェイスのゆずが起きてにゃあとあくびをしながら鳴いた。
「仕事が一段落ついたらさ、ゆずも連れていける温泉にでも行こうか?」
「うん。明日、ネットで探そうよ」
「ゆず、お前、温泉デビューだぞ?どうする、おい?」
「ゆずは、お風呂キライだよーって、ね」
「柊花、明日起きたらコーヒーじゃなくてそれ入れて。日なた茶」
「日なた茶?はいはい、いいですよ」
「そろそろ、寝るか。明日は寝坊するぞぉ。ゆず、今日はオレと寝ような?」
結局、似た者同士って事ね。
今は、さっきまでのイラ立ちも薄れ、その分トモを愛しいと思える。
ゆずと遊ぶトモを見ながら、日なた茶の柔らかく優しい匂いを私は胸一杯に吸い込んだ。
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