雨U 雨の翌日

 「ねぇ、シャツ、こっちのにしたら?」
 ユミさんの部屋に泊まった時は、いつもより15分早く出ないと遅刻してしまいそうなのに僕は軽く寝坊をしてしまいバタバタと朝の準備をしていた。
 「え?いいけど、ネクタイに合うかな?」
 「じゃ、ネクタイはこっち」
 そういうと、ユミさんはクローゼットからシャツに合わせたネクタイを出してきた。
 「別にいいんだけど、どうして?」
 「いいの、いいの。カフスだと蒸し暑くなっても腕まくりできないよ。それに、今日はこっちの方がラッキーだって朝の占いでやってたから。」
 「そうだっけ?」
 そう、そうとユミさんは笑いながら、僕が持ってきたシャツとネクタイをクローゼットにしまった。
 「ほら、早くしないと遅刻するよ。はい、ハンカチ」
 「ありがとう」
 玄関で靴を履いているとユミさんが言った。
 「ね、来月は七夕じゃない?おそろいの時計買わない?」
 「いいけど。七夕だからって、何?」
 「別に。ただ買うより何か理由がほしいなって思っただけ」
 「買うのはかまわないけど、ユミさんに合わせてロレックスとかお高いものは僕には無理だよ」
 「そんなのいらない。ブランドとかそんなものに意味なんてないもの。マサトとおそろいのがしたいの」
 子供のように少しふてくされたような言い方をする年上の彼女。
 「あーマサト、鼻で笑った。ばかにして」
 「そんな事ないよ。いいよ、今度買いに行こう」
 やった、と言わんばかりに笑う僕の彼女。
 「じゃ、行ってきます」
 「いってらっしゃい。マサト」
 「ん?」
 「今日はイイコトあるよ」
 「え?」
 「うふふ。ほらほら、いってらっしゃい」
 なんだかなと、と僕は会社に向かった。


 週末の余韻が消せないまま、パソコンに向かう。今日中に終わらせなければならない仕事を確認して溜息。仕事はなかなか進まないのに時間はきちんと正確に進んでいく。もう11時半近い時間になっている。
 窓の外を見ると、青空が広がっている。梅雨の晴れ間。きちんとエアコンディションされたオフィスも大量のパソコンの熱で室内は何となく暑い。そして、僕のデスク周辺は体温の高い男ばかり。 青い空に鼓舞され軽く肩で息をつき、さてやるかと袖口のボタンを外して腕まくりをした。シャツの選択はユミさんの方が正解だったなとクスリと笑えた。
 シャツの袖を軽く折り、右腕にある時計を何となくずらすと手首の内側に赤いアザのようなものがあった。
 僕は、タバコ吸ってくる、と隣りの同僚に声をかけ喫煙室へ向かった。


 「雨は好きじゃないな。特にこの時期は」
 夜の早い時間から降りだした雨は明け方まで続くとさわやかに天気予報士が言っていた。
 「そうね、小説やドラマに出てくるほどロマンティックなものじゃないわね」
 「この前なんか、電車で隣り合わせた女の子の濡れた傘でスーツが濡れたよ。グレーのスーツだったから、濡れて色が変わってイヤだったよ。紫陽花は好きだけどね」
 「紫色の紫陽花が好き。私も雨はあんまり好きじゃないけど、フツーに降る夜の雨は好き」
 「夜の雨?」
 「夜って言っても寝る頃ね。暗くした部屋で1人でベッドの中で雨の音を探すの」
 「雨の音?」
 「窓もカーテンも閉めてるから外の音は少し遮られるでしょ。もっとちゃんと雨が降ってる音が聞こえないかな、もっと雨の音がしないかなって静かにしてるといつ間にか寝ちゃってる」
 「雨の音か。そんな事考えた事なかったな。ユミさんは詩人だね」
 「そう?でも、一番よく思う事はマサトの事。ちゃんとゴハン食べたかな、面倒くさがらずに歯磨きしたかな、とか」
 「毎日ちゃんと歯磨きしてますよ。子供じゃないんだから」
 「うふふ」
 「そろそろ寝ないと起きられなくなるから、今日は僕も雨の音を探しながら寝るよ」
 おやすみと、ユミさんは僕の腕で遊んでいた。
 「何してるの?」
 「おまじない」
 僕は聞こえてくる雨の音だけでいつの間にか眠ってしまった。


 タバコに火をつけ、ポケットから携帯をだしユミさんにメールをした。
 《今すぐ、逢いたいよ》
 ほどなく返事が返ってきた。
 《イイコトあったでしょ?》
 《イイコトなのかな?週末が待ち遠しいよ。まだ月曜の午前中なのに》
 《今度は、シャツじゃ隠せないような所にする》
 《バンソコウ買っていくよ》
 《それじゃ、つまらない》
 メールを見ながら、思わず笑ってしまう。
 《早く、時計を買いに行こう》
 《マサトがよければ、今からでも仕事抜けて行くわよ》
 彼女の悪戯に笑う顔が想像できて、尚更逢いたいと思ってしまう。
 《お買い物は無理だけど、今夜も行っていい?》
 《バンソウコウ忘れないでね》

 青空を見上げながら彼女がつけた右手首のキスマークに僕もキスをした。
 
 
 
 
 
                                  
 
 
 
 
 
 

                      Clearblue U